ガエル記

散策

『日本人と日本文化』司馬遼太郎・ドナルド・キーン対談「ますらおぶり」と「たおやめぶり」

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日本人と日本文化―対談 (中公文庫) 1996

1996年・平成8年の対談集です。

司馬さんとキーンさんは生まれた年も一年しか違わずお二人とも戦争に行かれているために「戦友ですw」と言われているのが面白い。確かにまかり間違えばこの対談はなかったかもしれないわけです。

 

とても興味深い対談でした。

中でも私が驚いたのは―ちょっと主旨とは違うものでしょうけどー紀貫之について語られた部分です。

まずお二人は文学を「ますらおぶりか、たおやめぶりか」で分類する場合、諸外国のそれと比較して日本のものはあきらかに「たおやめぶり」であるとはお二人とも意見が合いました。

要は「マッチョか、フェミか」つまりは「男っぽいか女っぽいか」ってことですね。この解釈は「ますらおぶり=男性的」を公的なもの社会的なものとし、対称的に「たおやめぶり=女性的」を私的なもの心の内面、と分類しているので現在だと「女性的なものを決めつけるのか」という反論がきそうですが面倒なので対談に従って通します。

 

諸外国の文学が(もちろん携わるのはどこでも男性が主流なので)非常に男性的なものを主張するのに対し、日本文学において男性的なものは漢文つまり外国である中国の文字を使う場合にのみそれが顕著であるのに対し日本独自の「かな」を使う場合は非常に女性的となったわけです。

世界最古の長編小説とも言われ無論日本の代表的作品である『源氏物語』は女性の手によるものであり当時女の物(つまり二流であった「ひらがな」)で書かれています。

そして男性である紀貫之はかの文句

 

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。

 

で有名な「土佐日記」の作者ですが、私は今まで中身を読むことはなくこの一文しか知りませんでした。そして大方と同じく「男が女の振りをして書いた」ことをおもしろおかしく思っていただけでした。

 

ところがこの「土佐日記」を書いた目的は自分の一番好きだった小さな女の子が土佐で死んでしまったことを嘆くことだったのですね。

私はこの本でドナルド・キーンさんから教えてもらうまでまったくそのことを知らなかったのです。

キーンさんは本来なら男性がしかも土佐守という官職にある立派な男性ならますらおぶりを主張する漢文で日記を書くべきだがそれでは心の内面を描くことができない。本当に表現したいことはたおやめぶりである「かな」を使ってしか書けないとここで語られていました。

これを受けて司馬さんは「日本人はもともとたおやめぶり(女性)の国民なのだけど中国の原語を通じてますらおぶり(男性)を学んだのではないか、と思いますがいかがでしょうか」とキーンさんに問い返します。

これにキーンさんは「その言葉は日本人としては言えますが外国人が言うには危険ですw」と茶目っ気で切り返します。そのとおりですね。さすが賢い方です。

 

この対談から言えるのは日本人での文学はとても内証的つまりは女性的=たおやめぶりのものである、ということでしょう。

司馬遼太郎氏の作品はたおやめ、というよりはやはりますらおぶりの系列に属するものであるし氏自身もそれを認識されているはずです。

それでも日本文学はずっとたおやめぶりの作品を評価し続けてきたように思えます。現在では村上春樹作品、村上龍氏でもそちらではないでしょうか。

 

日本文学はずっとたおやめぶりのものだったのが明治時代に突然ますらおぶりになってしまいます。

文学は再びたおやめぶりに戻っていく、たおやめに戻っても良いという余裕ができた、とキーンさんは語り司馬さんはそれを面白いと言われています。

が、政治や社会はそうそう単純に戻っていけなかった気がします。

つまり本来は「たおやめぶり(女性的)」であるはずの国民が奇妙にも「ますらおぶり(男性的)」であろうともがきその結果歪みが生じているように思えるのです。

 

文学と同じように社会も「自分たちはとてもたおやめぶりなのだ」と自覚すればこれほどいびつな形になることもないのでは、と思うのです。

ほんとうに表現すべきはなんなのか、紀貫之を思うべきなのではないでしょうか。