ガエル記

散策

『漫画版 徳川家康』横山光輝 原作:山岡荘八 第五巻  その2

ネタバレしますのでご注意を。

 

ここから家康と石川数正、信雄と三家老の話が秀吉との関係で対照的になされる。

 

すでに頂点に立ったという形の(一応まだ織田家が主筋とはなっているが)秀吉相手に二組が苦闘することになる。

家臣のほうはどちらもひたむきであるのは同じだがその他家の家臣を取り込んでしまう力を持った秀吉にふたりの主君はまったく違う対応をしていきそれがそれぞれの運命となる。

 

本作は主人公が家康なので今まで家康の前にいたのは織田信長だったのがここから秀吉の威力が描かれる。

秀吉の面白さもまた格別だ。横山マンガのキャラクターは圧倒的に美形が多い中で彼はさすがに美形にはしずらかったよう。しかしさすが横山氏の筆は秀吉の魅力も際立っている。

 

秀吉と家康の家臣・石川数正との論戦は非常に興味深いものだった。

数正は秀吉と論議を続けるうちに家康の家臣たちから嫌疑の目を向けられる。あまりに頻繁に行き来するので秀吉と内応しているのではないかと思われてしまうのだ。

信雄の場合はここで三家老を斬ってしまうのだが家康は数正に論議を続けさせる。

ここで数正に対する皆の不平の堰を引き受けているのが本多作左だ。彼は常に松平家を健全に保てるよう心配っている。しかも明るく爽快に。

 

狡猾な秀吉との対話はまさに剃刀の刃の上に座っているようなものだろう。

そんな秀吉はこともあろうに家康と義兄弟になろうと言い出す。

意味が解らず問い返すと秀吉は家康に妹朝日姫の婿になれというのである。秀吉の妹は四十三歳、しかもその時すでに他家に嫁いで二十年経った女性を離縁させての結婚というのである。

そのために本作では朝日姫の夫は離縁した後切腹する。あまりのことに史実を覗くと自殺したとも剃髪して隠居したともさらにはとっくに離縁していたともされていて定かではないのだが本作ではあえて秀吉の狡猾さを露わにするため切腹という描写になったのだろう。(できるなら隠居ぐらいであってほしい)

が、この結婚散々ごねまくっていたため結局結婚したのは家康45歳、朝日姫44歳の時のようです。

なにしろこの間に家康は死に至るかという大病を患ってしまう。その病気を乗り越えて家康は朝日姫との結婚を決意する。

秀吉側では朝日姫も家康との結婚を案じていた。兄・秀吉の陰謀で後で滅ぼす所存の家康と結婚することに失望していたのだ。

この義妹の懸念を取り払うのが秀吉の妻寧々であった。寧々は秀吉に「家康殿を怖れての結婚ならば気が進まないのは道理」と言うと秀吉は「わしはあの男を見込んだからこそ朝日を嫁がせたいのじゃ」と答える。さらに寧々は秀吉の戦いぶりが関白らしくないとも伝える。「天下人の戦は攻めるのではなく征伐するもの。征伐というのは降伏させるのが目的である」とも言い「そうすれば朝日姫も疑うことはない」と言い秀吉は妻・寧々の手を取って感謝した。

 

秀吉はそれから寧々=北政所の言った通りに事を運ぶ。攻めではなく征伐、滅ぼすのではなく従わせる政策をとったところ佐々成正、上杉景勝をはじめ諸大名がおとなしく人質を差し出し秀吉に従ったのだ。

徳川家にも人質の催促がきたが家臣たちはそろって人質よりも戦を望んだ。

これに石川数正は反論するが家臣たちの考えは変わらない。その中で数正は家康と作左だけが自分の考えを理解していることに気づく。だが他の家臣たちは世の中の動きが解っていないのだ。

数正はここで岡崎を出て秀吉のもとへ行こうと決意した。

そして数正は秀吉のもとへ赴き「誰の家臣でもない自由」を求める。「いうならば天下のための家臣、天下のための無二の忠臣でありたい」というのだ。

 

その後家康は北条家と手を結ぶが北条父子に失望するところで五巻は終わる。

 

石川数正と本多作左に痺れました。