ガエル記

散策

『蠅の王』ピーター・ブルック

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1963年イギリス製作映画です。

モノクロで観始めはちょっととっつきにくかったのですが次第に慣れてきました。

 

小説『十五少年漂流記』は子供時代には必ず読まなきゃいけない感があります。私ももちろん読みました。とりあえず面白くなくはなかったのですが自分の好みとしてはいまいち物足りない気がしたのを覚えています。なのでほとんど読み返していません。

多くの人がそう感じているように思いますがあまりにも優等生的で刺激がすくなかったのとフランス人正義vsイギリス人嫌な奴といった対比が嫌いでした。今思うとおかしいですが。

すっかり忘れていたのですが作者はジュール・ヴェルヌだったのですね。ヴェルヌ作品はどれも好きになれないのですがこれもやはりだったようです。

 

とはいえこの「子どもたちだけが社会と切り離されて独自で生きなければならなくなる」という発想はやはり興味深いものだと思います。

思えばあの『機動戦士ガンダム』ももともとは『十五少年漂流記』だったわけです。こちらは私は大好きなのですよ。

そしてその原題である『二年間の休暇』を『十五少年漂流記』と改変したのは日本で読まれ続け二次創作化され続ける最大の功績であるのではないでしょうか。

私も『二年間の休暇』だと興味を持ったかどうかわかりません。

(ていうか無人島サバイバルを休暇とするのがどうも優等生的なのですが。ってフランス語原題の意味は理解していませんが)

 

身体も精神も未発達であり大人から保護され成長過程勉強過程である子どもたちが中途半端の状態で無人島・非社会状況に置かれてしまったらどうなっていくのか、という実験作品は子どもがどの年齢なのかによっても変化するし男女の割合、どのくらいの非社会なのか、など実験条件によっても大きく変わってしまうでしょう。

そういう意味ではジュール・ヴェルヌ、すげえ人物であります。

 

さて前置き長くなりましたが本作感想、ネタバレしますのでご注意を。

 

 

監督のピーター・ブルック氏、私はまったく知識がないのですが現代の演劇を変えたとされる凄い演出家として有名な方です。

その方が古臭く感じるヴェルヌ著『十五少年漂流記』の現在版と言えるゴールディング著『蠅の王』を映画化した、のは当然なのかもしれません。

たしかに『十五少年漂流記』でも主人公ブフランス少年ブリアンとイギリス少年・ドノヴァンとの対立が描かれてはいましたが後には友情を結びます。

遠い記憶の中でもドノヴァンは嫌な感じの威張った態度でブリアンに張り合うと描かれていたと思いますが、本作『蠅の王』でのドノヴァン役にあたる少年の描き方はまったく違ってくるのです。

 

本作で主人公ラルフに対抗するジャックはむしろ強いカリスマを持つリーダーです。

ラルフは勇気があり正しい発言をしているのですが唯一の親友ピギーを除けばどの少年もカリスマ・ジャックに従ってしまうのです。

これがタイトルの『蠅の王』となるわけです。

豚肉という利益を与えてくれる力を持ち、堂々とした態度でラルフを追い詰めていくリーダーを蠅(少年)たちは選び崇め従うのです。

 

無論この対比は子どもたちによる実験というよりも現実社会を思い起こさせます。

そして無軌道になった子どもたちは殺戮に快感を覚え狂喜しついには島を焼いてしまうのでした。

 

 

漂流教室』はまさしくこの『蠅の王』のイメージですがその意識はまったく違った方向へと向かっていきます。

現在進行中のテレビアニメ『SonnyBoy』はそれらのどれとも違った条件であり今のところどこへ行こうとしているのか見当もつきません。

ある意味緩い設定に思えますがそれでも現在社会の苦悩を描こうとしている意志は感じます。

 

本作『蠅の王』は祖国が核攻撃を受けたため疎開途中で遭難したという設定からして世界の暴力性を考える物語になっています。

原作小説が出版されたのが1954年であり最も戦争暴力を直接に考えさせられる時期だったのもあるでしょう。

楳図かずお著『漂流教室』も戦争による暴力を強く感じさせる作品でした。

 

さて現在が考える『漂流記』はどういうものになるのでしょうか。

そのひとつ『SonnyBoy』はどうなっていくのでしょうか。それに対する皆の批評は。

楽しみです。