ガエル記

散策

『スワロウテイル』岩井俊二

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1996年公開当時から非常に話題になった作品ですがこれまでちゃんと観たことがありませんでした。たぶんちらりと観て惹きつけられなかったためだと思います。今回観た理由は本作にアリ・モリズミさん(デイブ・フロム氏との陰謀オカルト対談で惚れ込んでしまった彼です)がバンドのベーシストとして出演しているのでそれを観たかったからです。

「マイウェイなんて俺たちのおじいちゃんが歌っていた歌だよ。古いよ」という台詞を話しています。すごく若くて細くて言われていなければ見つけきれませんでしたw可愛かったけど今のほうがかっこいいですねw

目的は達成しました。

 

しかしそれで終わるわけにもいかないでしょうから本作についても書いてみます。

 

ネタバレです。

 

 

 

日本の架空都市・円都(イェン・タウン)を舞台にして日本語と中国語と英語が飛び交う移民たちの住む雑多な街は作り手のいわゆる理想郷なのでしょう。様々な人種の人々が自分たちの棲み処を作り上げ潜り込みその日その日を自由に生きている。歌を歌い胡散臭い薬を打ち込む。未来は見えないけど幸福な場所。

 

私自身こうしたイメージが大好きなので監督の思い入れはとても共感できるのです(ちなみに私は監督と同年齢で誕生日が二日違い!)が、監督が33歳の時に作ったこの理想郷はあまりにも未熟で物足りないものとして(特に今の私には。そして当時もそうだったので観なかった)映りました。

 

監督はたぶん感性が幼い人なのでしょう。この国ではその言葉は一種の誉め言葉になるようですが私はそうは思っていません。

雑多で混沌とした場所、としては年齢層が若い方に偏りすぎています。むしろ年寄がちにして若い人を置いたほうがより魅力的に見えるものです。

日本には馴染まない拳銃がやたらと登場して銃口を向け合って粋がる演出は今観ると(当時でも、ですが)恥ずかしくて目を伏せてしまいます。

性的な場面があまりないのは邦画にしては逆に珍しいことでこの点だけはよかったですが唯一ともいえるセクシャルな場面が少女の幼いおっぱい、というのが監督の嗜好であるのをばらしてしまいましたね。

 

日本映画には確かにこうした人種の入り乱れている映画、アンダーグラウンドを感じさせる映画は少ないのですが(やくざ映画は見ないので知りませんが)黒澤明の『天国と地獄』に警察がそうした場所に入り込むシークエンスがあります。

この挿話の凄みは圧倒的です。戦後東京の雑多な世界観がそこにあります。

米兵と売春婦とジャンキーの住み着いたドヤ街の黒澤映像と比較すると本作がいかに「おこちゃま」映画であるかが判ります。

もちろん岩井監督はそうした「本当のドヤ街」を作りたかったわけではないのです。

「大好きな自分のイェンタウン」の創造が夢なのですから間違っているのではありません。

ただ私の思う「観てみたい大好きな場所」とは違っていた、ということですね。岩井俊二監督の「夢の場所」は私には幼すぎシンプルすぎて入り込んで迷って出てこれなくなるような魔の巣窟には程遠いものでした。

 

できるものなら足を踏み込むのも躊躇われるが惹きこまれ、歩むほどにその魅力に取りつかれ怖ろしいけどそのままもう出ていきたくないようなそんな魔の街に入り込んでみたいものです。

時間も空間も歪みに歪み、どこの国の街なのかも判らなくなり夢か現実かもわからなくなってしまうそんな場所です。

そんな映画にいつか巡り合えないだろうか、と思いながらいつも映画を探しています。

 

wikiを見たら岩井俊二監督は本作を作るために『パトレイバー』を参考にしたそうです。『パトレイバー』も観ようとしてどうしてもはいれなった作品なのですが、私は『攻殻機動隊』の幾つかのシークエンスは思い起こしました。

スワロウテイル』ではリョウ・リャンキという男性がカリスマとして登場しますが江口洋介演じるこのキャラクターが私にはまったく魅力を感じさせません。

江口洋介自体にもそんなカリスマを演じる迫力が不足していると思うのですが演出も貧相です。むしろ『攻殻機動隊』の笑い男アオイのほうがそくそくとした恐怖感を感じさせます。

ハンターハンター』のクロロもいいですね。

しかしこの映画制作時には両方いなかったので参考にできなかったし岩井俊二監督にはそうしたカリスマが生み出せなかったのでしょう。

 

渡部篤郎山口智子両人とも悲しい存在です。桃井かおりだけが嘘のように存在してて逆におかしい。

三上博史は彼ならば当然の演技という感じでした。

 

CHARAは当時も好きでしたし今観ても彼女だけが観る価値があります、歌も素晴らしい。

ヒロイン役はほんとうにもう少女であるから、という存在意味ということでしょう。

それだけでもいいのかもしれませんがあまり嬉しくはありません。

 

ポスターも悪い方向でごちゃっててあまり趣味よくないのですね。せめてかっこよくあって欲しかったけど邦画ポスターが良かったためしはありません。

 

とにかくアリ・モリズミは見られました。

彼には今だったらもっとオカルトな映画に出て欲しいものです。