さて
さて四巻。
三巻の終わりで武田信玄死亡か?という問題が投げかけられるのだが四巻に入るとそれどころではない事件に突入していき信玄などどうでもよくなる(すまん信玄)
というか私が今回『徳川家康』を読み始めた理由はまさにこの四巻に描かれた「築山殿&信康事件」を知りたかったからなのだ。
一応史実として「築山殿と長子である信康に家康が自決を命じる」というものがあるが「果たしてそんな非道なことがあるのだろうか」というのが私の疑問なのだった。
これには同盟しかも向こうが上の立場である信長からの「妻子を自決させよ」という命令があったため仕方のないことだった。悪いのは信長という説明もあったりして何が何だかよくわからなくなりしかも現在放送されている『どうする家康』ではこれまでの史実とされるもので悪女の築山殿が聖女として描かれている、という噂も聞きますます事態は闇の中になっていく。
で今回の四巻である。
ネタバレしますのでご注意を。
おおいに合点がいきました。
『どうする』では築山殿が「平和を願う聖女」として描かれたそうですがそれでは確かに物語の持つ意味が薄くなってしまうでしょう。
なぜなら家康が築山を娶らねばならなかったことこそが戦国時代の闇であるからですね。もともと家康は築山に行為はもっておらず今川家の命令ならと仕方なく結婚しただけのものだった。
四巻では家康だけでなく他の人物も戦国時代の掟ゆえやむなく家族を人質にし死に追いやらねばならない悲しみが描かれます。
築山殿はここで稀代の悪女むしろ狂女というべきタガの外れた描写をされますがそれも戦国時代と封建社会の逃げることのできない圧力で歪まされた哀れな女性だと私は思っています。
その息子信康にいたっては戦国時代という理由だけではなく毒親問題を考えてしまいます。本作で家康は「信康を離して育てさせたのが間違いだった」と悔やみますがそもそも好きではない築山殿との間の子どもに愛情を持てなくて遠ざけていた、としか思えません。
しかし子どもにとっては父親からそんな風に嫌悪されているのは辛いことです。本作での信康は常軌を逸した狂暴な性格を持ち主として描かれていますが父・家康に対しては思慕と敬愛を常に持っていてもっと愛されたかったのではないかと思わされます。
そして母・築山の乱行にも目をつぶり相手の男は憎んでも母自身には愛情を持ち続けています。
結局築山の愛人・減敬や家臣の大賀弥四郎は殺されてしまう。武田勝頼との画策は消え去る。
信康の悪行は正室徳姫から父である信長に「ご不審十二か条」と記されて報告された。
信長はすぐさまは問題にしなかったものの二年後に取り出す。折しも城普請に参っていた酒井忠次・大久保忠世を呼び寄せ信長にとって娘婿の信康の噂を確かめる。
ふたりは信康の我が儘は母親の築山御前の教育だと信長に告げる。今川家の築山御前はいまもなお織田信長を仇とみなし息子信康にもそう言い続けているのだ。
酒井・大久保は家康の元に戻り信長から伝えられた信康ご不審十二か条を話した。家康はそれらをまったく知らなかった。
父親が知らない息子の乱行が嫁を通じて舅である信長に筒抜けになっていた。
今川家の姑と織田家の嫁を同じ岡崎に置いたのが落ち度だった。信康は我が手元で育てるべきだったとここで家康は悔やむがあまりにも遅い。
これまでこの三人がどんな地獄にいたかをまったく家康は考えなかったのだ。
しかも三人は逃げる道がないのだ。
しかも悲しいことに信康は偏愛した側室のアヤメが自殺してから正室である徳姫とよりを戻し仲良くなっていた。
家康は信長に許しを乞うと言って使者を出すがそ拒否されたとして信康に会うがここでも家康の態度は冷たい、と私は感じてしまう。
そもそも、家康は父親の愛情を受けずに育った。愛情を受けずに育った子供は愛の伝え方を知らないという。もちろん自分の子どもには愛情深くできる人間もいるだろうがこうしてみると家康は子供への愛情を学べなかった(少なくともこの段階では)人間なのだ。
家康は誰かが自分の思いを汲み取って信康を逃がしてはくれまいかという馬鹿々々しい希望を持ち続ける。そんなことは自分でやるべきことであって他人に望むことではない。
家康の子殺し、は史実通りだった。
いろいろな言い訳はしているけど結局子どもに愛情を持てない憐れな人だったのだ。それもまた家康自身が戦国時代ゆえに背負わされた人質という運命のなせるものではあるのだが。
築山御前を殺す男たちも哀れな人たちだとしか言いようがない。
戦争というものは人間を歪ませてしまう。