ガエル記

散策

ナルチスとゴルトムント ヘルマン・ヘッセ『知と愛』より

 

f:id:gaerial:20200202061033j:plain


ヘルマン・ヘッセ『知と愛』についてもう少し。

特に勉強したことなどない者の戯言ですが。

 

この物語は大まかに3つの章によって構成されています。もう少し細かく言えば3つ目を前半後半として4つの章とするべきかもしれません。

第一章はマリアブロンという修道院で勉学し生活する二人の少年、ナルチスとゴルトムントの成長の過程。

少し年上のナルチスは容姿端麗であり且つ天才と呼べる明晰な頭脳を持ち非常に信心深く厳格であり、師から「高慢である」とさえ言われてしまいます。優秀なあまりに愛情を求めていないかのように見えてしまう少年です。

一方のゴルトムントは誰からも好かれてしまう愛らしい容貌で思考力もあるのですがナルチスのように勉学と宗教に没頭することを強要され拘束されることを望まない少年でした。

それでもゴルトムントは自分に優しく教え導いてくれるナルチスに敬意を持ち互いの考えを論じ合います。

この友情関係はとても貴重なものです。

後日短絡的で快楽主義と思えるゴルトムントはナルチスにだけは自分の深い思いを訴えていますし、他の人には自分をさらけ出さないナルチスはゴルトムントだけには自分の心を見せてしまう、しまいたいという思いがあるのです。

ふたりは論議を重ねます。厳格なナルチスは語り合ううちについ本音を漏らしてしまうのです。

ナルチスはゴルトムントを夢想家であり恋をする者であり母性的なのだと語り、愛と力と体験しうる力とが与えられている、と観察します。

一方ナルチス自身は他人を導き支配しているように見えるかもしれないが充実しておらず干からびた生活をしている、と断じます。

ゴルトムントは充実した使命、大地であり危険は感覚の世界に溺れることであり

ナルチスは観念の中にいて危険は真空の空間で窒息することである。

ゴルトムントは芸術家で母の胸に眠る

ナルチスは思索家で荒野にさめている

ゴルトムントの夢は少女であり

ナルチスの夢は少年を・・・

と語ったところでゴルトムントはナルチスを拒絶します。

 

他人には興味を持たないナルチスがゴルトムントにだけ深い愛情を持つのですが、そのゴルトムントは同性からの求愛にも思える言葉に驚きナルチスを退けたのです。

その後もふたりは友情を持ち続けますがゴルトムントは村娘やジプシーの女性に惹きつけられてナルチスに別れを告げ修道院を出てしまうのでした。

 

第二章はゴルトムントが流浪しながら数々の女性と関係していく描写が繰り返されます。

その中で彼は自身の芸術家の才能を見出し、彫刻家となるための修行をしその後も旅を続けついに最高の女性ともいえる美女アグネスと愛し合うのですが、彼女は伯爵の愛人であったためにゴルトムントは逃げ出します。その際アグネスの「わたしがばれてしまわないようにして」という願いをゴルトムントは守り盗みに入ったコソ泥を演じて伯爵につかまり死刑を告げられました。

死を覚悟したゴルトムントでしたがその牢に訪れたのは今はもう高僧となったナルチスその人だったのです。ゴルトムントは解き放たれナルチスと共にマリアブロン修道院へと戻ります。

多くの読者特に男性はこのゴルトムントの放埓な愛の遍歴の章のみを丹念に読むかもしれません。なんの位も財産も持たない若者がその若さと美貌だけで多くの女性との快楽を共有する旅がどんな意味を持つものかが次の章で語られます。

 

第三章はそれまでの自由で性の快楽に満ちた場面からがらりと変わって固く暗い修道院での暮らしの風景となります。

かつて輝くように若く美しかったゴルトムントは長い旅路の果ての死刑を目前とした牢獄暮らしも相まってひどく疲れ切り年老いて見えてしまうのです。

しかし古き友であるナルチスは彼を労り休ませました。回復したゴルトムントは修道院のために数多くの彫刻像を作り出します。それはナルチスをはじめ今まで出会った様々な人々を思わせる素晴らしい芸術作品となり多くの賛辞を得ることになりました。

ナルチスに救われ匿われたゴルトムントは再び対等な友人として対峙できるようになります。

そして大作である美しいマリア像を完成させたゴルトムントは再び旅に出ることをナルチスに申し出ます。

「これらの芸術作品を作り出すためには数多くの女性たちとの愛が必要だった。その愛の泉を汲みあげることでぼくは美しい像を彫り上げることができたのだ」とゴルトムントは主張します。「そしてその泉は今涸れ果ててしまった。もう一度愛を求める旅をしたい」と。

唯一の愛情の対象であるゴルトムントを手放すことはナルチスにとって辛く悲しいことだったはずですがナルチスはその願いを叶え彼を再び修道院から送り出します。

この長い物語でヘッセが描きたかったのはこのゴルトムントの凋落の描写なのでしょう。

といってもそれを批判し侮蔑するのではないのです。

彼は愛を求めそれを与えられ快楽として愉悦しましたが暴力や無理強いではありません。

が、性愛の遍歴を続けそれを汲みだしてしまった彼はすでに残骸のようになってしまうのです。

第四章はゴルトムントが三たび修道院へ戻ってからの短い描写です。

第三章ですでに若い女性から老人と見なされてしまっていたゴルトムントの二度目の旅は悲惨なものでした。

かつて数多くの女性たちから求められ愛された輝く青年ではないのは判っていたはずです。

アグネスは美しいままでしたが彼女はもう老いさらばえたゴルトムントを愛することはなかったのです。

憔悴しきった彼はすぐに修道院へ戻ることを恥じてしばらく彷徨った後に倒れこむようにナルチスの元へたどり着き、ただ一人の友人に看取られたのでした。

 

さてナルチスの生き方とゴルトムントの生き方のどちらを取るべきでしょうか。

私自身はナルチスなのでしょうが、彼であるがゆえにゴルトムントに憧れてしまいます。