ガエル記

散策

『赤穂城断絶』深作欣二

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少し前にテレビ放送で途中から観てあまりの面白さに最初から観たかったーと思っていたらアマプラに登場していて早速鑑賞しました。

なんだろう、この小気味よさは。

映画始まってすぐに殿中にて浅野内匠頭吉良上野介に切りつける場面がありますが「度重なる侮辱」という台詞もあるしもともとどんなにいじめられていたかは知ってるからこれで良いわけです。

その後様々な出来事が畳み込むように映し出されていきあまりの手際の良さに笑えてしまうほどなのですが、様式美ともいえるセリフ回し、所作の連続、いや実際はこうではなかったとは思いますが、現代人として武士の生きざまはこうであったかと学ぶにはこれほど面白く興味深いテキストはないかもしれません。

 

さてこの映画、先日「大嫌いだ」と評しました『アパートの鍵貸します』と共通点があるのですがそれは「クリスマス映画」ということですね。

『アパートの鍵』はクリスマス時期12月を舞台にしており、『赤穂城断絶』つまり赤穂浪士の討ち入りは旧暦12月14日であり、討ち入りというと雪景色が美しいというのが演出だったりいたしますね。

もちろんクリスマス映画という言い方は面白おかしく言っただけですが、雪が降る12月という時期に「上からの圧力」片や上司へ自分の部屋を貸す、年配男との不倫関係を覆す、片や地方の浪士たちが殿の仇と幕府への反乱を起こす、という共通点もあるわけです。

 

この日本ではかつて年の暮れとなるとこの物語が必ず芝居や映画、テレビ放送などになるのが常でありましたが、近年赤穂浪士ドラマは製作されたり放送されていないようです。

先にも言いましたがこの物語は浪士たちが主君の仇である吉良上野介を討ち取るだけでなく片手落ちの裁きを下した幕府への反逆でもあるのです。

この映画の冒頭に「五代将軍綱吉の独裁のもとに徳川幕府の威勢は空前の伸張を遂げていた。この時期にとり潰された大小名の数は48家に登り3万余人の武士が路頭に迷ったが反抗を企ててたもの天下にただの一人も無しという有様であった」という説明が述べられます。

まさに今現在の安倍政権を思わせる状況がこの時代でもあったわけです。

 

吉良上野介の厭味ったらしい言葉にかっとなった浅野内匠頭は刃傷沙汰に及んでしまうのですが幕府が下したのは「浅野内匠頭切腹と御家断絶」吉良上野介は隠居というだけの判断でした。

大石内蔵助らが怒ったのはこの「片手落ち」のご処置であるわけです。

当時武士は「喧嘩両成敗」しかし吉良上野介は刀の柄にすら手を触れていないという理由ですが殿の無念や如何に、という思いで大石たちは立ち上がるわけです。

ここで逸った若侍たちは今すぐにも仇討ちをとなるわけですが大石内蔵助は「我らの敵はひとり吉良殿のみにあらず片手落ちの裁きを下した幕府」というのです。

 

つまり大石たち赤穂の浪人は「幕府への反逆を誓うテロリスト」となるのです。

 

そのテロリストたちを賛美した「赤穂浪士」物語を日本人たちは長く愛し年末の教養劇、クリスチャンにおける「キリストの誕生劇」の如く観続けてきたのにもかかわらず、近年その鑑賞をやめさせているのは如何なる陰謀でありましょうか。

 

赤穂浪士の物語は様々なエピソードが連なるのですが主旋律はあくまでも幕府への反逆のです。

地方の小さな城に住まう武士たちが決起したこの物語はやはり語り継がれ鑑賞し続けられるべきものだと思います。

 

仇討ちを遂げた四十七士がうららかな春に喜びに満ちながら自刃する最期はなんともいえぬ幸福なラストでした。