表現の不自由展の慰安婦の少女像は反日だから展示やめろという人もいますが、それは表現の自由の抑圧だと思います。「宇崎ちゃんは遊びたい」の献血ポスターもセクハラだからやめろという人もいますが、それも行き過ぎだと思います。ただ、両者ともに、批判したり不快感を示すのは自由だと思います。 pic.twitter.com/FybdTgeZ2j
— 町山智浩 (@TomoMachi) October 18, 2019
この献血ポスターがセクハラと認定されると適切さのハードルが曖昧になります。肌を露出してなくてもセクハラなら線引きはどこなのか、胸の大きさはどこまでOKなのか、何が性的で、どこを公的な場所とするかは人によって違い、厳密に規定できないので、範囲がどんどん拡大される危険性があります。 https://t.co/To4OSJX2ID pic.twitter.com/Zh6OtF4oI2
— 町山智浩 (@TomoMachi) October 18, 2019
線引きの客観的な基準はどこですか? 見せちゃいけない公の場所にテレビは入りますか? 胸が大きいといけないならどこまでOKなんですか? ラムちゃんは? キューティハニーは? 峰不二子は? 鉄鍋のジャンのキリコは? https://t.co/KeuTIRVGfs pic.twitter.com/uEimRCODHU
— 町山智浩 (@TomoMachi) October 18, 2019
こうした女性性を強調したイラストが日本赤十字社による献血を呼びかかけるというまっとうな公共性を持つポスターに使用される、ということに困惑している、ことを町山智浩さんがどうしても認識できずにいる、ことが困惑なのです。
映画評論家として名高く人気のある町山智浩さんのツイートは政治性もあり差別などの様々な問題にも積極的に発信されていて多くの支持者があります。
私も町山氏の特に映画に関する知識の豊富さ、鋭い分析に感心してきましたし、ツイートも読んできました。
その方が、ことこうした女性にとって女性性を売り物にする社会の在り方がどんなにおぞましいプレッシャーを与えているか、という事に関しては凡庸な男性と同じ発想になってしまうのだ、ということに失望してしまうのです。
幾つかの続くツイートを見ていると町山氏の自分の判断は決して間違っていないと思われているようです。
彼のツイートへのリプライは賛否両論ですが、町山氏は否定派のリプライを深く考えておられるのでしょうか。
3番目のツイートでは人気のセクシーキャラを取り上げ「こちらは良いのに献血ポスターはダメというその線引きはどこにあるのか」と書かれていますが、問題はそのキャラクターを「赤十字による献血呼びかけ」というあまりにもまっとうで大切な公共性のあるものに使用したからであり、こうしたことでよく言われてしまう「嫌なら見るな」はこの場合適用することもできないからです。
オッパイ強調の女性に対抗してペニス強調の男性もポスターにすれば、というアイディアはこの場合当てはまりません。多くの女性がそのような男性イラストに好意を持つ、ということを今までに経験したことも聞いたこともないからです(一人もいないとは言いません)
しかしどのような反応があるのかをテストするために股間が50倍くらい膨れ上がって垂れ下がるような男性が献血を呼びかけるポスターを作ってみたら?とは思いますね。
しかしなんとも空しい対抗意識ではありませんか。
実際は大学生という設定らしいのですが、子供にしか見えない童顔で巨乳という「宇崎ちゃん」という女性キャラ。
マンガ、という狭い世界で楽しむのは一向にかまわない、と否定派の多くも言っているはずです。
しかしそのキャラを「献血呼びかけ」という公の場に持ち込み、男性の目だけでなく女性にも見える場所に置くことが「どんな意味を持つのか」ということを町山氏をはじめ多くの男性が「まったく理解できない」らしいのです。
喜ばしいことに男性の方でも「これはダメだろう」と理解されているかたもおられるのです。これは想像ですが年齢差も関係しているのかもしれません。
2019年が始まって間もない、と書かれているのでその頃の記事ですね。書かれているのは男性のようです。きちっと筋道を立てて書かれていてこんがらがった思考が整頓されてすっきり見渡せたように思いました。
町山智浩さんはこのような考えを読まれたことはあるのでしょうか。読まれても自分の判断は間違いではないと思われるのでしょうか。
あの映画での鋭い分析はこのポスターにおける反応が男女で違うことには向けられないのでしょうか。
一部の女性は受け止められるのかもしれませんが、何故多くの女性たちと一部の男性がこのポスターがダメだと感じるのかをいつもの深い分析力を駆使していただきたいと思います。
「良い思考を持つ人だ」と感じていた人が年を経て「そうでなくなっていく」と感じることがあまりにも多いのです。
町山智浩さんがこの問題をどう考えていくのか、大切なことだと感じています。