ガエル記

散策

『時の行者』横山光輝

ずっと気になっていた横山光輝『時の行者』ついに読み始めます。

過去に少しだけ読みかじったことがあるのですがどんな話なのか、さっぱり判っていません。さてどんな物語なのでしょうか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

ということでいきなり全編のネタバレをします。

 

 

過去に少しだけ読みかじっていた、と書いたのですが実はその少しだけというのがこの作品の最終六巻だったのですw

なのにどういう話かわからなかったという。つまり本作、むしろ最初を読まないとよくわからないんですね。というか全部をですが。

 

主人公「時の行者」くんはいかにも横山マンガの主人公らしい一本気の善良な少年です。不思議な能力を持ちそのことに悩んだりしないのも横山ヒーローらしい「陽の気」に満ちています。徹底した陽キャです。

 

舞台は日本の過去、と言ってもどうやら江戸時代に限られていて縄文時代だとか平安や明治ではない。

そこに登場する少年はどうやら「未来からタイムワープ」してきたらしい。しかも「現在」よりも未来らしい。

とはいえそれは光線銃やバリアーやオーラを捕える眼鏡を見てそう思うのですが保存食が缶詰だったりカセットテープで音楽を聴いたりというのがすでに現在より過去になってしまっているのでなかなかややこしい。そのあたりは「そういう嗜好の未来人」と思えばよいだろうか。

 

とにかくそうしたテクノロジーを持つ少年が江戸時代に現れれば「法力を持つ行者様」と見なされる。

今現在ではまだバリアーや光線銃は作れないので未来という時間から江戸時代へ行く、という仕掛けが行われる。

最初はなぜ少年行者が未来から江戸時代に来たのか、は語られないまま幾つかの物語で進行していく。(最後に近くなるまで名前は語られない)

 

最終巻で少年行者の名前が淳であることがわかり未来で共に暮らしている理沙という少女を探していたことが解る。

理沙と淳が住む「未来」では優れた科学力で守られた建造物にふたりはふたりだけで住んでいるらしい。周囲は砂漠で理由は不明だが時折「なにものか」からの攻撃がありふたりは必死でそれらを防御して生きている。誰もいない砂漠の中で終わることのない戦争におびえながら生きているのだ。

理沙はそんな生活が嫌で過去に戻ってはどこかで未来を変えられないのかと足掻いているのだ。しかし淳の方は「過去を変えることは無理なんだ。変えられるのは未来だけなんだよ」と思考していた。

どうやっても過去を変えられないと知った理沙はあきらめて淳とともにより良い未来世界を作ることにした、というのが本作のとりあえずのあらすじなんだろうけどそれでは江戸時代だけにこだわっているのは奇妙なのだ。

 

結局作者横山氏の目的は「江戸時代の様々な物語」を現代の子どもたちにも興味を持たせながら作ることなのだろうと思います。

どういうわけか少年マンガという世界は時代劇からすっかり離れてしまった。

その後の活躍から見ても横山氏は歴史ものを重要と思っていたはずでこの状況に危機感というか寂しさは感じていたのではないでしょうか。そこで大人気作だったバビル二世のようなSFと時代物をミックスして物語化されたのだと感じます。

しかし結局『時の行者』自体もかつての忍者ものほどの人気もまた『バビル二世』のような人気もつかむことはできなかったと思われます。

 

とはいえ私には非常に面白い作品でした。

そして未来の少年の目を通して歴史を見ていく、という設定はその後も多くのクリエイターに影響を与えたのではないでしょうか。