さすが岡本喜八、というべきですね。強烈にえぐい混乱を一刀両断する凄まじさで描写しきっています。
1945年、発信されたポツダム宣言を重視しない、とした日本に対し二度の原爆が投下されソ連が参戦するという状況に至ります。
それでも尚会議では戦争の終了を決断できないままついに天皇の聖断によりポツダム宣言の受諾ー日本の無条件降伏が成されることになりました。
一旦日本政府は「連合国最高司令官にsubject to」の文言に反発を示したものの天皇の意志は固く「できることはなんでもする」と発言されたため国民に戦争終了を宣言する玉音放送へと政府は動き出します。
本作はこの天皇の玉音放送を阻止しようと奔走する青年将校らを描写していくことに焦点が当てられているものです。
戦争を終わらせてはならない、という青年将校たちの反乱は醜悪とも見えるものです。
いったい何故彼らはここまで戦争に固執したのでしょうか。
「国体の護持」という言葉は平和であってこその意味があると私には思えますが、彼らにとっては「日本は神の国である」という特別な意識の上に成り立つものであってそうでなければ何の意味も持たない、ということだったのでしょう。
特に黒沢年男演じる畑中少佐の執念は凄まじいものでした。狂気と見える形相をした彼が戦争を続けるために自転車を全力でこぎ走る姿は滑稽でしかありません。
彼を押しとどめようとする森師団長を殺害し担当の放送員に銃口を向けクーデターの邪魔が入るたびに咆哮し嗚咽し身を震わせる様にぞっとしました。
彼は実在の人物で現実に上官を殺害しているのですがwikiで読むと実際は「「純朴で物静かな文学青年」という印象だったと書かれています。
実際はどうだったのかはもう知る由もありませんが岡本監督はこの一青年に戦争の狂気を物語らせているように思えます。
この映画の終わり頃に私はぎょっとした場面がありました。
阿南大臣の言葉です。
自決の前に自分を慕う青年将校たちにこれからの日本の未来を背負ってほしいと頼むのです。
「日本人のひとりひとりがそれぞれの持ち場で生き抜き耐え抜き懸命に働くしかない。そして二度とこのような惨めな思いをしない日本にしてもらいたい」
いかにも、という台詞ですがわたしがぎょっとしたのはつい先日YouTubeで安富歩氏と清水氏の対話動画の中で第百八十三回国会における安倍内閣総理大臣施政方針演説についての話を聞いたからです。
下はその演説冒頭のコピペです。
「強い日本」。それを創るのは、他の誰でもありません。私たち自身です。
「一身独立して一国独立する」
私たち自身が、誰かに寄り掛かる心を捨て、それぞれの持ち場で、自ら運命を切り拓こうという意志を持たない限り、私たちの未来は開けません。
日本は、今、いくつもの難しい課題を抱えています。しかし、くじけてはいけない。諦めてはいけません。
安富・清水両氏はこの言葉の意味の恐ろしさを語り合っていました。
私も同じ意見を持つ者です。
映画ではこの言葉は阿南氏がふたりの部下だけに伝える形となっていました。私は岡本喜八監督の映画作品をそれほど多く観てもいないし監督の主義主張を深く知っているわけではありませんがこの映画において監督は日本の軍部の空しさを描いているように感じています。戦争への意気込みが激烈であればあるほど空虚であるという描写に見えます。
阿南惟幾は切腹という自害を行います。これを日本の軍人は潔しと尊ぶのかもしれませんが私にはそういう精神は備わっていません。
後日裁判にかかって受ける刑から一人だけ逃亡したにすぎないとすら思ってしまいます。
切腹と言う前時代の責任の取り方がなんになるというのでしょうか。
そしてその人物が考える日本の未来はやはりそうした人間の持つ考えに過ぎない、と感じました。
映画の中では本人もそれを自覚しているということは伝わります。
しかしその考え自体があまりにも歪んでいるのが悲しい。
安倍首相の演説(を考えた人)は阿南氏と同じ考え方に思えます。
首相演説のほうがより判りやすいのですが、
「強い日本」になるために誰にも寄りかからず自分の持ち場で運命を切り開いていく
という考え方をしていては幸福な世界を作ることはできないでしょう。
自分が世界の中で自国の中で社会の中で家族の中でどのように互いに交わり合いバランスをとって接していけるのか、そうした柔軟な考え方をしていくことが大切だと訴えて欲しいのです。
より良い社会は辛いときは声を上げ助けを求めることができなければならないはずです。
戦争が終わった時、日本は大きな転換期を迎えることができました。
しかし時を経て再び同じことを首相が演説しそれに賛同する人々が多くいます。
戦後日本はまったく勉強をせずまったく成長できなかったのでしょうか。
そうではない。ほんの少し何かを学ぶことができたのだと少しずつ成長しているのだと思うことはできるのでしょうか。
今はまだ日本が成長できている気がしません。
岡本喜八監督は日本のこの一日をかくも峻烈に切り裂くような映像で私たちに映し出してくれました。
それをどう観るのかは難しいのです。