ガエル記

散策

『漫画版 徳川家康』横山光輝 原作:山岡荘八 第三巻

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

今川義元は松平元康の忠義心を試すため織田軍に囲まれている「大高城に食糧を運び込め」という命令を下す。

元康には否はない。

12歳の鍋之介の出陣願いに元康は彼を元服し本田平八郎忠勝という名を与える。

元康は十八歳。運命を賭けた出陣であった。

 

が、元康は敵を罠にはめ被害を出すこともなく食糧を大高城へ運び込んでしまった。

波太郎はこれをおもしろがる。

これで松平元康は今川義元織田信長の両人から認められる。

元康を味方にした者が東海の覇者になる。

さて問題はこれからだ。義元は上洛の際には間違いなく元康を先陣とする。

今度は信長も必死だろうから松平勢だけでぶつかれば大きな痛手を被る。そうならないために波太郎は手をうとうと考えた。

 

元康軍が戻るところを待ち構え「水野の旗本」と名乗って遠巻きにして追ってくるという奇妙な行動を取った。

これを元康は受け止め次の出陣の言い訳を得た。

 

予想通り今川義元は上洛を決意しその先陣に元康を指名した。

ここで元康は必ず違った方向へ血路を求めようと考える。

 

藤吉郎は台所奉行へと出世していた。

信長は藤吉郎を呼び出し今川勢がこの城の前に着くまでおれは寝ていようと言い出す。

 

そうして今川義元は松平元康に丸根の砦を落とせと命じ岡崎勢は死闘を尽くして敵将佐久間大学を討ち取った。

続いて吉報を受け取った義元に波太郎を頭にして「礼の者」が昼食を貢物として差し出した。

その頃藤吉郎は信長を「起こし」信長は家臣たちを熱田に集結させ駆けに駆けた。

狙うは今川義元ただひとり。

目指すは田楽狭間。

その地では義元が貢がれた昼食を取っていた。信長は出現した雨雲を見て期待する。

雨の中二時間を過ごし地がぬかるむのを待って信長は突撃させた。声をたてずに。

ぬかるみの中で織田軍が攻め込む中服部小平太・毛利新介が義元の首を討ちとった。

 

その頃元康は数人の家来をつれ、そっと大高城を出て阿古居城を訪れた。そこに母・於大の方がいるのだ。

最後になるかもしれないとの思いで元康は敵陣にいる母に会い幸福な二時間を過ごし名残惜しくも戻っていった。

その後信長が今川義元を討ち取ったと報告がはいる。

ここでも於大はすぐさま元康を助けるために手はずを整える。

水野家の家臣・浅井六之助は敵方である大高城に入り元康に状況を知らせ元康は岡崎に帰って後の動きを見届けることにした。

敵に気づかれぬよう少数ずつ城を抜け出していった。

 

元康は菩提寺である大樹寺で過ごすこととなった。

が、奇妙な出来事が起きる。岡崎城を占拠していた駿府の代官が織田軍に恐れをなして城を捨て駿府に戻っていったのだ。

これを見た元康は家来たちを引き連れ岡崎城へと進む。

そこはすでにもぬけの殻。岡崎城はついに岡崎衆のものとなったのだ。

 

岡崎城主となった元康はもう誰の人質にも家来にもならないと誓う。

自分の意志で織田家と和睦した。

これを聞いた駿府今川氏真は怒る。

おもしろいこの人。

この人も曹操みたいなのだけど曹操のかっこいいところは信長に行っておかしいところは氏真に行ってる。

氏真は怒りで鶴姫とその子どもを除く松平の人質を全員残虐に皆殺しにしたのだった。

これを聞いた元康は「今川ともおしまいじゃ」とつぶやく。そして信長に会いに行くと決めた。

 

従者は二十二人。決死の覚悟で元康に従った。

信長は元康に頭を下げ挨拶をした。居並ぶ家臣は驚き藤吉郎だけがにやにやと笑っている。

信長は竹千代と呼んで横に座らせ兄弟の盃を交わした。

信長は喜び明日は子供の頃遊んだ場所へ行ってみようと約束した。

ここで元康は田楽狭間の合戦後どの順番で家臣を賞したかを問う。

第一には斥候。第二は真っ先に槍をつけた服部小平太。首を討ちとった毛利新介は第三と信長は答えた。

これは人の心をつかむ。

 

さて元康は人質交換の策を練った。

忠次が使った伊賀忍者の働きで鵜殿長輝の城に火を放ち元康は西郡の城を手に入れ長輝を討ち取りその妻子を人質としたのだ。

石川数正を交渉役として向かわせた。

数正は瀬名(鶴姫)に説明し氏真と交渉を成立させた。

すぐさま瀬名は岡崎に向かった。

ここで面白いのは瀬名ががっかりしていることだ。瀬名は権力者今川義元の姪であることがなにより誇りであった。さらに中央進出を目指した今川家にいればより華やかな未来が待っていると期待していたのが一転岡崎の田舎で暮らすことになったのがたまらなく悲しかったのだ。

さらに瀬名の父・関口刑部少輔親永が切腹を命じられたと報告される。

瀬名はすべての原因は元康が今川家に逆らったからだと嘆き悲しんだ。

 

岡崎城では瀬名母子のために城の北の築山に新しい御殿が造られ瀬名はそのまま築山御前と呼ばれるようになった。

七夕祭りの準備の中築山御前は息子竹千代と織田家の惣領姫との婚約がなされたとの報を受ける。

今川義元の姪である築山御前にとって信長は仇である。

その娘と我が息子の結婚は許せないものだった。

しかも元康は今川家との縁が切れたとして松平蔵人家康と改名した。

家康は理路整然と我が息子と織田家の姫の結婚の説明をしたが築山にとっては苛立ちでしかなかった。

築山は苛立ちから家康の浮気を考え側女の万に家康の身辺を探れと命じた。しかし万は逆に家康に手を付けられてしまう。

そのことを知った築山はさらに激怒した。

 

風の噂に聞くと『どうする家康』では築山様がどうも良い人であるらしい。

しかしこうやって読んでいると築山御前が歪んでいく様子は当然と思える。

その差の理由を知りたい気持ちがすごくある。