ガエル記

散策

美醜にこだわる氏への答え


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これまでも何回か、鴻上尚史氏の人生相談がツイートで流れて来てこういった画面が目に入ってきてどういう答えをされたのかとクリックするのですが、鴻上氏の考え方はどうも私とそりが合わないようでブログで反論を書いたりしました。

それからもこの記事は流れてきて読むと疑問は湧くものの一々反論するのもどうかととどまっていたのですが今回のこの相談はどうにも反感が強すぎて書いてみようかと思います。

 

とはいえ人間の持つ「美醜へのこだわり」という問題に関して特別な意識や判断を持っているわけではないのですが、考えながら書いてみましょうか。

 

25歳の女性が自分の容姿にひどい劣等感を抱いている。そして世の中の男性は女性の容姿で評価を決めていると感じている。そのため男性に極端な苦手意識があるのだが同時に恋愛をしたいという気持ちも強い。

 

これに対する鴻上氏の答えを順々と読んでいったのですが、まず「相談者は驚くかもしれませんが世の中には見る性と見られる性があって男たちは自分が見る性だと信じ切っています」という部分、この相談者は明らかに最初から男性が見る性だと言ってると思います。なぜなら相談文に「男だって不細工のくせに」という文がないからです。相談者はあまりにも自分の属する女性性が見られる性であると信じすぎています。

 

次にオーディションの際に気持ちをほぐすために子供たちに「どんな男の子(女の子)が好き?」と毎回聞きました、というのが鴻上氏自身が異性の目というのを過剰に意識しているのを感じます。

相談者の悩みのの前に何故回答者・鴻上氏がこの相談をチョイスしたか、それは鴻上氏自身が「美醜と異性への意識」というものを強く気にしているからだと私は思います。

自分が気になる悩みでなければ回答する気持ちも出てこないからでしょう。

 

そして毎回する質問が「どんな子が好きか?」と聞くというのもかなりの偏重に思えますね。好きな読書やスポーツや食べ物などではなく性的な好みの質問をしているわけです。

しかし実際かなり偏執的な好みであったらよけいにありきたりの答えをしてしまうのではないでしょうか。まさか子供が「むれむれの熟女が好き」とか言えないはずですし、「委員長タイプにしばかれたい」とも言いにくいでしょう。男性こそ変態的な趣味があるだけに平凡な答えをする、という推理はないのでしょうか。

男がみな「可愛い子」と答えた、というのを鴻上氏はむしろ安堵しているようにも感じます。疑問を持たずにそれらの答えで満足しているからです。答えた男たちが正直に答えたと信じ切っています。

これを読むと鴻上氏は実はかなり女性に対して美醜を気にしているタイプのように思えます。なぜなら「可愛い子」という答えは外見を示している場合と性格を示している場合があるからです。

「可愛い」という言葉をそのまま「容姿」だと思い込んでいる鴻上氏はそのまま「可愛い容姿」がすべてだと思っているのだと考えられます。

私は「可愛い」はむしろ表情や性格や行動が含まれたすべてだと思います。

これでいうと男性たちは個人差はあれど様々な要因で「可愛い子」であることを求めてと考えられます。

 

次に少し飛んで(あまりこざこざしますから省略します)鴻上氏が自分を「ぶさいく村」で生まれたというところです。

語るに落ちた、というべきなのか。ここで鴻上氏はやはり人間が「ぶさいく村」出身なのか「美形町」生まれなのか、という意識で生きていることを証明してしまいました。

などというと「いや彼は演出家なのだからそういう言葉の面白さを大事にしている」とか言われそうですが、自分の容姿が「ぶさいく村」生まれ、だと言っているのがもうなんとも言えない気持ちです。

「ぶさいく」という言葉の意識はどう考えられるのでしょうか。

逆の「容姿端麗」という意味は?

人間として完全な肉体と整った形。それが少しずつ欠損しているほど「ぶさいく」ということになります。

つまり「ぶさいく」というのは「障害」ということになるのですね。

では程度がよりひどくなった「障害者」と言われる人は「ぶさいく」の典型ということになります。

ここで鴻上氏に「ではあなたはより体が欠損した人=障害者をぶさいく村生まれというわけですね」と問えばもしかしたら「いやいや、障害者の方は含まれませんよ」と言うのでしょうか?ではその欠損の線引きは?

目が小さいのはぶさいくですが、目が見えないのは立派なこと。

足が短いのはぶさいくですが、足が無いのは立派なこと。

肌が黒いのはぶさいくですが、人種による黒さは美

と判断するのでしょうか。

 

ぶさいく村に住む権利を取るのはなかなか難しいようです。

 

以前完全な美はアンドロイドである、ということを石黒浩博士が言われていました。

人間に完全な美はないのです。

 生物は子孫を残すための本能的により優れた遺伝子を求めてしまうのですから生物である人間がより優れている、と刷り込まれた本能のせいで異性の評価をしていくのは仕方ないことであり、しかし人間であることはその本能を自分でどう意識しコントロールしていくか、にあると私は思っています。

性能の優劣、健康の優劣を表面で判断できるのが美醜ということになるのです。健康であれば皮膚や目や髪がきらきらと輝き、性能が良ければ手足が長く胸が大きくくびれがあるのも運動能力がありまだ妊娠していないことを示しています。

年を取るほど生殖の力は劣るため若いほど美しい、と思われるのも動物的判断であるわけです。事実だろう、と言い張る方は動物そのもの。

そういった外見の美醜こそが内面の優劣を示しているのですから生物である人間がそこにこだわるのは至極全うなことなわけですが、それだけでは人間はけだものと同然。

それだけではない評価ができることが一段上のクラスに行ける、いわば「超人間」になれる、という事なのだと思います。

思いますが「超人間」になることより平凡な人間のままであるのが人間、ということなのですね。

 

そして「私は欠点ばかりだから遺伝子を残す対象として選ばれない」と恐れおののくのが人間なわけです。動物はそれこそ淘汰されてしまうわけでしょうが、「しょせん弱肉強食の世界なのよ」というのはもうそれって人間の世界ではないのですよね。

いつまでも能力を意味する美醜ばかり見ている動物世界で生きるのですか?

人間としての誇りは、考える葦であるはずの意識は芽生えないのでしょうか。

 

性能を表す美醜にこだわるのは動物的本能だから仕方ない、というのならどうぞ動物世界で生きてください。

それだけではない「粋」の世界を目指すのが人間としての矜持であると信じています。

 

さて鴻上氏の回答に戻りますが次の異性の好みを「カレーやハンバーグ・ラーメン」に例えている部分はあまりにもお粗末なので省きます。

サマセット・モームの言葉を引き合いに出して美人をけなしていますがますます氏の「美人に対する劣等感」が顕著になってきています。美人の愚かさと、中身のなさ、とまで言い出しているのがもう気の毒に思えます。

いったいその「美人」は誰なのですか?

美人にその言葉を言ってみてください。

美人が愚か・・・偏見ありすぎです。

 

 そしてついに

 

ですから、素材として「可愛い人」だけじゃなくて、「雰囲気可愛い人」もいるのです。

雰囲気で可愛くなる理由はさまざまです。とても聡明だから可愛く感じるとか、優しいからとか、元気だからとか、優しいからとか、とにかく、ポジティブななにかの理由によって、雰囲気で可愛くなるのです。そして、それが女性にとって一番大切だと思っている男性はその人と恋に落ちるのです。

 

そんな頑張って恋に落ちたくないわ、とつぶやく私がいます。

 

愚かな男達に、これからも、容姿に関しての言葉を浴びせられるかもしれません。でも、それは男達のすべてではないのです。それが男性全体だと思って、男性全員を不信に思ったり、嫌ったりしてはもったいないのです。

 はちなさんの周りにも、ひとつ成長した男達が確実にいるはずです。いないようなら、交遊関係を広げて探して下さい。

 そして、はちなさんの魅力に惹かれる男も間違いなくいると断言します。

 

もう少し言うなら日本の男性の中に探すのは難しすぎるので外国へ行った方が良いかもです。

 

日本の男性はあまりにも幼稚です。

 

そして最後に鴻上氏は止めを刺します。

 

 最後に僕の大好きな谷川俊太郎さんの詩を紹介します。『彼女を代弁すると』という詩です。

 彼女を代弁すると

 「花屋の前を通ると吐き気がする
 どの花も色とりどりにエゴイスト
 青空なんて分厚い雲にかくれてほしい
 星なんてみんな落ちてくればいい
 みんななんで平気で生きてるんですか
 ちゃらちゃら光るもので自分をかざって
 ひっきりなしにメールチェックして
 私 人間やめたい
 石ころになって誰かにぶん投げてもらいたい
 でなきゃ泥水になって海に溶けたい」

 無表情に梅割りをすすっている彼女の
 Tシャツの下の二つのふくらみは
 コトバをもっていないからココロを裏切って
 堂々といのちを主張している

 

 谷川俊太郎は好きですが、美醜で落ち込んでいる女性にこの詩を送るのは残酷です。

その意味が鴻上氏にはわかっていない。

女性の苦しみがどこにあるのか、まったく気づいていないのですね。鴻上氏は言うのです。

 

自分は60歳だから25歳のあなたはそれだけで羨ましい

 

女性にとってその言葉ほど惨いものはないのに。

せめてそのことくらい気づいて欲しかった、と思います。