馬超表紙絵連続して二回目。
頭にばっか気を取られていたけどベルトも可愛い。なんだろう、鼻ピアスしたおじさん的な。
ネタバレしますのでご注意を。
さて馬超の夜襲は執拗に続く。しかして曹軍は守りの城を築くことができない。ここまでは馬超軍が圧倒してきたのだが。
執拗さでは曹操に勝つものはないのかもしれない。
ひとつには曹操が才能を愛し有能な者を集め常に彼らの意見を聞いてきたたまものでもあるのだろう。
時は冬が訪れこれから厳寒に困窮していく季節なのだが曹操はこれを逆手に取る。
といってもその秘訣を教えてくれたのは初めて会った夢梅という隠居老人だった。突如曹操に「軍略を教えてやる」と訪れてきたのだ。他の将軍であれば怒って追い出すのだろうが曹操は面白い事件が好きなので好奇心が勝ってしまう。
果たして老人は「兵士らに水を打たせておけば朝には城が自然にできていましょう」と語った。これに曹操は「ア・・」と声にもならぬ。すべてを悟った曹操は老人の手を取手感謝した。
頭の回転が速いからわかってもらえるんだよなあ。
すぐさま曹操は兵士を動かし言葉通り朝には氷の城ができあがっていた。
馬超はこれを見て驚く。城が完成し余裕をもって曹操は馬超に降伏を迫るが復讐に燃える馬超に聞く耳はなかった。
「俺の望みはお前の首をはねることだ」と突き進んでくる。これを止めたのはまたしても許褚だった。
しかし馬超はここでは対峙せず去っていった。許褚は曹操に許しを得て馬超に一騎打ちを挑み馬超もこれを受けた。
許褚と馬超の一騎打ちは互角で勝負がつかなかった。
曹操はまさか馬超という若者がこれほど豪の者だったのかと舌を巻く。
拉致のあかない勝負に許褚はもろ肌を脱いで打ち合いを続けた。
が、鋭い馬超の槍についに許褚が槍を落とす。すかさず衝いてきた馬超の槍をかろうじて受け止めた許褚。
一本の槍の引き合いとなる。
槍は真っ二つとなって二人はそのまま打ち合った。
曹操は「もうよい引き分けだ」と声を上げる。引き揚げの合図に許褚は従った。
「この機を逃すな」と韓遂が叫び両軍は激しい総当たり戦となった。
が、「旗色悪し」と曹操は軍を氷の城に戻した。
馬超は氷の城を見上げ「春になれば役にたたんぞ」と言い残して去っていった。
もろ肌脱ぎの許褚かっこいいっす。
さて馬超の言葉は確かだと曹操は考えた。しかも馬超があれほど強いなら被害は大きくなるばかりだ。
「渭水の西に伏せてある徐晃の兵を増やして挟み撃ちしか手はない」
これが功を奏した。
この報を聞いた馬超・韓遂は和睦しかない、と考えるに至ったのだ。
そしてこの展開が最強と思われた馬超・韓遂軍を大きく変化させ破壊へと向かわせたのだ。
いきなり和睦を申し込まれた曹操は喜ぶが部下は「これは偽りだ」と進言する。「が、突き放すのもよくない。馬超と韓遂は互いあってこその強さ。和睦を受け入れたふりをしてふたりを別れさせる工作を考えましょう」となった。
確かに・・・なぜ西涼軍が優位なこの時点で韓遂は和睦を言い出し馬超も同意したのか。そもそもが曹軍より弱小ではあるので堪えるのが困難だったのか。
しかし優位なまま進めなかったのか、所詮ここまででこれ以上となれば数に勝る曹軍が逆転していくのは予見できたのか、といろいろ考えさせられます。
そして曹軍はこの潮目の変わるタイミングでさらなる策謀を打ち出してきたのはさすが常勝チームといえましょう。
そして次に韓遂・馬超の離別を進める策略を打ち出したのは他ならぬ馬超自身だったのです。
曹操は和睦を受けた。が、馬超は姦雄たる曹操は信用できない、韓遂と自分とかわるがわるで見張ろうと言い出します。
まさかこの戦法が自分の首を絞めることになるとは思ってもみなかったでしょう。
かわるがわる曹操を見張ることで韓遂と曹操が二人きりで密談する日を作ってしまったのだ。
これは策略で実は曹操何気ない世間話をしただけだったのだが何も知らない馬超の部下にはふたりがこっそり何かを打ち合わせていたように見えこれを馬超に告げ口する。
さらに曹操は韓遂に読むことができないように上から塗りつぶしたような手紙を送る。
いかにも何かありげに仰々しく韓遂に手紙を渡すと思った通り聞きつけた馬超が手紙を見に駆け付けてきた。
塗りつぶされた手紙を見た馬超は「これは私に見られては困るので韓遂殿が消されたのではないか」と言い出す。
「この前はふたりきりで密談し今度は手紙が塗りつぶされているのを見せられた」と疑惑の念を告げたのだ。
韓遂は馬超を制し疑いを晴らすため馬超を韓遂軍に紛れ込ませて曹操の見張りに立つ。
ところが曹操はすべて読み通りと曹洪に出向かせわざと「韓遂殿、昨日の曹操様との約束確かにお守りくだされよ」と言わせたのだ。
これを聞いた馬超は「韓遂、裏切者」と槍を持って向かっていった。
部下たちが止めに入り韓遂はその場を去ったが馬超はもう韓遂を信じることができなくなっていた。
そうして韓遂側は馬超から離れ曹操に帰順することを余儀なくされる。
馬超の疑惑さえ生じなければ韓遂・馬超軍は最強のままでいられたのだろう。しかしどちらにしてもいつか亀裂は入ったのかもしれない。
馬超のこの思考、若さゆえの過ちなのか。
曹操は韓遂の使者に馬超を招いた酒宴を設け隙を見て火を放て。その火を合図に曹軍がなだれ込み馬超を討つ、と手はずを伝える。
韓遂は曹操の計略通りに進めようとするが馬超は招かれるより早く韓遂の陣幕に入っていき韓遂の片腕を切り落としてしまう。
知勇ともにある若き英雄の登場と思われた馬超だがこの展開は残念です。
無論曹操側が圧倒的に上手だったとしか言えないのですが。それでもつい先ほどまでは馬超・韓遂のほうが有利だったというのに。
勝負は時の運、とはこうしたことでしょうか。
手はず通り火の手が上がったのを合図に曹軍がなだれ込み馬超は勇猛に戦うも多勢に無勢愛馬は矢衾になって倒れ馬超は「もはやこれまでか」と叫びます。
しかしそこへ馬岱と龐徳が馬で駆け付け馬超を拾い上げて走り去ります。
曹操は馬超の首に大名の位をかけて兵を盛り上げる。馬超は夜も寝ず昼も食わずひたすら西涼を目指して駆けた。
それでも曹軍はついに馬超を捕えることができないまま許都に帰らざるを得なくなった。玄徳や孫権がおかしな動きをしているという報が入ったのだ。
が、曹軍、西涼軍を破るの方は各地に広がったのだった。
さてここで馬超編はいったん閉じ「蜀」の物語に入っていきます。
そもそも孔明が玄徳に天下三分の計を説いた時曹操の「魏」孫権の「呉」はすでに彼らのものでしたが玄徳はまだ何者でもなく何も持たない流浪人だったわけです。とりあえず劉表の食客といえばいいのでしょうか。
孔明がそんな彼にお勧めしたのが「蜀」だったわけですが何も知らない身としては「蜀」ってどこ?となりますね。
「蜀」とはいもむしという意味でもあるらしい。なるほど字の中に虫と言う字が入っています。いもむしという名の国か。などと思いながら検索すると現在の四川省にあたるわけでした。
孔明はこれを「長江千里上流にあり」と言い我が国の源流である土地に玄徳の基盤を置くことを考える。
気宇壮大でかっこいい!とは思うのですが実際ここで暮らすのを考えると玄徳としては本音どうだったのか。
とはいえ「天下三分の計」と言ってもこれは基盤のことでありもちろん最終的には天下統一を目標としての足掛かりなので納得はしていたのでしょうか。
しかしこれが玄徳が二十歳の時せめて三十歳のときだったら大興奮だったかもですが(孔明自身はその年齢なわけで)五十歳でこの光景から始めるのはなかなかきつい気がします。
がもちろんここにも生活を営む人々はいるわけで。ここからその物語が始まります。
なにしろここの兵士は戦ったことがない、という始末なのだ。ならば張魯に蜀を渡して身分を保証してもらうかと考えている時、張松がこれを制した。
うむう。横山『三国志』でここまで個性的な人物はいなかった。
小説で不細工と称されていた龐統も意外に味のある人物に描かれていたのにこちらはかなり明確な不細工(ほんとごめん)として描写されている。
むしろ横山『三国志』で貴重な存在ではないか。
だが張松は明晰な考えの持ち主であった。(だがってなにだがって)
曹操を説得し漢中の張魯を攻めてもらうことを提言する。曹操は今馬超に父の仇と狙われていることを案じている。今逃亡中の馬超が漢中の張魯と手を組むことは大いにありうる。
漢中は西涼の人間が入り込んでいる土地でもありこのふたりが手を組む前に攻めた方が良いと曹操に提言すれば曹操は動くだろう、と述べたのである。
張松は急ぎ画工を呼び集め蜀四十一州の絵巻を作らせた。張松自身が長年にわたって地図の下絵を作っていたのである。
張松は出来上がった絵巻と献上物をそろえて曹操のもとへと向かった。
この「張松許都へ向かう」の報は間者によってただちに孔明のもとへ届いた。
孔明はすぐに人を都へ向かわせその様子を探るように命じた。
許都での曹操の栄華は極まっていた。
西涼を粉砕して連日酒宴に明け暮れていた。(やっぱ酒宴好きだな曹操)
華やかな都へ到着した張松一行は曹操に拝謁を願い出た。しかし七日過ぎても通知もない。宿の主人は張松に賄賂を贈ったかと聞く。
この張松が可愛くて好きになったw
主人は代わりに賄賂を届けましょうかということで数日たつと拝謁がかなったのだ。
「ほら御覧なさい」と言う宿の主人に張松は「これを素直に喜んでいいものかな」とつぶやいた。
曹操は真っ先に「蜀は何故毎年の貢ぎ物を献じないのか」と問う。張松は「蜀道は険しい上に盗賊も多いので」と答えると曹操はかちんときて「余はいながらにして天下を治めている。野盗が出没するほど余の威光は衰えておらぬ」と返した。
しかし張松は「いや天下はまだ平定しておりませぬ」と説いたため曹操は激高し席を立ってしまった。
楊修と名乗る役人が張松に対しあなたは蜀の田舎に住むために曹操様の偉大さをご存じないのだ、と言って曹操が書いた孟徳新書という書物をひけらかす。しかし張松はそれを笑う。その書物は戦国春秋のころに書かれた作者不明の著書がありこれは曹操が書き写して無学の子弟に自慢しているのにすぎない、と言ったのだった。これくらいの内容は蜀の国では子供でも知っているものと言う張松に楊修はならば暗唱してご覧あれと詰め寄る。
張松はすらすらと全編を暗唱してみせた。つまりは彼の言う通りだったのだ。
楊修はもう一度曹操に会えるようにとりはからってくれた。
再度曹操との面会がかなったもののそれは張松を追い詰める結果になってしまう。
またもや張松は率直さで曹操を怒らせ百叩きの刑に処せられてしまうのだ。
(しかし曹操の人生、すべて世に知られているのねw面白いなあ)
ううむ。張松、凄く知識があるのはいいがやはり孔明じゃないんだなあ(あたりまえ)
おべっかを使うというのではなくて曹操のような人物を操るのもまた才能だと思うのだけど。
といってもここで張松に嫌われてしまったことで玄徳へとつながったのだ。
うひゃあ、どうなるのか。
楽しみ楽しみ~~~~。(いや知ってるだろ)
曹操も変なとこでポカやるんだよね。
張松さんの活躍早く読みたい読みたい。