ガエル記

散策

『肉弾』岡本喜八

なんと書いていいのか困っています。これは観方を間違えてしまうとまったく違う答えというか真逆の評価をしてしまいそうだからです。

 

つまり私たちはこの男にそのまま共感してはいけないのですね。

この男は「馬鹿」なんです。

「こう生きてはいけない」という話なのでした。そこが鍵でした。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

主人公の若い男は学識はあるのだけどまっすぐで朴訥ともいえる人格です。ここで私たちはこの男に共感し共に歩もうと思ってしまいますがそれは間違いなのです。

この映画はオリバー・ストーンの『7月4日に生まれて』の系譜の元にあるのです。もしかしたらストーン監督は本作も観ているのかもしれません。

この映画たちは「間違った生き方」「間違った男」の映画なのです。

そういう意味では『火垂るの墓』でもあります。

 

主人公は「こうあってはいけない男」です。

 

主人公は戦争訓練が上手くできず上官からのしごきで全裸にされ殴られ豚と罵られます。つまり人格を徹底的にはぎ取られてしまうのです。ここでは戦争による人格破壊の無残さがくっきりと描かれていて痛快です。

その後特攻によって死を運命づけられた主人公が向かうのは売春宿です。

童貞である主人公はせめて死ぬ前に女性と結ばれたいと願い買春宿に行きます。

主人公はそこにいる売春婦たちの顔形に「醜悪さ」を見て「化け物だ」「あれは女じゃない」と罵ります。

が売春をしている女性たちもまた主人公と同じように人格を破壊されている存在なのです。主人公男は自分の醜さは棚に上げ女たちを罵るのです。

 

私は最初この描写は時代的なもので当時はこれが当然だったから男が売春宿当たり前のように行き当たり前のように年老いた売春婦たちを罵っていると感じて憤ったのですがその受け取り方は間違いだったのです。

 

この映画は「間違った男」を描いているのです。

 

「間違った男」はそこで出会ったセーラー服の美少女と結ばれ「君を守るために戦う」と間違った認識をして叫びます。

結局主人公は誰も守れはしないのです。自分自身さえも。

 

さらに恐ろしい場面が後半示されます。

ひとり砂浜で訓練をする主人公のまえに突然不思議な三人の女性看護師(?)が登場するのは面白かったのですがその後この三人の女性は兵士たちの集団に襲われるのです。

 

月明りの中で主人公は3人の女性たちが多くの男たちに襲われ服をはぎ取られ裸にされ(レイプされる場面はないが)ていくのを見て「古代の男女の交わりの儀式」のような幻想を思うのですが襲われている女性たちにとっては暴力でしかありません。

そこで女たちは嬌声のような笑い声をあげ男たちが3人の女を抱え上げていくのを主人公は微笑みながら見ているのですがこれはいったいどういうことなのでしょうか。

何故主人公は女性たちを救いにいかないのか。せめてその気持ちを示すわけでもなく「古代からの交わり」と思うのは完全におかしくなっているとしか思えません。

主人公は本当に気持ち悪い間違った男なのです。

もしくは戦争によって間違った道へと導かれてしまった男なのです。

 

男は戦争が終わった後も「皆を守る」と言いながらひとり戦い続けます。

大海原でちっぽけな特攻魚雷のようなものにまたがって敵機を待ち続けるのです。

平和な浜辺で大勢が海水浴をしている先で骸骨になっても戦い続けているのです。

 

 

この最期もまた『火垂るの墓』の最期に似ています。

あの少年もこの男も戦争によって狂わされました。

その要素はあったのかもしれませんが戦争で狂ってしまったのです。

男はどうするべきだったのか。

どうしようもなかったのか。

考えなければなりません。