ガエル記

散策

『漫画版 徳川家康』横山光輝 原作:山岡荘八 第六巻

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

幼い頃から人質として過ごさねばならなかった竹千代が辛抱に辛抱を重ね努力を積み少しずつ上昇して岡崎城を取り戻しなおも進み徳川家康として磐石ともいえる地位をなした。

しかし人生の辛苦はむしろここから始まっていくようにも思える。

 

信長は恐ろしい人ではあったが彼自身も成長期だったからもあって家康にとって眩しい存在に映っていたのではないだろうか。

その頃から知っている存在ではあったものの家康と秀吉との関係はあまり気持ちの良いものではない。

六巻の冒頭から始まる家康と朝日姫の婚儀もまったくの形式だけの夫婦というのが悲しくもある。何しろ結婚して3年後に朝日姫は死んでしまうのである。47歳の死というのは随分早い気がするが想像するに貧しい生まれ育ちの女性である。あまり丈夫ではなかったのかもしれない。年齢以上に年老いていたのかもしれないとも思う。

描かれ方としてたぶん家康からは妻として愛されるような出来事はなかったかのように思われる。それだけで終わってしまっていたらあまりにも悲しいが(離縁した夫とは仲睦まじくあっただけに)子どものなかった朝日姫に長松丸という息子ができる話がすごく心に染みる。

 

この時代にあって武士の男というのはこういうものだ、と言われてしまえばおしまいだが家康という男は家族への愛が薄い。そういう意味ではさすが武家の家柄ではない秀吉は家族愛が強い。

しかも家康は特に両親からの愛情を受けずに育ってしまった男である。愛情のそそぎ方もわからないのかもしれない。

以前はあれほど愛し求めた「愛」(何しろ最愛の初恋の女性にそっくりだといった)に対しても重病なのにそれを気付かないほど薄情になってしまっているのだ。しかも描かれてはいないけど新しい側女に夢中になっているという。

その愛との間に生まれた息子長松丸への接し方もなんとなく冷たいものを感じるのだがこれが武士というものなのか。少なくとも作左はもっと愛情深い気がする。

しかしそこに登場した朝日姫は母親を亡くした長松丸の母親代わりになってあげたいと愛情を注ぐ。長松丸がまたいい子で義母の朝日姫に対し慕っているのが可愛らしい。

お行儀良くてかわいい。

 

聚楽第で病に着いた朝日姫は長松丸に会いたい一心で粥を食して命を長らえようとする。そしてやっと会えた長松丸に豪華な衣装と刀を贈るのだ。

その姿を見て朝日姫は亡くなる。

この悲しい物語の中で少しだけほっとするエピソードだ。

 

その後、家康は江戸を開拓する。

未開の土地を開拓することで二百五十万石にもなれば一大勢力を持つことができ天下を平定するだけのものとなろう、と考えたのだ。

 

ところでこの『徳川家康』を横山光輝氏が描いていた頃重なって『三国志』も描かれている。というか『三国志』を描いている途中から始めている。

この二つは奇妙にも設定が重なっていると思える。

家康は最初竹千代時代から始まるのでその頃はぴんと来ないが壮年期になってからの家康と劉備玄徳は殆ど同じ顔で描かれるのは横山氏にとって似たものを感じられたからではないだろうか。

そしてこの家康の江戸開拓は玄徳・孔明の蜀征伐と重なって思える。違うのはもちろん玄徳・孔明の蜀建国が敗れ去ってしまったのに対し江戸はその後ずっと続いていることだ。

家康と玄徳が忍耐忍耐で人生を送ったこと、信長・秀吉に値する曹操孫権というライバルがいたことも似ているとも言える。

 

ここから秀吉は朝鮮出兵に乗り出すが補給路を断たれた侵攻軍は飢えに苦しみ反撃を受ける。

秀吉は明国との講和の道を探り出すがこれも上手くいかない。

そうした中で秀吉は六十歳前で跡継ぎを授かるがこれまで秀吉に可愛がられていた甥・秀次の謀反で切腹に追い込み妻子も虐殺していく。

 

あれほどの切れ者だった秀吉が跡継ぎの秀頼のために哀れな老人と化していく。

それを見て家康は「このような死に方はしとうない」と思うのだ。

 

崩れていく信長秀吉や他の武将と違い家康は最期まで明晰でいられたのかもしれない。

だけどそれが幸福なのか私にはあまりよくわからない。

愛情薄く育った家康は秀吉の醜い姿に目を背けるが親の愛というのはそうしたものなのではないだろうか。

人間は非情ではない。

家康が残り得たのは愛情が薄く非情だったからとも思える。家族愛が薄かったからこそ家族よりも国のことを考えられたのかもしれない。