ガエル記

散策

人はなんのために生きるのか

「人はなんのために生きるのか」

永遠の命題ともなっている感のあることばです。

「子孫を残すため」「じゃあ何のために残すのか」「子孫を残すだけが目的なのか」「私は残さないから死ぬべきなのか」などなど問答は絶えないものです。

私もいろいろ考えてはみたもののこれという答えは思いつかないし、他の賢い人の答えに納得がいくこともありませんでした。

皆さんはどうでしょうか。

 

ところが、先日NHKEテレだったか、の番組で小学生くらいの男の子がこれを聞かれてしばらく真剣に考えた後、

 

「自分が聞いたことを他の人に教えるためじゃないのかな」

 

と答えたのですが、この言葉が忘れられません。

 

これはもしかしたら、正解、なのではないでしょうか。

 

人間は他の動物よりも発達した言語能力を持った、と言います。

そしてその言語能力はほとんど「うわさを広める」ことに使われている、とも聞きます。

子孫を残すため、というのも結局はそうした「聞いたこと(知ったこと)を子々孫々に伝えていくため」と置き換えられるのかもしれません。

そうであれば自分自身が子供を産まなくても誰かに知識を伝えていけばいい、ということになります。

 

長く生きることはそれだけ長く他人からの情報を受け取ることができる、ということでありまたさらなる他人にそれを受け渡すことができる、ということになります。

ならば寝た切りはどうか、知能が劣る人はどうか、という話にもなりますがそうした人がそうでない人にそうした人はどうであるかという知識を教えていることには間違いありません。そしてそうした人もどうなるかは誰にもわからないのです。

さまざまな種類の人間が存在しそうした様々なデータを伝えていくことは必要なことなのです。

そう考えればだれ一人いなくてもいい、わけではないことが判ります。

悪い人もそれなりの保護下、監視下で生かせて情報を交換すべき、ということになります。

 

あの男の子はどうして少し考えただけでこんな凄い言葉を言えたのか、想像もつきません。

他の人から受けた情報を他の人に伝える。

そのために人は生きる。

 

SNS社会になって今まで沈黙しているしかなかった人たち、特に差別され抑圧されてきた人々が物凄い勢いで告白をしていっています。

人間は誰かに情報を伝えたいのだ。

 

その為に生きている、というのは間違いではないように思えます。