ネタバレしますのでご注意を。
文王姫昌は漁民たちの歌を聞いて慄く。それは賢人でなければ作れない歌だったからだ。その歌は堯帝の故事を歌ったものであった。
文王がさらに進むとまたも不思議な歌を歌っている樵たちに出会う。その歌は誰が作ったのかと問うと「七十過ぎの老人で毎日釣りをしている」と答えた。
文王は供の散宜生に「大賢人がいるのは間違いない」となおも進んだ。
山深い水のほとりに進むと巨大魚が飛び上がりその魚に人間がつかまっているのを見た。
文王はその人間を連れて参れと命じたがその人間は逃げ出す。武吉であった。武吉はかつて文王の法律から逃げ出した身であり捕まったら死刑だと武吉は思い込んでいる。
しかし文王は武吉を呼び止め自分の占術を破ったというお方の名を聞く。
「姓は姜、名は呂尚、字は子牙、号は飛熊です」
飛ぶ熊と聞いて文王は驚いた。夢に現れたものだからだ。
文王に求められ武吉は呂尚の庵へと案内するが呂尚は留守だった。文王は馬から降りて二時間ほども待ったが現れない。
文王は祖父に予言されてから姫家が待ち続けていたお方を待つのは苦にはならないと供に言う。
武吉も探し回ったが姿が見えないと戻ってきて「お詫びに師匠がいつもおられる場所に案内します」と呂尚が釣り糸を垂れる岩に文王たちを連れていった。
「ここでいつも天下を釣ると言って座っておられます」
文王は散宜生に筆を求め「賢を求めて遠く磻溪に至るも賢人は見えずしてただ鉤を見る」としたためた。
文王はいつまでも立ち去りがたい思い出夕日を浴びて釣台に立っていた。
文王は大賢人を迎えるにあたって三日間の斎戒沐浴に入り周囲の者にもそれを求めた。
四日目文王は大義を正して磻溪に向かった。文王は瞑想するかのように目を閉じ車の中に端座していた。
文王は離れた場所に馬車を止め散宜生のみを連れて徒歩で呂尚の釣り場へと向かった。
(偉い人が釣り場にいるのが面白い)
果たして呂尚は武吉が案内してくれたあの岩に座り釣り糸を垂らしていた。
文王は呂尚に近づいた。
「先生、お邪魔してよろしいでしょうか」「どなたかな」「はい。文王西伯侯姫昌でございます」「魚釣りにご興味がおありか」「はい、餌もつけず鉤も水面に落とさず何をお釣りなのかと思いまして」「君子は志を得るのを楽しみとする。わしは魚を釣ることを楽しんでいるわけではない」「わたしにも志がございます」「天下人になりたいという志だけでは天下人にはなれぬ。天下は一人の天下ではない。天下の天下だからじゃ」
そして呂尚は天下の利を分かつには仁義道徳を正すべきとした。
もっと教えを乞いたいという文王に呂尚は西岐城へ赴くことにした。
武吉もこれに従った。
大勢の供が待っていた。文王は「どうぞ馬車にお乗りくださいまぜ」と呂尚を招いた。すると呂尚は「では文王様に馬車を曳いてもらいましょうか」と言うのだ。
将軍はこの言葉に怒るが文王はこれを止め「先生、馬車をお曳きします」と答えて車から馬を外させる。
そして呂尚を乗せると自ら軛をかつぎ馬車を曳いた。
その姿を見て皆は怒り恐れおののいた。
どうして中国の観客はこの場面で大喜びするのだろうか。わかるような気もするが勘違いかもしれない。
知りたい。
これを見て武吉ははらはらと心配する。(良い人だ)
ここだけは文章では書けない気がする。
気品ある文王を馬にして車を曳かせ倒れると側近たちが手伝って再び歩みだす。
そして力尽きてしまう。
呂尚は飛び降り深く謝罪して「文王様のご覚悟を試しました」と言い文王も「わかっておりました」と答える。
呂尚は「周王朝は誕生します。その命数は文王様が車を曳かれてから二百八十歩で棒を落とされました。それゆえ二百八十年で終わるかと思われます。しかし再び立ち上がって四百四十九歩曳かれました。それゆえ二百八十足す四百四十九歩、計七百二十九が周王朝の命数でございます」
「ただ後の四百四十九歩は助けを借りました。ゆえに誰かの手助けあっての命数とお考えくださりませ」
呂尚の無礼な行動はこの占いのためだったのだ。
見るに見かねて手助けするというのも良い。やはり愛されているからこそなのだろう。
無骨な南宮适将軍が武吉を気に入るという話もほっこりいい感じです。
こうして呂尚は西岐城へと入った。
ここで文王は「先生、あなたは我が太公が待ち望んでいたお方です。それゆえ「太公望」という尊称をお受けくださいませ」と言い朱筆を預けた。
私が間違ったことを記したら容赦なく朱筆で改めてくださいませ」
(間違いを改める時教師が赤ペンで書くのはこれが由来ですか???)
こうしてここに太公望が生まれたのである。
一方朝歌では相変わらず紂王と妲己が連日の宴会を楽しんでいた。(よく飽きもせず)
そして人民の労苦の上に鹿台が完成する。
さらに妲己は悪霊たちを天女に変化させて紂王を喜ばせた。
ここに聞仲太師が十二年の戦を終えて凱旋してきたのである。