ガエル記

散策

『三国志』横山光輝 第三十一巻 その2ー渡河作戦ー

良い感じである。

曹操のことほんとに好きな感じする。

この人は許褚かな。ずっと曹操を守ってきたのだなあ。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 


かくして曹軍と西涼軍は渭水をはさんで対陣した。

だがこれで両軍ともうかつに動けなくなり対岸から悪口を言い合うだけの戦となった。

またまた悪口攻撃かあ。

 

曹操を中心に曹軍は会議を開く。将たちは口々に悪口は聞き飽きましたと不平を言うが曹操はもう西涼軍を軽く見てはいなかった。

そこへ提言したのが徐晃だった。軍を上流と下流に分け敵の前後から攻めればいかがか。

曹操はこれを受けすぐさま渡河の準備にはいった。

西涼軍では韓遂がむしろこれを絶好の機会と言い馬超も「さようでございますな」と同意する。

ところで韓遂のお腹のマークはいったいなんなのかな。みみずく?きもかわなかんじ。

曹操はいかだを作らせ兵たちを渡らせる半ばで馬超軍が曹操たちを襲った。いつの間にか河を渡っていたのだ。

戸惑う曹操を部下がおぶって逃げ船に乗せた。

矢を射かけさせる馬超曹操危うしと思ったその時突如馬超軍の前に馬の一群がなだれ込んできた。馬超軍は馬に目がない。たちまち馬を捕獲するのに夢中になり曹操を逃してしまった。

牧場を開いて牛馬を追い出したのは渭南の県令で丁斐という者だった。曹操は才能を見込んで校尉に任命した。

 

韓遂馬超はこの失敗を悔しがった。

韓遂馬超を残し夜襲をかける。が、曹軍は落とし穴を作って待ち構えていた。韓遂は穴に落ちながらも這い上がって引き上げた。

それを知った馬超はあえてすぐ再び夜襲を行う。これも曹軍は予想して迎え撃ったのだが執拗に夜襲を繰り返し行った。


馬超のしつこさに曹軍は城を築いて守るしかないと考える。人夫二万人を使って早急に仮城の建設に着手した。

馬超は小石まじりの河原の土で壁など造れんと笑い完成する少し前に攻め落とすと計画した。

 

馬超の計画は火攻めであった。城が八分まで出来たのを見た馬超は河に油を流して火をつけさらに火のついた油壷を出来かけの城に投げつけて燃え上がらせた。

もう少しで出来上がったはずの城は焼け落ちた。

曹軍はめげずに再度地下城を築くことにする。ところが不思議なことに川べりの水が減っていくのだ。ある日豪雨となったが河の水量はまったく増えていないという現象がおきた。訝しむ兵士たちが見ているあいだに渭水の河が津波となって襲ったのだ。

馬超曹操が地下城を造ると知った時から上流に席を造り河水をためていたのだ。そして水量が増したと同時に席を切って落としたのである。

小石まじりの河原の土でできた地下城はこの水の勢いにはひとたまりもなく落ちた。

曹操の城はまたしても馬超によって破壊されてしまったのだ。

 

馬超もまたカッコよくて強いだけではなく智謀の人でもある。しかもまだとても若くいまだに若殿と呼ばれているのが初々しい。

曹操としては馬超自身が欲しくならないのかねえ。