ガエル記

散策

「ジャンヌ・ダルクの生涯」藤本ひとみーその2-

朝の続きです。

 

さて「エクスタシー」です。

 

本著第四章に「エクスタシィを感じるか」という項があります。ここで「神の声はどのように語るのか」という質問に対しジャンヌは自分を助けてくれるという声が聞こえてくること、これを聞くと非常な喜びを感じ恍惚の状態に入る、と答えている、と書かれています。

この時ジャンヌが顔を赤らめていたことからある研究家は彼女が神に祈りながら性的な陶酔を感じる少女であった、と読み取っているというのです。

藤本氏はこの説に疑問を感じています。

「恍惚という言葉をキリスト教的に説明すると脱魂という状態になる」それを捉えた有名な彫像が『聖女テレジアの法悦』とあります。どんなものでしょうか。

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確かに官能的な美しさでありますね。

さらに藤本氏は「脱魂」という極めてキリスト教的な言葉が官能とは何の関係もないように思えた、と書きながらも「脱魂」の原語を調べなんとそれが「エクスタシィ」だったのだ、と目から鱗だったとしています。

しかしそれでも「ではジャンヌは神と一体化したと信じエクスタシィを感じる少女だったのだろうか」となおもいぶかり、ジャンヌの回答が書かれている資料に書かれた言葉を探しあてたらそれは和訳の「恍惚」が当たる言葉は「exultait」であったことをつきとめこれは「大喜びする、有頂天になる」という意味であって性的なニュアンスは含まれていない、と確認したのでした。

入念な探求のすえ、顔を赤らめたというだけでジャンヌの告白を性的なものと考えるのはあまりにも勘繰りすぎだと藤本氏は結論付けます。

 

藤本氏の探求を否定するつもりはありませんし、私自身キリスト教徒ではないので憶測でしかありませんがキリスト教世界において神とのつながりをそれこそ恍惚と感じさせる描写は様々なところで見られるように思います。

まずはエクスタシーという言葉の意味を調べました。

 

エクスタシー【ecstasy】
〔原義は、霊魂が自分の身体の外に出る意〕
① 気持ちがよくてわれを忘れてしまう状態。恍惚こうこつ。忘我。法悦。 「 -に達する」
② 〘哲・宗〙 神と合一した神秘的境地。脱魂。法悦。フィロンプロティノスエックハルトなどの神秘主義思想で重要な概念。エクスタシス。シャーマニズムの脱魂。
③ 性交時における恍惚状態。

 

 多くは①と③をイメージしそうですが②にはちゃんと「神と合一した神秘的境地」「神秘主義思想で重要な概念」とあります。

 

別の辞書では

〘名〙 (ecstasy) 感情・官能が高まってわれを忘れ、うっとりとした状態になること。忘我の境。有頂天。恍惚(こうこつ)。

と「有頂天」も出てきます。

 

そしてここで私は映画「炎のランナー」で牧師さんが「走るとき私は神の栄光を感じるのだ」と言ってオリンピックに出場するのですがこの時の走る表情がまさしく「恍惚」とした「エクスタシー」になっていることがとてもエロチックだと感動しながらも不思議であったのですがジャンヌの逸話でなんとなく理解できたように思えます。

あの牧師さんと同じようにジャンヌもやはり神の声を聞く時にエクスタシーを感じた、とするのは間違いではないのかもしれません。その部分は敬虔なキリスト教徒になってみないと理屈だけではわからないように思えます。神の御声に官能を覚えることが性的に勘繰りすぎ、なのではないのかもしれません。

むしろそこにこそ特別な喜びがあるのかもしれないのです。