ガエル記

散策

『バビル2世』横山光輝 もういちど その2

今日は『バビル2世』と重ねて考えてみたいマンガ作品について書いていきます。

萩尾望都スター・レッド』と山岸凉子日出処の天子』です。

なのでこの二作品のネタバレにもなりますのでご承知ください。

 

 

では本作もネタバレしますのでご注意を。

 

 

まずは萩尾望都スター・レッド』(1978年~1979年)

こちらは物語そのものではなく超能力を持つ主人公の描き方・表現が明らかに影響を受けている、という点をあげたい。

ヒロインのセイ・ペンタは火星で生まれた5世代目。ペンタというのは5世代目という意味である。

つまりセイ5世という名前なのだ。(ちょっと違うか)この「なん世代目かを必ず名乗る」というのが「バビル2世」という名前からきているように思える。

この物語の中では火星人は超能力を持っており世代が進むほどその能力は高くなっていく。とはいえその歴史は浅くセイは(たぶん)初めての5世代目であり最も高い能力を持つ希少な存在なのだ。

が、火星人は地球人から迫害され戦争で多くを殺され生き延びた者は都市を離れて生活を始めた。セイは地球人であるパパ・シュウに拾われそれ以降娘として育てられる。

が、セイの心はいつも火星を思いつめていた。

スター・レッド』を読むたびに「なぜセイはこうもためらいも悩みもなく突っ込んんでいくんだろう」と思っていたのだけど『バビル2世』を読んでその謎が解けた気がした。

セイはバビル2世にそっくりなのだ。何も臆することなく突き進む主人公はかっこいい。現在は悩み迷う主人公が受ける時期になっているがバビル2世とセイ・ペンタは猛進していく主人公タイプなのだ。

今回『バビル2世』を読み返していて浩一が両親に別れを告げる場面とセイがパパに別れを告げる場面のセリフが同じことに気が付いた。

(思った以上に『スター・レッド』記憶している私)

なぜか浩一君、お母さんじゃなくお父さんにこれを聞く。パパっ子だったのかなあ。

そして以前の記事でも書いたバビル2世がバベルの塔の睡眠装置(?)から目覚める時の表情がセイが麻酔をかけられる時の表情に影響を与えていると思う。

ただ作品内容は『バビル2世』ではなく『地球ナンバーV-7』に近しいものを感じられるかもしれない。

どちらにしても萩尾望都横山光輝から強い影響を受けているのは確かだしこれは萩尾氏自身が明言されているのだから問題ないだろう。

 

 

さてその問題は山岸凉子日出処の天子』(1980~1984))だろう。

『バビル2世』に似ている『マンガ作品』を挙げよと言われて『日出処の天子』を挙げる人はいないのではないか。勿論話自体はまったく違うものであり「似せた」ような点があるわけじゃない。

ではなんなのか。

 

横山光輝作品は多くの少女マンガ家に影響を与えたと言われ萩尾氏も明言されているのだがこの一年近く横山作品を読み続けて最も大きく影響を受けているのは山岸凉子氏なのではないかと感じた。

特に『日出処の天子』は長編というのもあって色々な場面で横山氏の影響を感じるのだけど『バビル2世』に関していえば主人公の超能力と人格そして他のキャラクターとの関係性において強く影響されているのではないかと思う。

かといって超能力者厩戸皇子=バビル2世ではないのが山岸凉子の怖いところである。

次の画像を見て欲しい。

これは冒頭に挙げた画像だがここに『日出処の天子』との相似点があるといえばおわかりいただけるだろうか。

 

つまり『日出処の天子』ではヨミが厩戸皇子(うまやどのおうじ)ありバビル2世が蘇我毛人(そがのえみし)なのである。

『バビル2世』をして「バビル2世とヨミの仲良し喧嘩」と評するのはやはり正しいのだろう。とはいえ悲しい仲良し喧嘩でもある。

バビル2世は決してヨミの「良き友とせぬか」の誘いに乗らないからであり乗った時に世界は彼らによって征服されることになる。しかしバビル2世は「なぜか」ヨミに反感を抱き彼と戦うことに決めたのだ。『バビル2世』においてこの判断は彼が「まよっています」と言ってから階段を降りて振り向くおよそ「数秒の間」に決まった。

山岸凉子日出処の天子』はこの「数秒の間」を11巻で描いた作品なのだ。つまりその後の戦いの場面はない。

私はこの一年『バビル2世』をきちんと読むまで「なぜ毛人は厩戸皇子の誘いを断ったのだろう。解せない。世界を征服できると言われて断る男がいるだろうか。あり得ない」と長く思い続けてきたのだけどバビル2世は数秒で断った男であった。

長い間の疑問「なぜ毛人は厩戸皇子の世界征服を断ったのか」答えは「バビル2世が断ったから」だった。先に答えがあったのだ。

となると何故「バビル2世はヨミの誘いを断ったんだろう」となる。

私としては「世界征服しても虚しいだろう」と単純に思ってしまう。バビル2世もそう思ったのではないか。

世界征服・・・?バッカじゃね?と思われたに違いなく悲しいヨミ様。彼はなぜそこまで世界征服したかったのだろうか。

 

さて、厩戸皇子(ヨミ)は恐ろしいほどの超能力を持っている。彼はその能力が毛人と共にいる時さらに拡大するのを感じついに毛人に「二人力を合わせれば一天四海を握るが如く総てを支配できるのだ」と問いかける。ただ厩戸皇子は同時に毛人に対して同性愛の相手となることを求めてもいた。

毛人もまた厩戸皇子の美しさに惹かれてはいたもののそれは彼の女性的な美しさに対してであり布都姫を愛してしまった彼はもう彼女の事しか愛せなくなっていた。

毛人は厩戸皇子に対し「いまあなたがおっしゃったことはもはや人間として持ってはならない〝力”なのではありませんか。だからこそ私とあなたは同性として生まれたのです」と答えて厩戸皇子の誘いを退ける。

 

思えばヨミは一切女性を求めていない。

多くの征服者を描く物語ではその人物が女性も欲望の一つ(むしろその欲望が大きいはずだ)なのにもかかわらずヨミが女性を求めていないのは不思議ではある。

ヨミのこの奇妙な世界征服の欲望を山岸凉子は自分が創作した厩戸皇子に落とし込んだ、のではないか。

スター・レッド』の表面的な相似と違い『日出処の天子』では物語そのものが『バビル2世』のテーマに相似している。(この書き方だと萩尾氏を貶めているように読めるけどそういう意思ではない)

『バビル2世』の物語そのものをあえて(少女マンガ的にと言ってもいいのだろうか)組み替え創作した。数秒の心理の移行を描いたのが『日出処の天子』なのである。