怒涛の項羽と劉邦でした。
とにかく勢いが物凄い。
私は横山『項羽と劉邦』を読んでいたので内容はわかるのですがいきなり本作を読んで理解できるものなのでしょうかと心配にはなりました。
ネタバレしますのでご注意を。
一番気になるのは虞美人の変化よりも「陳勝・呉広の乱」の描写ではないでしょうか。
「革命」というものがないこの日本では「陳勝・呉広の乱」はこうした表現になりがちなのかと暗澹たる思いもしました。
少年誌においてこの乱をどう表現するのかは重要なことに思えるのですが。
「陳勝・呉広の乱」は史上初の農民反乱であり、この楚漢戦争の引き金になった重要な事柄です。
それは力及ばずわずか半年で内部分裂しリーダーが殺害される形で終わってしまうのですがそれを「図に乗った百姓」という表現で終わらせるのはどうなのか。
対して横山版では陳勝に対する尊敬の念が描かれていたと思えます。
いわば劉邦自身が彼らと同じ立場であり才能もほぼ同等だったかもしれないのがいわゆる「王になれる立派な顔」と「なぜか慕われる人柄」のおかげで良き支援者が集まり陳勝とは違う道歩めた、というところを強調して描いて欲しかったと思います。
そこに横山版の力を改めて感じました。
歴史ものというのは丹念に描かねば伝わりにくいもの、地道な横山版の魅力は先に進むほど大きくなっていきます。
特に最期の巻はもはや劉邦そして張良の活躍もなくなりただただ項羽のかっこよさだけが浮かび上がってきました。
覇王別姫を見たかった私としては満足ではありますが。
それにしても少年マンガで歴史ものがすっかり廃れてしまったのも本作を読むと納得もします。
歴史ものというのは少年マンガ的ではなく少女マンガに向いているのでしょう。
丹念な人間関係や心理描写が必須なのです。
劉邦が良い人であるという改変もなかなか大変だったと思えます。
そして韓信・・・本作の韓信の意味がよく分からない・・・存在したからどうしても出さないわけにはいかなかったのだろうけど横山版のように詳細に描いていけないのなら韓信は出さない方が良かったのではとさえ思える。横山版でさえ『史記』を読んでやっと韓信の面白さが理解できるのではないでしょうか。やはり韓信は横山版に限ります。
そして烏騅が出てこなかったW
馬はいるが烏騅はいない。何故か歌には歌われたがW
烏騅のいない項羽とは。
私としては別の『項羽と劉邦』を読みたかったので大いに満足です。
追記:ハタと気づいてしまいました。
本宮ひろ志先生は項羽と劉邦を「女を選んだ男と女を選べなかった男」に描いたのですね。
「女を選んだ男」はそういう選択をするゆえに自滅し「女を選べなかった男」はそれゆえに天下を取った。
横山光輝先生はそういう選択を取らない(ほぼ女性無視)ので忘れていました。
本宮先生は女性を選らぶ男もまたあり、と描いたのではないでしょうか。
そのために絶世の美女虞はふたりの男と交わらなければならなかった。
劉邦は虞をぞっこん愛しながらも家族や仲間を選び、項羽は虞だけで良いと選んだ。
ほんとうに女に恋するとはそういうものかもしれません。
が、横山先生はそういうのは描かないなあ。笑