ガエル記

散策

『サイン』M・ナイト・シャマラン

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シャマラン監督作品はとにかく不思議です。インド系だから、という短絡的な理由づけはできないでしょう。インド映画で同じような作品があるとはまだ聞いたことがないのですし。

 

以下ネタバレになりますのでご注意を。

 

 

 

 

本作、最初チラ見した時はなんだかよくわからなくてそのまま敬遠してしまった気がします。今回再鑑賞しようとしたのですがなかなかうまく入り込めないので参考に他の方のレビューなどを見てみました。

 

それでうっすら分かったのは海外では非常に高い興行成績を収めており評価も高いようなのに日本語レビューはかなり低評価で単純に「駄作」「時間の無駄」というような辛辣なものになっているという極端な別れ方になっています。

キリスト教映画、と評されているのは主人公が牧師さんだからということで何度も信仰を捨てたのだという台詞があるからでしょうか。詳しくは知りませんが、シャマラン監督は元々はヒンドゥー教徒として教育生活されていたのではないかと思います。

 

さて日本での数少ない本作賛辞者の方によれば「これを超常現象映画として観てしまうとつまらないが家族の再生物語として観ていけば素晴らしい作品と気づく」とされていてやっと腑に落ちました。

家族、というより父親再生物語と言うべきのようにも思えます。

先日も話題にしたことですが

キリスト教は一度信仰を疑い、試練を受けて再びその信仰を取り戻すということが最も尊い

のではないでしょうか。

主人公グラハムは真剣な宗教者である牧師なのにもかかわらず愛する妻を失ったことで神の存在をもう信じられなくなってしまう。

その愛する妻は死の間際に奇妙な言葉を残します。

「あなたは見て。メリルはフルスウィングして」

あまりにも不可解な最期の言葉にも絶望したのでしょうが、その言葉も子供たちの行為もそして元野球選手だったメリルの特技もすべて意味のあることだったのだとグラハムは気づきます。

 

妻そして母親という大切なものを失って家族のバランスは崩れ父親であるグラハムは信仰を失い子供たちに声を荒らげる嫌な人間になってしまっていました。

ミステリーサークル、怖ろし気な宇宙人の襲来によってグラハムは自分の前に現れていた「サイン」の意味に気づくのです。

 

人生には様々なサインが現れます。それは神が私たちに教え導いてくれる大切なものですが、私たちがそれに気づくかどうかはわかりません。すべてを運だと思うのか、サインを見つけ信じるのか、グラハムは悟りました。

 

おっさんになっても人生はまた新しく切り開けるのだ、とシャマラン監督は伝えているのです。

 

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