ネタバレしますのでご注意を。
完結の八巻です。
天下を統一しなおも荒ぶる世の中に泰平を望み老齢の体に鞭打って働き続けた家康。
多くの夢を果たした家康が最期まで悩み続けたのは我が子との関係だった。
これは特に前世代の父子=働くことだけが男の人生という価値観を持った男性たちはよくよく読むべき内容だと思わされる。
とはいえこれは「親の言うことは正しいのだから子供はよく言いつけを聞くように」とか「子どもを正しく導ける父親でなければならない」という意味ではない。
むしろ「家康ほどの知恵者であっても親子関係を考えるのは難しかった。家康自身その考え方が正しかったわけではない。正しい道を知るなどということはあり得ない。関係性の中でより良い道を探っていくしかない」というようなものだろうか。
本作では家康と将軍職につけた(いわば跡継ぎの)秀忠、そして家康にことごとく反目する忠輝との関係が対比的に出てくるが私にはどちらとも家康の愛情を深く感じているようには見えない。
むしろいつも叱られてしまう忠輝のほうが父親の愛情を強く求めている、と思える。
いわば秀忠は賢くて家康との関係性を柔軟にこなしてきたのだろう。が、途中で弟であう忠輝に切腹を言いつける父親家康に対して「では千姫への対処は私にお任せください」と言い出して家康を狼狽させる。家康は「男の忠輝と女の千姫では責任が違う」と言い逃れようとするが「父上の考えを通せばそうなるはず」と論を張る。
孫娘が可愛い家康にとってこれは痛い反論だった。
家康の忠輝への対応はなんとも歯がゆい。武士であるゆえといえばそれまでだがなぜこうも愛情が薄いのか、とも思う。
結局家康という人は幼い時にあまりにも愛情を受けそこなってしまったのだろう。家康は最後まで自分自身では忠輝は自害するしかないと考えていて松平勝隆に使者を頼む。
ここで勝隆が家康の命令を断り謹慎を命じる方へと懸命に説得したことで忠輝は命を救われる。
勝隆の意志がなければ家康はまたもや我が子を殺してしまうところだった。
むろんこれも戦国時代の科でもある。
家康の子・忠輝もまた最後まで腹切りで解決しようと考えていた。これを救うのもまた勝隆の「どちらが人生を真剣に生きたか、競おうと申されました」の言葉であった。
まあまあ忠輝の「世界征服の野望」は確かに止めてよかったと思う。
家康は死の床についてもなお「今の世はまだ愛しいものを愛し切れるほど豊かに進んだ世ではないのじゃ」という。
そういう意味では現在もなお豊かに進んではいないのだろう。
愛し愛されることがなぜこんなにも難しいことなのか、と思う。
そして本作では家康は我が子に対しては悩んだが女性との関係性に対しては何も語られない。その考え方も日本では今もなお続いているように思える。