ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第三十一巻

馬超孟起表紙絵もちろん一回目。美形なのはたしかですがこのヘルメットは個性的!

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

馬騰とその次男三男を討ち果たした曹操はこれで呉討伐ができると三十万の兵を編成し動き始めた。

孫権は玄徳に協力を求め孔明は余裕でこれを引き受ける。

孔明は親兄弟を曹操に殺された馬超の復讐心を利用しようとすぐに西涼へ密使を出したのだ。

 

馬超は奇妙な夢を見た。雪の中で虎に襲われる夢だ。

いやな予感がした馬超はそれが現実となったのを知る。いとこ馬岱が乞食に身をやつし疲労困憊で逃げ延びてきたのだ。

彼によって父馬騰と弟たちが曹操に殺されたと告げる。

か、かわいそうに。

思いきり悲しんでいて胸がすくようだ。

 

馬超の元に玄徳から「共に曹操を討ち果たそう」という手紙が届く。

馬超は使者に感謝を伝え戦の準備を告げた。

 

曹操西涼韓遂馬超を生け捕りにして寄こせという命令を下していた。が、韓遂馬超を呼び寄せ「わしもお前の父と義兄弟の約束をした仲だ。力を貸そう」と言ってくれた。ふたりの総勢二十万の西涼軍となってまず長安へ向かった。

良い感じのおふたりです。馬超の馬は連銭葦毛ですね。若武者らしいいでたちです。

 

長安の城は堅固で簡単に落ちるものではなかったが馬超は部下龐徳の提言もあり我慢強く粘る策略を行った。いったん三十里引いて陣を取る、と見せかけ籠城させた後水食糧が欲しくなって開門したのを逃さず商人や領民に姿を変えた西涼の兵士たちがこっそり紛れ込み門を開けたのだ。

馬超韓遂隊はなだれ込み大将鐘鍚繇は潼関に落ちのびるしかなかった。

 

援軍を要請された曹操は敵の数二十万と聞き曹洪徐晃に一万の兵を与え潼関を十日守り通せと命じる。その間に曹操自身が大軍を引き連れて参るという計略だった。

 

馬超軍では再び龐徳が入れ知恵をしていた。曹洪徐晃相手には力攻めではない方が良いと。

西涼軍の兵士たちは

という「からかい作戦」に出たのだ。

前も書いた気がするけどこの「からかい作戦」いつもかーーっとなって引っかかってしまう三国志武将たち。そういうものなんんだろうなあ。

確かにネットで侮辱されたりすると物凄く反応炎上してしまうのを考えても「からかい作戦」は引っかかりやすいんだろうねえ。

曹洪は我慢できず止め役の徐晃がその場にいなかったのを幸い城から出て暴れまわってしまう。これに気づいた徐晃は止めに走るが時すでに遅くふたりは西涼馬岱に襲われる。

慌てて城に戻ろうとするがそこにはもう「馬」の旗印が翻っていた。

曹操の救援軍はもう近くまで来ているはず、ふたりは必死で血路を開き逃げ延びていく。しかし残された曹軍は惨憺たるありさまであった。

 

救援の曹操軍は曹洪徐晃に途中出会う。

十日間が持ちこたえられなかったというふたりの理由を聞いて曹操は激怒。

が他将軍らの助命嘆願で処刑は免れた。

 

翌日潼関の東方で曹軍三十万と西涼軍二十万が対決となる。曹操馬超に呼びかけその非を問うたが馬超は逆に曹操に対し堂々と曹操側にこそ非があり馬超の旗を誰が不義の乱といおうぞと返す。

曹操馬超の弁舌に悔しがり生け捕りを命じた。

馬超はあっという間に二武将を打ち取ってしまう。

ふたつの軍は総当たりとなったが次第に曹軍の旗色が悪くなってきた。中央を突破され曹操は部下に守られ逃げ延びる。が、彼のまとう赤い戦袍が目立ちすぎ目標となってしまった。曹操は急ぎ戦袍を脱ぎ捨てひた走る。

が逃げる曹操馬超と出会ってしまう。

馬超は父の仇と曹操を追う。そこへ曹洪が駆け付け馬超と対峙した。

曹洪は周囲にも呼び掛ける。

馬超は多勢に無勢。必ずや曹操の首もらうぞと言い残し去っていった。

 

ふむふむ若者は率直で良いですなあ。

ひきかえおっさんはちがうところでかっかしすぎるw

 

大失敗をした曹洪だったが馬超から曹操を守ったことで名誉回復。よかったね。

曹洪意外に皆に好かれてる?