ガエル記

散策

新型コロナウィルスによって改革がなされるか

新型コロナウィルスの進撃がとどまらない。

発生国の隣国にも関わらず、奇妙にも諸外国に比べ発表される感染者数が少ない我が国(もちろん疑惑が取り除けるわけはないとして)でもオリンピックが延期されることが決定されて以降その数はついに上昇しはじめ有名人も含まれることになってしまいました。特に志村けんさんが亡くなられてしまったことは衝撃です。お笑い系をあまり見てこなかった(というかテレビ番組全般ですが)私でも子供時代から長く知っている存在の人がコロナウィルスによって70歳という若さで亡くなってしまうとは正直想像していなかったわけです。いや想像していたはずなのにほんとうに現実となることをやっと認識したということでした。

 

つまりは明日は我が身で自分自身だって「まさか」と言いながらどうなるかはわからないわけですね。

そう思いながらもこのコロナウィルスによって世界が変化していくことも考えてしまいます。

私自身は田舎住みであまり外出もせず人との交流も少なく暮らしていますから現在のところあまり大きな変化はありません。

それでも仕事にも周囲の交際を見ていてもかなり行動が縮小されてしまうのです。

自分の身の周りでは細かな事しか言えませんが少しずつ書いてみます。

例えば図書館で本を借りているのですが、貸し出しは許可されているのですが館内での読書・勉強などは全て禁止になっています。

私は相変わらず本を借りているのですがコロナウィルスは人間だけでなく物質の上でも生存しているということを考えれば本当は危険なことをしているわけです。

本のデジタル化ができるようになってかなりになりますが実際は「紙の本」がすべてデジタル化されてしまうようになったわけではありません。

「紙の本」でないと本を読んだ気にならない、とか紙の本を読むこと自体が好きなのだ、という方もおられるのですが私は「紙の本」へのこだわりはそれほどあるわけじゃないと思っています。

じゃあなぜ紙の本を読んでいるかと言えば古本で安く購入できないからという理由のみなのです。

デジタル本の「青空文庫」はありがたく読ませていただいていますし、「紙の本」しかない図書館がすべて「デジタル本」で貸し出されるのならなんの躊躇もなくデジタル本を借ります。

「大きな図鑑などは紙の本じゃないと」というような意見はあるでしょうが借りている本のほとんどは文字がメインで大きな図鑑を借りることはほとんどない(本気でないと思います)し、小さな挿絵などだったらデジタルのほうが拡大できるからいいかもしれません。

デジタル本の貸し出し、って私には未経験なのでどういう仕組みになるのかよくわかりませんが、2週間ほど借りれて自然に読めない状態になる、ということでしょうか。

そして貸出があると作者にそれなりの利益がはいるようになれば作家にも有益であると思います。

もちろんすっかり気に入って我が本にしたければ購入もできる仕組みがなされるでしょう。

古本で安価になる仕組みももっとやって欲しいですがその前にデジタル化自体が進まないとまだまだ紙しかない本が多いのです。

で、しかたなく紙の本をまだ買うことになってしまいます。

本のデジタル化が進めば紙の消費もなくなるわけですし、どうしてもっと早く進まないのかと思うのですがこれはこれで関係者の利益がなくなる、ということですね。

少なくとも学校の教科書だけでも紙の本をやめて全部デジタル化すべきです。そうすればランドセルやカバンが軽くなるではありませんか。

紙のノートもやめてタブレットでいいのです。

「字が書けなくなる」という方はご安心ください。

タブレットにそれ用のペンで字が書きこめます。

まとめてタブレット一個でもできそうですし、教科書とノートの別タブレットでもふたつですみます。

これなら学校に持ってくるのを忘れても備品のタブレットで自分のアカウントを出せばいいのですから宿題を家に置いて来てしまった、ということはなくなります。

先生も生徒のノートをいちいち回収し配る必要もないではありませんか。

 

もちろん学校に来る必要すらなくなっていくわけです。

「登校拒否」という言葉はなくなります。登校などせず授業はうけられるのですから。

こうした仕組みはもうとっくにできるはずなのにどういうわけか日本という国はやってきませんでした。

タブレットでのネット配信授業が当然になれば学校という場所の意義は変わっていくでしょう。

「ひきこもり」という存在もテレワークがデフォルトになれば意味が変わっていきます。

みんながひきこもっているのですから。

 

このあたりの想像は現実化してあたりまえのことではないでしょうか。

もちろん学校や会社がその場に集合しないとできないこともあるでしょうし集団生活の中で学ぶべきこともあります。

ただ、現在のように無意味に同じ時刻に集まらなければならないとしなければ都会の満員電車での苦痛はなくなります。

そもそもこれまでのインフルエンザウィルスも満員電車が原因ではないかということなので一挙に解決できるわけです。

 

無理をしすぎていた登校や通勤を見直して改善していく機会に今あります。

 

また海外で9月が学校や会社の始まりなのが日本だけ4月なのによる不都合が多々あったわけですがこの機会に9月から始まるように改変できないのかとも思います。

 

新型コロナウィルスへの恐怖、悲しいできごとは続きますがより良い社会作りを目指していければいいのに、と願わずにはいられません。

 

さて、そうした社会変革を見届けられるか、られないか、この時期を乗り越えきれるかどうか。

それは誰にもわかりません。