ガエル記

散策

『殷周伝説』太公望伝奇 その4 横山光輝

おおっ、これは太公望ポーズ・釣り。

でも記事はもう少し前からになっています。恐ろしいエピソードで有名なアレです。

 

 


ネタバレしますのでご注意を。

 

 

さてさて皆さまの怖ろしいトラウマになっている伯邑考ハンバーグのエピソードが始まりました。

 

姫昌の母つまり伯邑考のおばあさまは姫昌が幽閉されてから七年経つのにまだ釈放されないと嘆いていた。せめて死ぬ前に一目会いたいと。

これを聞いた伯邑考はすぐに貢物を用意して朝歌へと向かった。その中に白い猿がいてその猿は拍板を討ちながら踊るという特技を持っていた。

紂王はこの猿に興味を持って特技を演じさせたのだが猿は妲己の前にくると牙をむきだして襲い掛かったのである。

怒った紂王は猿を殺し妲己は伯邑考を追い詰めついに伯邑考を「肉を切り刻む刑」に処した。さらにその肉を肉餅にして父親である姫昌に食べさせたのだ。

姫昌は占いをしてすでにその肉が息子・伯邑考のものだと知っていたが息子が命懸けで自分を救おうとしたその孝心を無にしたくない思いで口にしたのである。

 

紂王と妲己は賢人として名高い姫昌が息子の肉を食べたと聞いて大笑いする。

費仲はその行為に疑問を持ったが姫昌の忠臣から賄賂を渡されたことで気をよくして姫昌の放免を紂王に勧めるのだった。

 

しかしこれなら最初から賄賂を贈っておけばなあと悔やまれますなあ。

世の中そういうものですが。

 

この後ちょっとおかしな話が挿入される。

姫昌は放免されただけでなく紂王から文王という王位を授けられる。皆は驚くがこれは紂王が姫昌やこの度の罰に反感を持つ者たちからの反抗を受けないためだった。

文王姫昌の無事の姿を見た黄飛虎は涙を流して喜び自宅に招いて酒杯を傾けながら民を救うために新しい周の国を作ってくだされと頼む。

そのためには一刻も早く西岐に帰るべきです、と関を通るための銅符を渡し服を着替えさせ姫昌が七年前に乗っていた愛馬を取り寄せていたのである。

姫昌は感謝してすぐに帰国するのだが姫昌の愛馬がすでに年を取っていてあまり走れなくなっていたのだ。

んんー。黄飛虎さん、将軍なのに基本的な失敗してますなあ。七年も経ったら普通お馬さんは年を取るでしょう。

おかしくて笑っちゃいました。

 

しかしそのおかげで姫昌は百人目の子どもである雷震子に再会する。

水晶の玉で透視していた雲中子が姫昌のピンチを知り雷震子を差し向けたのだ。

雷震子は父を逃がして修行の術で追っ手と立ち向かった。

封神演義』ではこんな感じだったのが

こんな感じ。

でもこの世界だとすごい能力だと感じますなあ。

 

とにかく姫昌は我が子・雷震子に助けられ無事に西岐の我が城へと戻ることができた。

姫昌は皆に出迎えられ祝宴が開かれた。この時姫昌は七年前の注意を伯邑考が破って死ぬ運命となったことを嘆いた。

すると気分が悪くなり庭に出て肉餅の三切れの肉片を吐き出してしまった。

なんと姫昌が吐き出した三切れの肉片が三匹のウサギとなって走り出したのだ。

自分の故郷に帰れたのを喜んでウサギになったのであろう「伯邑考よ。ここはお前の土地じゃ。自由に野山を駆け巡れ」

これが文王廟内の吐児塚の伝説である。

肉片がウサギになるって、かわいい。

なぜウサギなんだかわいい。

そしてうれしそう。

 

七年間の苦労と長男の死の悲しみでいったん寝込んでしまった姫昌だが元気を取り戻してからは仁徳を積み重ねた領民の尊敬を集める善政によって周の領内は栄え国力を増していった。

そして紂王の「鹿台」とは真逆の人々を災禍から守るために祈る「霊台」を造ることにした。

その建設の参加には一日銀一銭の報酬が与えるというものだった。

この話を聞いた人々は報酬だけでなく善政への恩返しをしたいという人や国外からも名工・彫刻家・芸術家が集まってあっという間に数万を越える人数となった。

工事は初日から昼夜を分かたぬものとなり一年以上はかかると思われたのがわずか一か月で完成したのだった。

これを知った姫昌は驚いた。農民の中には早く終わりすぎてもっとお役に立ちたかったというものまでいた。

姫昌はすぐに霊台の視察に赴きその素晴らしさに目を見張りその夜宿泊すると決めた。

すると夜中バサバサと大きな音がして目覚め外を見ると翼のはえた大きな熊が飛び降りてきたのだった。

はっとした姫昌は夢だったと気づく。

翌日姫昌は皆にその夢の話をすると周公旦が夢占いをして「天下の大賢人が南のほうにおられます。南方を巡行して賢人を速やかに探し当てましょう」と言った。

姫昌は太公(祖父)の言い伝えとぴたりと一致することに驚いた。

 

妻を離縁し朝歌を脱出した呂尚は西岐山の南に姿を現していた。

そして磻溪のほとりに住み着いた。

呂尚はここで毎日釣りを始めた。だがその釣り糸には先の曲がっていない釣り針をつけ水面の上に垂らしているだけである。これは自分の存在を知らしめるための呂尚のパフォーマンスであった。

「真の天子よ。かかってこい」

 

ここで登場するのが武吉である。

じゃなくて

なんだけどどちらにしても良い人なのはいっしょである。

めちゃ強いのに徹底した平和主義者っていうのが良いね。

ところでフジリュー武吉はほんとの牢に入れられるけど横山武吉が入るのは地面に描いた円の中だ。(しかも文王自身ではなく兵士にぶち当たる)

なんと西岐には牢屋はなくて罪人は地面に描いた丸い輪の中に入るだけなのだった。

ところが武吉には年老いた母親がいて面倒を見なきゃ死んでしまうと心配になり七日間の猶予をもらう。

 

しかしここで武吉は呂尚に経緯を話し輪の牢から逃げ出しても文王の占いで見つからないような方法はないかと訊ねる。

呂尚は自分の弟子になって世の中のために働くのならばその方法を教えると武吉に言う。武吉は了解して不思議な方法を呂尚から聞く。

呂尚が伝えた方法を行うと姫昌の占いで「武吉は死んだ」ということになった。そして約束通り呂尚の弟子となって修行を始めた。

呂尚は七十歳を越える老人ながら息ひとつ乱さず汗もかかず武吉を鍛えた。武吉は呂尚がただものではないと気づいて尊敬し厳しい修行にも耐えていった。

 

一年を過ぎ文王姫昌は領内視察の巡行をしていた。

賢人を探すためでもあった。

姫昌は磻溪の方向へと進んだ。

春の花が咲き乱れ多くの人が花見に来ていた。酒を飲み歌を歌い自然の美しさを楽しんでいた。

そこへ歌を歌いながら歩いてくる一群がいた。

その歌を聞いて姫昌はハッとした。その歌は賢人でなければ作れない歌だったのだ。

 

おお。文王姫昌と太公望が相まみえる寸前にきました。

ここはじっくり書きたいものです。

なので「続く」といたします。