この映画の内容の一部がトラウマ的になってしまい再鑑賞をできずにいました。それほど衝撃のある映画だということですね。再鑑賞してみたいという気持ちは何度もあったのですがどうしてもあの場面を観たくない気持ちのほうが勝ってしまうのです。
今回もかなり何度も躊躇ったのですがついに勇気を振り絞りました。
以下ネタバレになりますのでご注意を。
結果観なおしてみてよかったです。もちろん件の箇所は今見てもショッキングなのですが、自分の中で恐怖を増幅してもいたようです。
その件の箇所というのは最後に近い、少女が母親に与えられる洗剤入りの食事を強制的に食べさせられる場面です。
私はこのエピソードがショック過ぎて映画全編がこの話にまつわっているかのように記憶してしまっていたのですが実際はほんの短いものでした。
とはいえこのエピソードは主人公のコールが超能力者として自立するための重要なものであるのでより強烈に刻みこまれてしまったのでしょう。
くりかえしシャマラン監督の演出がいかに鮮烈だったのかという証明になります。しかもそれを観た私は感受性豊かな子供時代だったわけじゃなく計算して36歳以上のリッパな大人で少々感覚も鈍感になっていたのにもかかわらず。
むろん大人だったからこそのトラウマかもしれません。子供だったらそうでもなかったのかもしれません。優しくあるべきの母親が娘に毒を盛る、というのがたまらなかったのでしょう。
(余談ながら実際に起きた事件で母親が娘を殺していた、という報道があった時あまりの恐ろしさに動揺して二階に駆け上がろうとしてこけた、ことがありました)
今回鑑賞してよかったというのは、やはり恐ろしくはあったけどそのことで主人公が成長していく、と描かれていたのをすっかり記憶から外してしまっていたのを取り戻すことができたからです。
主人公コールは霊を見るだけでなく会話ができるという特別な能力を持っていますが、まだ年少で自分の能力に戸惑い、他人から「不気味」と思われてしまうことを怖れていました。そのため母親にもその能力を伝えることができず教師からは訝しがられ「化け物」と呼ばれてしまいます。
母親から毒殺された少女の霊に対してもはじめは恐怖したコールでしたが彼女が妹も同じように毒殺されそうになっていることをコールを通じて知らせたいと願っているのを知って彼は初めて自分の能力がどうして備わったのか、自分の能力をどう役立てることができるか、を知るのです。
その後少女の霊はただ怖ろしいものではなくなりました。
これまでただ怖かったゴーストを救うことで自分自身もそして物語の進行役となっているマルコム医師の魂も救うことになる、という構成が素晴らしいのです。
そして私自身も救われてしまいました。
いや記憶力なさすぎが原因ですが少女の虐待があまりにも悲しく衝撃だったのです。今回勇気を出したおかげでコール少年に救ってもらえてほんとうによかったです。
ひとつの映画でさまざまな体験があるものです。