ガエル記

散策

『ROMA/ローマ』 アルフォンソ・キュアロン 2

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続きます。

 

ネタバレですのでご注意を。

 

 

クレオは若くて美しい目と髪を持った女性ですがどことなく控えめで自信がない感じがします。でも同時に何かを訴えたいのにそれを言い出せないでいる感じがあります。

 

画面には明るい日差しが多く注がれそのために出来る影がくっきりとして涼し気に見えています、

 クレオは友人の彼氏の友人、であるフェルミンという男性と知り合い関係を持ちます。ベッドに入る前に武芸の型を見せる、というマチズモを強調する男性です。最後に日本語で「アリガトウゴザイマシタ」というのがなんとも言えぬ。

クレオは妊娠したことを彼に告げるとその男はそのまま姿をくらましてしまう。絶望したクレオは女主人であるソフィアに自分の妊娠を打ち明ける。

ソフィア自身も夫との関係が悪化していてそのことでクレオに辛く当たったりしていたのですが、このクレオの告白に同情し病院にまで付き添っていく優しさを見せます。

 

ソフィアは夫が学者で裕福に生活できる女性であり、クレオはそうではないために家政婦として命令を受けながら働かなくてはならないのですが、ここで二人は同じ悲しみを共感しています。

家政婦をクビになる心配をするクレオをソフィアは抱きしめます。

 

ほんとうは優しい女性だったんだ、と思えたソフィアですが自ら運転する車でクレオを病院へ連れていく道すがら、二台のトラックの間に入り込む、という荒業を披露します。車のドア部分に金属がぶら下がっているのはこすれてドアの部品が外れたのか、ソフィアという女性はなんとなく神経が少し奇妙なようです。

 

病院での検診後、クレオは新生児室のベビーたちを見ていると突然地震が起きて騒ぎになります。

新生児保育器の上に崩れ落ちた破片。クレオはその様子を黙って見つめています。クレオの不安のように。

 

夫アントニオが仕事でカナダへ出かけ、ソフィアは親戚の家へ子供たちとクレオを連れていきます。

妊娠していても家政婦の仕事を続けるクレオ。荷物運びももちろん彼女がしなければなりません。

到着した屋敷には部屋に犬の頭部の剥製がずらりと掛けられていて、それらはこの家で飼われていた犬たちなのです。クレオはこれらをじっと見つめます。

 

クレオは何かを発言せず、じっと見つめているという演出が多いのです。それは彼女自身なにを言っていいのか判らないのかもしれません。

 

ソフィアたちが訪れた親戚の屋敷は田舎のせいもあってかなりの大きさです。昼間は屋外で食事をしたり子供たちが走り回っている傍で大人が射撃をしています。ここでもクレオは不安げにふるまっています。

夜は屋内でにぎやかなパーティ。集まった人々は飲んで歌って踊っている中で末っ子のペペの面倒を見ていたクレオは同じ先住民族の女性から抜け出して仲間たちと酒を飲もうと誘われます。

ここでもクレオは居心地悪く不安そうに見えます。それでも勧められた酒を手にした時、背後から踊っていた太った女性が思い切りぶつかってきてクレオは持っていた杯を顔にぶつけ落としてしまうのです。

ぶつかった女性は謝り、勧めた女性はなだめるのですが、やっと心を開こうとした瞬間のハプニングです。再びクレオの顔に影が差します。

床に落ちた杯は割れ酒が白く床にこぼれています。

 

これもクレオのおなかの中の赤ん坊をイメージさせる場面です。

 

屋敷の周囲の森が火事になり人々は火を消そうと走り回ります。なにか地元の神様のような衣装をつけた男が火事の前で歌っています。

火事騒動が終わり、豊かな自然の風景の中を人々が歩いていきます。人々の群れから離れてクレオは景色を眺めふるさとを思い出すと口にします。

無口なクレオが心を表現している珍しい場面です。

音や匂いに彼女は望郷の念を抱いています。

 

他のレビューを見ていると「何事も起こらない映画」という言い方をしている方が少なくない感じで観てみるとちょっと驚きです。

クレオの妊娠やソフィアの苛立ちなどは「何事も起こらない」に入るのでしょうか。

ピクニックのそばで発砲したり、森の火事などかなりの出来事だと思えるのですが。

人にとってなにが「出来事」なのか、ということでしょうか。

この時代、働く中での妊娠は大変なことです。

そして街中の様子から田舎の風景への変化、森の火事の火の粉と水を撒く人たち、不思議な精霊に扮した男の歌声など、こうした情景に惹かれるのか、惹かれないのかはそれを観る者の意識ひとつということでしょうか。

 

まだまだ映画の前半ですが、しつこく言い続けたいのですがこんなに美しい映画はそうそうありはしません。

映画賞をあげないのならそちらのほうがおかしい、と思ってしまいます。

 

続きます。