ガエル記

散策

『贖罪』黒沢清 その2

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第四話と最終話を観終わりました。

小泉今日子さんがとても素晴らしく見ごたえありました。

しかしこれは俳優の魅力と言うのは結局監督の演出力であるという証明でそれは当たり前ですね。

 

 

ネタバレになりますのでご注意を。

 

 

第四話、小川由佳。池脇千鶴が演じています。昨日書いた「こんな怖ろしい目にあっておかしくならない人がいたらおかしい」と言うのが彼女でした。

と言うのは元々がおかしいからなのでした。

ところがこのおかしい彼女だけが堂々と生き抜いてしまうわけでやはりこの社会はおかしい人だけが生き抜ける、おかしくないと生き抜くなんてできない社会だというわけです。

男の物語と女の物語の違いはここで主題として描かれている妊娠出産にまつわるものがほとんどです。

その描写は残酷で凄惨になる場合が多く苦手です。年を取ってかなり耐性ができましたがそれでも平気では観られません。

このシリーズの第四話の主人公はそうした女の特性を全開にした活躍を見せてくれます。いわば真実の女子力というものです。

彼女は友人の母親が言った戯言など気にも留めません。あふれだしてくる嫉妬を止めることなど全くせずいわば「女の武器」を最大限活用して生き抜いていく姿はあっぱれとも言うべきでしょう。

妊娠してお腹が大きく膨らみゆさゆさと歩かねばならないことすら彼女は戦うための武器として考えていきます。

我が子を見殺しにしたと恨む母親・足立麻子がこれまでの女性たちと違って彼女にだけ許しと励ましの言葉を与えるのは彼女が麻子そのものだったからです。

それが判るのは次の最終話を観てからでしょう。

 

最終話、足立麻子。小泉今日子が演じています。

15年前一人娘のエミリを何者かに凌辱され殺された母親は当時一緒に遊んでいた四人の友人たちに「犯人を見つけなければ他の方法で償え」と言い渡します。

15年後の彼女には当時の娘と同じ年齢になった息子がいました。つまり娘が死んだ後、彼女は再び妊娠出産をしたことになります。そのことも彼女の強さを表しています。

第一話から三話までは殺された友人の母親に言い渡された呪いの言葉によって人生を狂わせた3人の女性たちのそれぞれの苦しみが描かれました。

第四話からこのシリーズが他の凡百のドラマと違ってきます。第四話でははっきりと「自覚した悪女」が描かれます、

そして最終となる第五話の主人公、足立麻子は「自覚できない悪女」ということでしょう。

四話目の小川由佳は何もかも意識して悪事ともいえる行動を繰り返してきました。男を誘惑しそれを利用し生活し嫉妬をして復讐を遂げてきたわけです。

怖ろしい悪女ですが明確にそれを意識しているだけでも納得できるかもしれません。

それと対照的に麻子は意識のない悪女です。

大学時代の女友達は彼女が行動さえすれば死なずにすんだのに放置しました。

三人の女性たちの人生を破壊してしまったのも彼女ですが彼女自身は「当然の事よ」と思い続けてきたのでした。

別の男との間に出来た子供だと自覚しながら夫には話さないことも「当然」であり愛する夫と息子がいても自分の怒りを優先することが当然だったのでした。

すべてを自覚しないまま行動してきた麻子がそれを自覚した時、茫然としてしまうのはまさしく当然のことです。

 

彼女は自分がまったく悪事をしていないと思いながら悪事を続けてきた女性でした。

 

ということがわかればはっとするのは自分のことです。

「私は何も悪くない」とあなたは思っていませんか。

もしかしたら・・・麻子と同じように何も自覚しないままに他人の人生を破壊してきたのかもしれません・・・。

 

ふっふっふ・・・

 

 

ところでこの作品に新井浩文氏がちょい役刑事役で出ていました。

彼の行った犯罪は決して許されるものではない、のですが彼の演技のファンだったものにはとても残念なものでした。

まあ、このドラマの刑事役が他の役者にはできない演技、というほどのことはないのですが。

しかし彼のせいでももしかしたらこのドラマが一般には観られなくなっているのだとしたら勿体なくもあります。

『贖罪』と言うタイトルの番組で彼の姿を垣間見たというのも意味ありげなことではあります。

そしてネタバレ中のネタバレになりますが、香川照之氏は逆に好きではないのですが黒沢清監督作品ではやはり良いので不思議です。

と言っても彼は『鬼が来た!』から知っているんですがねー。