ガエル記

散策

アニメ「どろろ」途中

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リメイクアニメ「どろろ」19話まで鑑賞中

以下ネタバレありますのでご注意を。

 

 

 

放送時観ていなくて録画していたのをブルーレイにダビングして今見ている途中なのですが何と14・15話が録画されているとでているのに何も映っていないという初めての事実に戸惑いながらとりあえず進めて観ています。

 

なにしろ私はオールド「どろろ」が大好きで大好きでとにかく大好きでした。

なので意識していたつもりはなかったのに自分が描いたマンガ「妖狼伝説」の基本設定が後になって「どろろ」とそっくりなのに気づきなんとも言えぬ気持になってしまうほどでした。と言っても「どろろ」のどろろではなく百鬼丸のほうなのですが。

作者・手塚治虫は「どろろが大好き」と書いていますが、私はあまり好きではなかったのですよ、実は。(新アニメのどろろはなぜかとても好きです)

とにかく「どろろ」の百鬼丸が好きでした。

 

自分が描いたマンガとの共通点は以前にgooブログでもう書いたのでそれを読まれた方は面倒でしょうけどまたここで書くと、

『権力のある父親に捨てられた「化け物」が主人公。母親は捨てたくはなかった。化け物になったのは「呪い」のようなもの。

学者のような男に拾われ育てられる。一人前に生きられるよう訓練される。が、そこを出て旅に出る。後に父親と出会い戦う。』

といった感じです。

こうしてみると設定あらすじ激似だったのですが、自分自身はまったく「どろろ」をピクリとも思い出していませんでした。

全部自分で考えたものと思っていたのですが実はそのまんますぎですね。途中で思い出していたら描けなくなっていたでしょう。

 

そして自分があまり気に言ってない「どろろ」という存在は「アレクス」という少年となって登場します。

百鬼丸人狼グィド、どろろ(女の子)=アレクス(男の子)という設定を比較すると私としては「どろろ」が男の子のままでいてくれた方がよかった、という願望の現れのようにも思えてきます。

そして私が描いたマンガ自体にはないのですが、この後人狼グィドとアレクスは二人で旅に出る、という展開にするつもりでおりました。

どこまでも「どろろ」に影響されていることがわかり怖ろしいほどです。

 

とにかくこれで、自分の欲望・願望が満たされぬことがマンガを描かせた、という図式がわかりました。

 

しかし今回新「どろろ」を観ていてやはり手塚治虫すげえな、と感慨改たにしております。

私も手塚を模倣しましたが手塚も手塚を模倣しているのです。

っていうか当たり前でしょうけど、この設定って結局また「ブラックジャック」で改めて描いているわけですね。

百鬼丸=ブラックジャックですし、どろろピノコです。

そして百鬼丸を手術した男の技術がブラックジャックに乗り移っています。

父親も母親も百鬼丸の父母=ブラックジャックの父母、それぞれイメージがそっくりです。

そして体が不自由であり懸命なリハビリで克服するのも一緒、見た目がグロテスクと見られてしまうのも同じです。

相方に小さな女の子を持つのも一緒でその女の子があまりおんなおんなしてなくて一般常識的に可愛くないのも一緒。一応両親がいない状態なのも一緒です。(どろろは家族に愛されていたけどピノコは愛されてない、のは違うところですね)

そして奇妙な交錯は「どろろ」の百鬼丸と「ブラックジャック」のピノコは人造人間という部分で共通しています。

百鬼丸は妖怪を殺すことで人間の体を取り戻していけますが、ピノコブラックジャック先生に大人の女性の体を作ってもらうことになるのでしょうか。

 

そしてここんとこ「新どろろ」はどうなるか、私はまだわかってないのですが、今のところの感じとして「百鬼丸どろろ」「ブラックジャックピノコ」は男女として愛し合うことになってもセックスができるのかどうかわからない、ということです。

 

私はブラックジャックは男性性機能が働かないでいる、もしくは不完全なのではないかと思っています。あれだけ体を損傷してしまい、物語として女性に興味を示すことが少ない、少年マンガ誌だったので仕方ないのかもしれませんが例えば愛していた女性を男性にしてしまったのは彼が男性として彼女とセックスできないことを意味しているように思えるのです。

そしてピノコには女性性器を作り与えたのでしょうか。彼女が幼女であることもあってそこまで作る必要はない、と考えたかもしれません。少年誌だから幼女のほうが描きやすかった、というだけの設定だよ、とも言えます。しかし一般に少年誌に登場する女子が高校生であるのに小学低学年のようにしたのはなぜなのでしょう。これも一般常識としてはとんでもないことですが、女子高生ほどの肉体であれば大人の女性として認識しセックスできると考えてもいいはずです。

つまり普通に正常な男性ならピノコを最初から大人の女性に(女性器もつけて)作ったはずなのに幼女いてしまったのは彼には女性器が必要ないのかもしれない、と考えられるのではないでしょうか。

百鬼丸生殖器はどうなったのでしょうか。もちろん鬼神に取られたはずです。

養父はそこまで作っているのでしょうか。彼は普通に食事をしていますから排泄もしているはずですのでペニスや肛門はあるはずです。

見た目精通もある年齢に達していると思えますが、そのあたりがどうなのかは不明です、どろろはまだ幼くて初潮はないでしょうが、百鬼丸に対し好意は持っているので次第によっては、と考えられますが百鬼丸がそういう衝動があるのか。

元「どろろ」の百鬼丸は特にアニメは男らしさが加味されていましたが、そうした性的力があったのでしょうか。孤児たちの母親役をしていた娘を好きになる話がありましたがそこに性的欲望があったのか、母親を求めるような気持だったのか、とも思います。

 

「新どろろ」がとても面白い、と思ったのはなんといっても作った体を与えられた百鬼丸は動くことはできても意思疎通がうまくできない、というリアルさでした。

手塚「どろろ」ではこのあたりを超能力テレパシーで補っていますし、後には腹話術を習得するように促しています。(私はこれも影響受けていました、なんてことだ)

この説明に不満はないのですが、「新どろろ」の「なかなか話せるようにはなれない」という設定は百鬼丸の異常性を強調してとてもいい解釈だと思います。

 

オールド「どろろ」を愛する者は「新どろろ」は無理、という方もいますが、私は物凄い自分でもそうだと判らないほどに元「どろろ」を愛し抜いていますが「新どろろ」もまた好しと思っています。

どろろが女の子であることをはじめから考えて描いているのも女性というのがこういった時代にどんな存在であるのかを描いているのも現在ならではの表現として当然ながらも素晴らしい演出であります。

 

さて鑑賞も大詰めですがさらに楽しみにして観ていきたいと思います。