ガエル記

散策

『アパートの鍵貸します』ビリー・ワイルダー

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名作映画、と言えば必ずタイトルがあがってくるであろう一作だと思うのですが、私はどういうわけだか何度も挑戦しているのになぜか前半で興味を失って後半までたどり着けないでいます。

 

とにかく上司の浮気のために自分のアパートを貸す、というのがあまりにもおぞましくて全神経が嫌悪を示してしまうのを抑えきれないのですが、そんなに皆さんこの状況を受け入れきれるのですか?日本の皆さん潔癖が多いと思っていたのですが案外平気なのですね。

いやもちろん苦悩、困難、悲劇を乗り越えていくのが感動作品というものです。例えば一昨日昨日と繰り返して観て二度感動し連日文章にせねばならなかった『ウィンド・リバー』は全編受難の映画であるのですがそれでもそこに繰り返し見たくなってしまう美しいなにかがあったわけですが『アパートの鍵貸します』のおぞましさは私に観るのを途中で止めさせてしまうまでの反発があるわけです。

 

いったいこの嫌悪感はなんなのでしょうか。

確かに私は昔から「都会派作品」みたいなものが苦手でした。
「都会派」と呼ばれる作品はほとんどがなにか気持ちの悪い何かがあるのです。
それはもちろん「田舎派」(などと言う修飾を使う人はいないでしょうが)にもそれ独特の気持ち悪さがあるわけですが、そもそも嫌煙され冷笑され下に見られる「田舎派」に比べ「都会派」は皆の憧れであるわけです。洗練された、おしゃれ、知的、などというような形容がされ、『アパートの鍵貸します』もまたそうですが、それらはおぞましいものを誤魔化すために利用されているだけです。

同じ都会派でも貧乏長屋の話ならまだましというものです。

 

「田舎派」の話もまたおぞましいセックスが絡んでくるものですが「都会派」はおぞましいセックスを知的な会話で飾りつけるのですが私はその修飾が気持ち悪いのです。

名作と言われて観ようとしても全神経が「NO」と叫んでしまうのです。

 

しかし観てしまわねば本当の意味を理解することはできないと言い聞かせ、もう一度挑戦してみます。

いったいどれほどの苦難を神は与え給うのか。

 

しかし可愛らしいシャーリー・マクレーンが高齢男の不倫相手となって自殺未遂する映画を作る男性、喜んで観る男性に反発を感じます。

 

しかし、ということはもう一度評を書くことになりそうですね。