ガエル記

散策

『ターミナル』スティーヴン・スピルバーグ

 

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実をいうとかなりの話題作だったにもかかわらず今回初めての鑑賞でした。監督がスピルバーグだったのも観終わった後で知りました。だからあんなにテレビで宣伝されていたのですね。

宣伝のイメージもあってなんだか観る気がしなかったのですが、今回観てとても面白かったです。改めてアメリカ映画はパワフルだなと感じました。

 

ところで別の方々のレビューを見ると案外微妙で褒めているものもありますが「とんでもない失敗作」「穴だらけの脚本」「何の主張もない意味なし映画」というような酷評が多いので驚きました。もっと絶賛されているのかと思い込んでいたのです。

 

特に私はこの前日にNHKドラマ「歪んだ波紋」を観ていましたのでこの二つの作品にある人間性と思考の違いにがっくりしたのもあります。

物語中の内容は違いますが

「人間が問題に襲われた時にどう立ち向かっていくか、を表現する思考がまったく異なっている」

のです。

つまり、

「どう立ち向かっていくか」というより

「どう立ち向かっていくかの表現が違う」

のです。

クリエイター側の思考が違うのです。

 

もちろん問題を抱えた人間の思考も違うでしょうがこの場合、どちらも映像作品というフィクションなので製作した者の違いが問題になります。

 

『歪んだ波紋』では「頼る者を失ったシングルマザー」をどう助けるかという問題に対して見守るという対処とかかわりを嫌がる彼女に人情という形で援助をする、という表現を選んでいます。

『ターミナル』では「母国を失った独りぼっちの異国男性」が滞在できる空港内でなんとか生き延びる術を見つけそれに共感した人々が契約をしながら援助をしていく、という表現を選んでいます。

 

前者は極めて日本的であり、後者は極めてアメリカ的と言えそうです。

私は前者に気持ち悪さを感じ、後者に納得とを爽快感を持ったのはどういうことでしょうか。

 

『ターミナル』に不満を持つ人のレビューは「登場人物の言動に筋が通っていない」「設定にまとまりがない」「主人公の大切なものがたいしたものではなくがっかり」というものが多いのですがそうした考え方が『歪んだ波紋』のようなドラマ作りにつながっているのではないでしょうか。

物語にもっとも大切なものは問題とされていません。

もっとも大切なもの、というのが作品のテーマであるのですがそれは人間の尊厳、生きる力、というものでしょう。

 

『ターミナル』で年老いたインド人の掃除人がとった行動に私も驚きましたが、彼は卑怯者になることより自分の尊厳を選んだのでした。

毒のある男ばかりを選んでしまうという美人アテンダントはビクターの美しい毒の無い魂に触れた喜びを初めて感じたのでしょう。

悪意に満ちた警備主任は最後に自身の任務の最も大切なものを選択しました。

 

人間にとって大切なものを選択する作品として『ターミナル』はなんの穴もない完璧な作品なのですが、「言動のすじ」のような部分にのみ注目する人には穴だらけの作品と見えるのだということが判りました。

「重要なもの」の差異によって評価はこうも変わってくるものなのです。

 

ビクターにとって重要なものは自分の国の幸せと父への約束だったのです。

それは意味付けにしては小さい、と他人が判断できることではありません。

 

『ターミナル』というタイトルもまた意味深く面白いですね。

人生がここで別の生き方に変わるのです。