ガエル記

散策

『狼の星座』横山光輝

横山光輝『狼の星座』は今現在デジタル化もされておらず古本でしか買えない状態のようでやむなく自分も古本購入。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

時は明治末。(ゴールデンカムイと同じ頃か)主人公大日向健作は新潟の田舎で生まれたが幼い時に大病を患い生死を彷徨う。村の祈祷師のお祓いで命を長らえたものの「この子はよく言えば人の上に立つ人間、悪く言えば大盗賊になる」とその人相を判じられ「魔除けとして六つになるまで女の子として育てるように」と言われた。

両親は我が子を守りたい一心で言葉通り健作が六つになるまで女の子として育てた。

が、健作は女の子の格好と言葉遣いをしながらも村のガキ大将をやっつけてしまうほどの胆力と行動力を持っていた。

やがて六つになった健作は男の子の姿となるとますますその行動力を発揮していく。父親は優しく穏やかな性格だけになぜ我が子がこんなに強いのか不思議に思う。自分の意志をはっきりと持つ明るさも際立っていた。

 

健作がいたずらをして村人の怒りを買い父親は息子を叱責しようとするが健作の心は中国に飛んでいた。

健作は村で演説をしていた男が「混乱する中国を世界の大国が狙っている。我が日本は盟主としてこの国を守ってやらねばならない」と言った言葉が忘れられずにいたのだ。健作は「中国へ行くためにお金を貯める。東京へ行く」と言い出す。

 

健作が何歳で東京へ丁稚に言ったのかは明確ではない。小学校を卒業したのか、途中だったのか。絵柄からして10歳頃なのではないかと思われる。

三河屋という呉服店に丁稚奉公として入った健作は相変わらずの明るさと強い気力を持って働く。なにしろ彼には中国大陸へ早く行きたいという明確な展望があるのだ。

ここで健作は山辺という屋敷に配達に行き初めて拳銃を撃つという経験をさせてもらう。後に健作は山辺と再会することとなる。

 

さて世界情勢は第一次世界大戦へと向かっていた。

三河屋の主人は戦争は経済混乱が起こる時、と番頭に全財産をかけて買占めをさせた。各地で同じようなことが生じ狂乱物価となり一杯のご飯が食べられない人々で溢れ暴動へとつながった。米騒動だ。

三河屋もその例外ではなかった。怒った人々によって三河屋も焼き討ちに会い店主も雇われている者たちも逃げ出した。

燃え上がる三河屋を見て健作は大笑いする。必死で貯めたものがみんな焼けてしまったのだ。

しかしこれで健作自身も何もかもなくした。友人は三河屋に戻るというが健作はここから「くず鉄屋」を始める。要らなくなったドラム缶を集め平らにすると鉄工所の所長が買い取ってくれたのだ。

健作はこの仕事で大金を儲けて故郷へ戻る。半分を両親に渡すと残りの半分で念願の中国へ渡ると告げ布団を敷いてぐっすりと眠ったのだった。

 

いやあもうこの時点で物凄い。この明るさ前向きさ実行力、いったいどうして健作がこういう思考になったのか、説明はないのでわからない。

もしかしたら健作は生まれてくるはずのない、少なくともすぐに死んでしまうはずの子どもだったのが運命をすり抜けて育ってしまったのかもしれない。

それを手伝ったのはやはり両親の愛情だったのは間違いない。

 

赤ん坊の健作、女の子として育てられた可愛い健作、男の子に戻った腕白健作、丁稚奉公も明るい利発そうな健作、とここまでもその変貌が楽しめる。

 

そしてここからついに大日向健作が中国大陸へと単身向かう。年の頃十二、三歳くらいなのだろうか。考えただけで怖いのだが。

(子どもだからわからなかったというべきなのか)

ここでも健作は持ち前の明るさで列車に同乗した中国人たちと交流する。そして窓から見る草原に馬に乗った男たちの集団に乗客が歓声をあげるのを不思議に思う。

天津に着いた健作はすぐにあの「山辺の旦那」と再会するのだ。

 

山辺は健作が中国語も話せずなんのつてもないのに中国を冒険旅行するというのを聞いてあきれる。無鉄砲としか言いようがない。

山辺はまだ幼い日向健作を坂西公館に連れて行き坂西大佐に紹介する。

健作はそこで初めて「馬賊」と言う存在を知ることとなる。汽車の窓から見たのはそれだったのだ。

今中国は乱れに乱れ匪賊山賊流賊などが人々を襲って暴れまわっていた。そうした賊に警察の力は及ばない。そこで生まれたのが自警団とも言うべき集団だった。日本人は彼らを「馬賊」と呼んだという。

 

健作は坂西大佐に気に入られ彼の家に居候して働くこととなった。

 

ここから健作少し成長してマーズくんのようになる。

そしてキャバレーで日本人で馬賊頭目となった伊達順之助を見る。彼はそこで遊びでやった発砲で女性を打ち殺してしまうのだが「五千人の部下を持ち日本軍にも役に立つ男」として釈放されてしまうのだ。

 

横山光輝先生のプロフィールを見ると「非常に馬好き」であったと記されている。自ら競馬の馬も持たれていたそうだしとにかくマンガで描かれる馬が美しい。

三国志』などどのくらい馬を描かれただろうか。

そんな横山先生にとってやはり馬賊と言う響きは放ってはおけなかった題材なのだろう。

 

「迷い」を強く出してくる今現在のマンガとはまったく違う前進し続ける健作に惹きつけられ読みました。

物語はやっと今序幕が終わったところでこれからいよいよ健作の冒険旅行が始まります。いやあ、ここまでもすでに物凄いんですが。