ガエル記

散策

『王妃マルゴ』萩尾望都 再再再読

f:id:gaerial:20200726072513j:plain

時折ちょこちょこ読み返してはいるのですが今回結構読んでしまって「やっぱりすごい」と唸ってしまったので感想を書いてみることにします。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

全8巻ですが、物凄く濃密な内容です。一般的なマンガ作品なら50巻以上は軽くいってしまうのではないでしょうか。

その分構成はかなり忙しいものになってしまいます。ほとんど粗筋をというか歴史の紹介といえるほどの展開にも思えるのですが萩尾望都はそのあたりの処理が抜群に上手いのですね。

かつて『ポーの一族』の「グレン・スミスの日記」ではおおよそ1900年から1959年までの60年近くの歴史の移り変わりを24ページで書いています。日記の記述日まで含めてしまえば95年ほどになってしまいます。

その中に第二次世界大戦の状況が織り込まれるのですが構成と描写が的確なためにバタバタ感がなくむしろしっとりとした情感や悲しみが描かれるのですからその技術は不思議としか言えません。

 

王妃マルゴ』は8巻に渡ってその技術を駆使していると言えます。目くるめくような展開なのに人物の感情・悲劇、時には笑いや滑稽さも描かれていきます。

 

ところで萩尾望都はどうしてこの時期の長編にマルグリット・ド・ヴァロワを選んだのでしょうか。

例えば山岸凉子氏は『レベレーション』でジャンヌ・ラ・ピュセル(=ジャンヌ・ダルク)を描いています。男性の女性への視線というものを常に過剰な重圧として描いてきた山岸氏が男性をはねつけたラ・ピュセル=処女を描きたくなったのは自然の理のように思えます。

他でも男性の庇護下ではなく自立して生きる女性、というモデルを選択した女性作家は多いのではないでしょうか。

 

その中で萩尾望都氏は美しさが最大の特徴だったと思えるマルゴを描くことを選び取りました。

彼女は結局男性社会の中で男性の庇護を受けて生きた女性の典型のような女性に思えます。男性が求める女性美を武器として男性を操ることも厭いません。

アンリ・ド・ギーズを最後まで愛し抜き、彼との間に生まれた一人息子サパンから最後に母親として認められたことを何よりも幸福として感じる女性です。

物語は怖ろしいほどの悲劇が何度も繰り返されます。最愛の男ギーズとは結婚できず秘められた中で産み落とした息子は闇に葬られたと思い込まされ恋することはないまま異教徒ナヴァルとの結婚を強いられ彼を愛した時には決別が訪れます。

幾人もの男性との恋があったというマルゴは「誰とでも寝る女」という陰口がつきまといます。

幼い時から男兄弟たちにも愛され母親は我が娘であるマルゴに淫蕩な女性性を感じ嫌悪しているのです。しかし当のマルゴは単にナチュラルなだけなのです。

美しい王子との恋に憧れ、かっこいいギーズに恋をし、素直にその恋心を表現しただけです。

計略家の母親に嫌われたマルゴは翻弄されていくかに見えて強く生きていきます。

ギーズと結婚してしまったカトラは女性にして領地を持つ自立した女性ですがマルゴは王女という身分はあっても男性からの保護がなければ生活ができません。その規制の中で生き抜いていくマルゴは現在の女性の理想とは違うものではあります。

しかし多くの登場人物が寂しい末路を迎える中でマルゴはしぶとく美しく人生を全うしていくのです。

彼女の人生は一巻の末尾、ノストラダムスの予言で示されます。この予言のエピソードは物語の中でも圧巻です。

「あなたの恋人はアンリ、あなたの結婚する相手はアンリ、そしてあなたの敵はアンリ」

マルゴはこの予言を信じ、アンリ・ド・ギーズとの結婚を望み突き進みます。結果は別のアンリでしたが、彼女は予言通り最後までアンリが恋人であり敵はアンリでした。

ノストラダムスのマルゴへの言葉

「あなたは強い方です」

その言葉通り彼女だけが勝ち残ったのでしたね。

 

萩尾望都氏の描く女性は魅力的です。『スター・レッド』のセイのような強い女性でも女性性がバランスよく感じられるのが私はとても好きです。

マルゴタイプは『ゴールデン・ライラック』のヴィクトーリアにもありましたね。

自立した女性の物語が台頭していく中で萩尾望都という作家は違った視点から描いてくる人です。

やはり並みの作家ではないのです。