今更ながら感心してしまうのですが横山光輝マンガの魅力とはなんだろうと考えさせられます。
わかりやすく簡潔な運びなのに味わいがある。人物が低い頭身で描かれているのにすらりと背が高く見える。ユーモアと残酷さも併せ持つのが横山マンガの妙味と思えます。
ネタバレしますのでご注意を。
家康の面白さは信長のような勇猛な鋭さがないところなのだろう。
「一向一揆」の章は大きな戦国物語の中で切り落とされてしまうかもしれないサイドストーリーとも言える一話だが最も大切な一話でもある。
ここで家康は敵国ではなく自国の家臣たちの反逆と戦うことになる。
いわば味方がふたつに分裂され互いに殺し合って力が半減してしまう予測がされる。
反逆を扇動したのは一向宗の僧侶で「仏を取るか家康を取るか」と戦い始めたのである。家康は徒党の本拠である寺院を焼き払い反逆の家臣たちを成敗するとしたがこれに反対したのが母である於大だった。
「そち達あっての松平党ゆえ我が手脚は斬るに忍びぬ。罰するにもしのびぬ。この家康のこころがまだわからぬかと戦うたびに家臣に告げてさっさとお引き揚げなされませ」と言うのだ。
「じゃとて法敵とののしり、我に刃向かうた者どもを」となおも反論する家康に
「そのままお許しなさるが仏の御心。法敵でなかった証拠」と母は言う。「殿が今戦っているのは三河侵略の敵ではなく殿の家臣であり三河を支える領民たちです」
そうか。御仏を選ぶか領主を選ぶかではなくわしも家臣もすべて御仏の大きな手の中にあるのだ、と家康は気づき母に感謝した。
その後の戦いで家康は槍の双璧と言われる蜂谷半之丞と対峙するが半之丞は家康の「うぬは我が家の家の子だ。僅かな過ちは許してやれと仏にいわれた」という言葉に逃げ出してしまう。
また渡辺半蔵は百姓の女房から朝飯をもらって食する家康が優しく女房を労う姿を見て戦意を無くしてしまった。
ふたりが家康に降伏してもおとがめなしと聞いて次々と家臣たちは戻ってきた。
騒ぎを扇動した渡り者の法師たちはいずれかと逃げ去った。
領民たちはまたいそいそと農耕にいそしみだした。
あとでこの一揆は今川の画策したものであると噂された。
この話は重要だ。家康を導いたのが賢母・於大の方である。
では築山御前の話はどうだろうか。
於大の方と真逆の女性である。
賢く仏の道にも詳しい理性の女人・於大の対照的に感情のみで行動していく女人・築山御前。
今川家の栄華に染まった高慢な女性で家康自身は最初から好きではなく(亀姫という別の女性が好きだった)政略結婚でやむなく迎えた存在だ。しかし築山御前の方は(少なくとも本書では)最初から家康が好きでそれゆえに嫉妬に駆られ激昂していく繰り返しなのだ。
その姿を見ているとあまりにも気の毒になってしまう。彼女には家康だけがすべてなのだ。
もし彼女が他に目的を見出せる女性だったらこんな悪鬼のような存在にならずにすんだのではと考えてしまう。
家康はいまだに初恋の亀姫を思い今もなお魅力的な女性であることに「憎いおなごよ」と賛辞したりしてるがそんな暇があったら目の前にいる哀れな女性に心を砕くべきだったのだ。しかし家康と言う男にはそんな器用なことはできない。
そしてまた亀姫に瓜二つという女性・愛を知って側女にする。
築山御前を疎んじた家康はその因果を報いられることになっていく。
その後家康は松平を徳川と変え力を伸ばしていった。
姉川の合戦で家康は信長に実力を見せつけた。
武田信玄との三方ヶ原の戦いでは鶴翼の陣で応戦し完膚なきまでに叩かれる。
が優勢な武田勢が野田城を落とす途中で信玄公が急死したという報告がされる。
築山御前と家康の長子である信康にあやめという女性が側女としてあてがわれ内部を攪乱させていくという武田軍の陰謀も繰り広げられる。
さてどうなりますか。