ガエル記

散策

『ロバと王女』ジャック・ドゥミと「星の素白き花束の・・・」山岸凉子

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邦題が珍しくシンプルですが実際は『Peau d'âne』でそのまま『ロバの皮』なのでこれでもやっぱりちょっと違う感は否めないのです。『ロバと王女』ではロバと王女になにかが起きてしまうようですが王女がロバの皮を被って行動する話なのでむしろ

『王女はロバ』

にすべきでしょうがそれでもおかしいですね。『ロバの皮』じゃわからんというのなら『ロバの皮を被った王女』にすれば良さそうなのに何故ここだけシンプルにしてしまったのかがわかりません。いつもタイトルが謎の日本映画界海外ものです。

 

さて本作も昨日の『ホフマン物語』に引き続き「西洋の摩訶不思議」感満載であり且つ素晴らしい美術でもあります。

wikiによるとドゥミ監督最大のヒット作だそうでこれもフランス人の特色なのでありましょうか。確かに主演のカトリーヌ・ドヌーブの美貌に惹きつけられますがいたってシンプルな童話の映画化なのですけどね。

 

なんといってもドヌーブの衣装がステキです。

袖もスカートもこれ以上できないほどふんわりとふくらんでキラキラと光り輝いていますが、それ以上にロバの皮がステキなのです。

内部が本当にロバを殺してなめして作ったかのような血の色に彩色されていてリアルです。本物のようなロバの皮を着ているカトリーヌがドレス以上になまめかしくエロチックに思えてしまうのですよ。

 

物語は単純に童話を模しているのでしょう。

『ロバの皮』というのはペローの童話で王妃が急死して絶望に打ちのめされている国王が王妃よりも美しい女性でなければ再婚はしないと誓うのですが、そんな女性はどこを探してもいません。が、国王と王妃の間に生まれた王女こそがその美しさを持っていると気づいて父である国王は娘である王女に求婚するのです。

間違った結婚に怯えた王女はリラの精の助言でロバの皮をかぶって城を抜け出していく…という物語です。

 

実は私はこの童話を読んでいなかったのですが(覚えてなかった、というべきかもしれませんが)以前山岸凉子『わたしの人形は良い人形』の最後に収録されている「星の素白き花束の・・・」を読んで初めて認識しました。

元話を知ってたのか知らなかったのか、程度のその時の私にはその話があまり興味ある話に思えなかったのです。

それは私がそうした経験を幸運にも体験せずに済んだという証でもありますが同時に経験がなければ真剣に考えられない、という証にもなります。

 

本作映画での国王は逃げ出した王女を探しきれずにいる間に王女は自力でハンサムな王子との結婚にまで手繰り寄せます。

カトリーヌ演じるロバの皮は「こんな生活してらんない」と王子を誘惑してメロメロにさせ王子との結婚を勝ち取っていくという物語になっているのです。

一方の王はいつの間にかリラの精と結婚することになって全員幸福の大団円となるのです。

ラストにヘリコプターで父王が舞い降りてくる場面は壮観です。やはりこれは確かにフランスで大受けする作品かもしれませんね。

 

王子を演じるのは当時ハンサムの代表だったジャック・ペラン。そして父王はあの厳かなジャン・マレーです。

国王の衣装もふっくらしてステキです。王子の服装はさすが本場の方は似合いますねーと感心します。

 

と心から楽しめる本作でしたが、ここで再び山岸凉子「星の素白き花束の・・・」に戻ります。

この一作は山岸凉子の核となっている「男性は若く美しい女性を求めるという本能を持つ」ということへの怒りと苦悩があまり上質ではない形で歪んで描かれています。

主人公女性は「三十路近くても」と言われているので20代後半なのですがすでに中年女性というイメージで顔も愛らしさがない硬質な感じです。その彼女が引き取ったのが異母姉妹になる15歳の少女でした。

彼女は驚くほどの美少女で主人公が好意を持っていた男性もその美少女の誘惑に負けてしまう、という筋書きで主人公は美少女に激しい嫉妬を燃やしてしまうのです。

しかしこの話、どう考えても気の毒なのは美少女です。

この話は三十路前嫉妬女性が語っているのですが角度を変えて美少女目線で描いたら全然変わってしまうのではないかと思えます。

ずっと性暴力を受けていた少女が年上女性に引き取られたものの上手く自分を表現できずそうこうする間に年上女性がどんどん美少女を嫌いだしていって決心して父親からの性暴力を告白したら彼女はそれを受け取らずに追い出した、とも読みとれます。

ちゃんとしたご飯が食べれずお菓子ばかり食べる、というのも彼女が悪いというより何らかの問題がありそうだし、男と見ると媚びを売っていると主人公女性が勘違いしているともいえます。

15歳少女を芸能界に入れたくないというのは保護者として当然のことなのにそれを嫉妬と考えてしまう方がおかしいのです。

この一編は絵としてはとても美しいものがあるのですが「家庭内性暴力を描いた作品」としては欠陥があると言えます。

 

事実山岸凉子氏は後年、父親からの性暴力を受け続けていた少女(この作品ではさらに若く小学生)を担任した女性教師がそれに気づいて救い出す、という物語を書いています。

この時少女が妙に色気があって男を誘っている、と感じるのは逆に女性教師の恋人男性になっています。

しかしこの時の主人公女性はその言葉を否定します。

性に早く接してしまった少女の苦悩を年上女性がくみ取る、という形になっているのです。

 

「星の・・・」で語っていなかった少女の苦悩を後年きちっと描いてきた山岸凉子氏の力量はやはり凄いと思ってしまいます。

 

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父王の椅子めっちゃかわいいの