ガエル記

散策

『捨て童子 松平忠輝』横山光輝/原作:隆慶一郎 その1

読了してから書いています。同じく横山光輝著『徳川家康』を先に読んでいたのはとても良かった。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

これはいわば「もうひとつの徳川家康と忠輝と秀忠」ともいうべき作品なのだ。

ドラマ『如懿伝』を観て『瓔珞』と比較したことがあるならその妙味がわかるだろう。

とりあえず(諸説あるだろうが)史実的な『瓔珞』で悪女とされた嫻妃=如懿が『如懿伝』ではなぜ彼女が「悪」と皇帝から退けられたのかがわかる。

本作も山岡荘八徳川家康』で「悪」とされ父親・家康から退けられた忠輝の物語の真実とは、という仕掛けになっている。

『如懿伝』が面白かった人は本作もきっと興味深いに違いない。私がそうなのだ。別の側面で見ればこうだった、のかもしれないというミステリーなのだ。

羅生門ドラマ」とも言える。

 

さて私は上に挙げた画像の本で読んだので一巻が分厚く頁をめくるのが大変だった。デジタルに慣れてしまうと紙の扱いは気を遣う。

 

慶長三年(1598)九月、太閤秀吉は死んでまだ半月という時期から物語が始まる。

鬼怒川添いの道をゆく主従があった。

主の若者は雨宮次郎右衛門忠長。大久保長安の手代衆。

供は才兵衛、武田忍者の流れを汲む手練れである。

このふたりが「鬼っ子」と呼ばれ父兄から忌み嫌われ周りからも疎まれた松平忠輝(幼少時は辰千代)を出会ってすぐに惚れ込み物語を通して見守っていく役目なのだ。

 

忠輝の幼少期は悲しい。というか生涯父・家康に嫌われ続けたとされるのはあまりにも可哀そうだ。

そもそも山岡荘八徳川家康』でも家康は生まれたばかりの忠輝を見て顔が気に入らず(って自分に似てるんだろうに)自死させた長男にそっくりだという呵責もあり遠ざけてしまう。それ以降猛々しい気質の忠輝を生涯嫌い続け最期は勘当して会いもしなかった。

横山光輝氏はもしかしたらここまで忠輝を嫌った家康を描いたことに心残りがあったのではないだろうか。

私は山岡原作『家康』を読んで「やっぱ家康好きになれない」と思ったので。作品は非常におもしろいが。

忠輝の義父になる『伊達政宗』も描きさらに忠輝も描いてやっと自分の中でくすぶっていた家康・忠輝の関係に良い着地点を見つけた、というのは言い過ぎだろうか。

私は凄く良い着地点になった。これなら家康を好きになれそうだ。

(その分秀忠が物凄い悪者になってしまったw大団円は難しい)

 

忠輝=辰千代は父に疎まれるが母からは好かれている。これが唯一の救いだ。これで母からも嫌われたら本当の鬼になっていただろう。今なら家康を毒親というべきだろう。「顔が鬼っ子だ」と言って捨てさせるとかお前が鬼だろう。

 

こうして忠輝=辰千代はどこか寂しさを抱えて生きていく。

この忠輝=辰千代は幼い時から人並外れた才能があった。誰から学ぶことなくもしくは少し学んだだけで武芸、笛などに長けているのだ。

家康の後継者に選ばれた秀忠も最初は辰千代に興味を持つがあまりの天才ぶりが鼻につき次第に嫌悪感を強くしていき最後は殺さずにおれなくなってしまう。

こうした高い才能と強い執着心はどちらも家康的なものを感じさせる。

つまり秀忠も忠輝も家康の血をしっかり受け継いでいるように思える。

それが異常なほどに強かったのが秀忠と忠輝なのだと思える。

「鬼っ子」の描き方はとても魅力的だ。ところがレビューでは「おもしろい」というのと「あまりにも桁外れでつまらない」というのが見える。

やはり「鬼っ子」は強く惹かれる人と強く毛嫌いする人にはっきり分かれてしまうもののようだ。

冒頭の忠長と才兵衛は鬼っ子にぞっこんになった派閥。かたや秀忠と秀忠の正妻・於江は嫌悪する。

そして豊臣秀頼と結婚する千姫も後にはその秀頼さえも鬼っ子に心惹かれる。

さらには傀儡の人々、その中にいる雪に辰千代は恋をする。

そうした描き方があまりにも自然で人間味があるのだ。

 

この作品は横山氏の最晩年の作品と言える。この後に『史記』があり『殷周伝説』がある。辰千代のキャラはその時の哪吒にそっくりだ。

これも辰千代がとても気に入って哪吒としてもう一度描きたくなったのではないかと考えたりする。

 

もちろんまだまだ続く。