ガエル記

散策

『漫画版 徳川家康』横山光輝 原作:山岡荘八 第七巻

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

関ケ原の合戦で勝利を得、家康の地位は不動のものとなった。

家康は淀君・秀頼母子をおとがめなしとした。

 

 

七巻。家康は天下泰平のために尽力していくがこれがほんとうに難しい。以下は家康の立場から見た物語と言えよう。

 

ここに真田幸村が登場し家康の考え「天下泰平」はおこがましいと持論を述べる。「この世に平和などない。誰がが幸福であれば誰かが不満を持つ」というのだ。しかし家康はこの世を幸福にしてみせると宣っている、そのことを嘲笑するようにあえて豊臣家の肩を持つ、と幸村は大坂城に赴き家康が陣頭に立つ江戸と戦う。

 

すでに隠居を決め次世代に引き継がせたつもりの家康だったが事態はそう上手く進むものではなかった。

家康は豊臣家を守りたいと考えて淀君・秀頼母子を大坂城にとどめおいて自らは江戸に居したが「大坂城は威嚇の城。そこに秀頼様を置かれるは酷いことだ」と進言される。

後に我が子・忠輝から「大坂城をいただきたい」と言われ驚き怒る。やはり大坂城は心を惑わせる城だったのだ。

 

天下泰平を望む家康に叛くように世の中は争いへと向かっていく。

淀君・秀頼母子と戦わずに大坂城から移転させようという家康の思惑はかなわないまま戦へと進んでいった。

できるだけ開戦を延ばし続ける家康だがついに大阪冬の陣に突入する。

が、戦闘が始まる前に和議が成立する。

それは淀君と茶阿の局による女性同士の和議であった。

これを不服とした幸村は木村重成と掛け合い単独で戦を仕掛けるつもりだったが女性たちに取り囲まれ酔いつぶれる秀頼を見て負けを確信するしかなかった。

 

家康は男たちを動かす女達を計算してすべてを策略したのだ。幸村は戦いの駆け引きは知っていてもそれを知らなかったのだと自覚した。

 

その後大坂城の堀は埋め立てられる。家康は千姫自ら縫い上げたという小袖を贈られ涙する。

幸福感に包まれながら家康は駿府へ向かいここに滞在した。

がここで家康はまたもや戦の兆しを報告される。

 

七十四歳になった家康にはまだ試練が残っていた。