もう一度書くことになる、と言ってしまったのですが持ち越したくないので今日中にもう一度書いてしまいます。
あの後、『アパートの鍵貸します』全部観終わりました。観終わって思ったのは「あれ、前半までしか観てないと思っていたけど以前全部ちゃんと観てるわ」ということでした。若かりし頃に一度全部観ていたようですがとにかくまったく感動しなかったもののようです。
なぜこんなに反発を覚えてしまうのか、とも思いますが、逆に皆さんは本当にこの映画を観て感動しているのでしょうか、とも思います。
なんとなく名作と聞いて感動するものと思い込んでいる、ということではありますまいか。
21歳のまだ子供と言ってもいいような年齢の若い女性がどうしてあんなごっつい顔でいつも文句を言ってばかりいるような男を好きになったのかまったく理解できないし、比較対象者になるバクスターですら彼女にとってはかなりのおっさんではないですか。
こういったハリウッド映画のお決まりで男はすごく年がいってて女性は極端に若いという設定もいくら昔とはいえ気持ちが悪い。
とにかく全編セックスドラマだけが語られている作品なわけで、自分の住処をセックスの場所として提供することでしがない出世を狙う男と貧しい家柄で学も無いために字もまともに書けない女はセックスを与えることでしか金持ち男の気を引けないという悲しくもあるけどむかむかするおぞましさに満ちた作品なのです。
これが人の世のはかなさだ、そこで引き寄せられた弱者同士の恋物語、というのでほっこり、とはとてもなれないと私は思います。
それでも彼らは白人種なので作品中に登場する靴磨きの黒人の若者が靴を磨いて投げられる小銭を受け止めるよりは良い職種につけることでしょう。
名場面と言われる茹でたスパゲッティをラケットですくうのもガットによごれがこびりついて大変そうとしか思えないし(数日後ラケットに残ったスパゲッティがまだ柔らかいって在り得るのか)睡眠薬を飲んで自殺しようとしたフランを助ける場面だとかもコーヒーをあんなに飲んだら胃が荒れそうとか悪い方向にばかり思えてしまうわけです。
最後の場面でバクスターがフランに「愛している」というのは変に唐突だしどういうことから愛していると思うのだろう、と鼻白む思いしかなかったのですが、フランが「黙ってカードを配って」という台詞だけはなかなか良かったのではないでしょうか。といっても軽いノリって感じですからジーンと感動するというものではないのです。
でもきっと「セックスの話はもううんざり」という彼女の本音だったのではないのでしょうか。