ガエル記

散策

『バビル2世』横山光輝 もういちど その9

張り詰めたテンションを保持していた8巻そして9巻の冒頭からの展開をどう考えるのか。

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

繰り返すが8巻までの張り詰めた攻防、バビル2世とヨミの丁々発止の戦いから9巻冒頭のバビル2世は死んでしまうのか、という緊張感と不安からの「F市のなぞ」

国家保安局を訪れたバビル2世は何事もなかったかのような様子だ。

リアルタイムで読んでいた読者はどう思ったんだろう。

「背中に無数の破片が突き刺さり倒れたバビル2世」を見てすぐ後に「もうげんきになりました」は余計な想像をさせてしまう。「本当のバビル2世なのか」「なにかしらの特殊な手術がされたのか」

しかし何事もなく物語は進み結局「気を持たせた」という演出だったとしか考えられない。

その一方物語は8巻までの緊迫感は無くなりある種ノスタルジックなアクションものになっていく。

ならばこれもまた横山光輝作品の特色の一つでもあるわけで「F市のなぞ」以降はやはり『バビル2世』は横山作品の集大成にするための重要なピースの一つとして描かれているのかもしれない。

 

孤独なバビル2世にちょっと笑いを含ませるおとぼけ(というと腕利き調査員たる彼に悪いが)キャラクターである伊賀野氏がバディとして付与されるのだ。

意志の通じないコンピューターやすぐ裏切ってしまう(仕方ないが)三つのしもべとは違う人間味のある伊賀野氏の参加はここまでの殺伐としたバビル2世の心に温かい思いやりを取り戻させていく。

いわば先日書いた「慰みものとして存在する女性」の役割をしているのだ。

「慰みもの」というと性的な関係だけを想像させるがその言葉通りに「慰みになる」という意味であるはずだ。

伊賀野氏の登場は徹底したハードボイルドだった『バビル2世』作品を覆してしまった。

(彼自身は自分をハードボイルドな存在と思い込んでいる男性そのものだが)

 

と書くと私はこの箇所を嫌っているようだけど気持ち的にはむしろ逆で「F市のなぞ」以降の伊賀野&バビル2世コンビの魅力に参ってしまったしむしろこれでもっと話を続けて欲しかったくらいだ。

とはいえやはり横山氏は『バビル2世』を最もハードボイルドな作品として創作したかったのだろうと私は考えている。

たぶん横山氏の教科書的な『カムイ外伝』のなかでも孤独な旅を続けるカムイに時々ひょうきんなもしくは頼もしい相棒ができる時がある。そんなイメージで伊賀野氏とのエピソードをいれたのではないか、と想像する。

特にコンピューター相手になると苦い表情ばかりだったバビル2世が伊賀野氏にはほっとした笑顔や呆れたようなまなざしもしくは守ってあげなきゃという珍しい保護者ぶりを示してしまうのも微笑ましい。

カムイだとよく老人相手にこのようなエピソードがあったと思う。

 

しっかし伊賀野氏ほんとうにおもしろい。かっこつけているくせにまるでダメダメで。

もしかしたら先に書いたように「ハードボイルド男をきどっている男」をやり込めるエピソードかもしれない。

 

が、ここでも横山氏は伊賀野氏をバビル2世のほんとうの「運命の相棒」として登場させているわけじゃない。

彼は結局バビル2世の人生の通過点でしかないのだ。

 

『その名は101』でもちょっと伊賀野氏を思わせるような男が登場するが彼は伊賀野氏ほどに面白みもなくきっちり仕事だけ関わり物語世界から出ていく。女性たちも登場するがどちらにしてもバビル2世の心を動かしているように思えない。

もしかしたらバビル2世も年齢を経た分だけ人間味を失ってしまったのかもしれない。

横山氏の「バビル2世は寂しい人生を送ったんじゃないか」という言葉が辛い。どうして先生は最も愛した作品の主人公にそんな過酷な運命を与えてしまったんだろう。

もしかして自分自身と重ねて考えられていたのか。そんな風な寂しい人生だったというのだろうか。それは想像の域を出る。

 

宇宙ビールス人間」の物語はブラッドベリ短編『少年よ、大茸をつくれ!』から創作されたのではと書いたが横山氏自身が同じような話を以前に『少年ロケット部隊』の中で描いている。

横山氏自身がこの『少年ロケット部隊』の単行本化を認めなかったということからも作品内容の是非は伺われるが私自身読んでみて特にその箇所(5巻以降)の描写は単行本化したくないだろう、と感じた。

『少年ロケット部隊』では宇宙の植物に体を乗っ取られるというよりブラッドベリ的な設定になっているが(ブラッドベリではキノコ)乗っ取られた人間を普通の人間たちがあっけなく殺害していく様子が惨たらしく感じられ一種の差別からくる処刑を思わせてしまう。これは絶対世に出せない。未単行本化は正解だったと思う。

が、内容は同等なのに『バビル2世』ではバビル2世のみが「ヨミの手先として対決する」方法を取ることでそうした差別意識を感じさせない巧妙な話作りになっている。

こうした物語の作り方によって印象はまったく変わってしまうのだ。

そして宇宙ビールスに冒された人間は「ゾンビ」のようなものだと読者に認識させれば殺すことにためらいはなくなり読者も心を痛める必要はなくなる。

『少年ロケット部隊』では主要人物に罹患させてしまったために余計な動揺を生ませてしまった。『バビル2世』にはそんな人情話がない。

 

まだまだ続く。

 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その8

いろいろと細かい解析(あってるかどうかは別として)を続けてきたけど横山作品の面白さは読者はそんな分析を瞬時に読み取ってしまっているということ。その面白さがわからない人にはわからないしわかった人は解説などいらない。読みながらそうした作品に含まれている奥の深さを感じ取ってしまっていることなのだ。

それをなんとか自分なりに言語化できないかと足掻いてみます。(あっているかどうかは別としてあくまでも)

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

今更ながら横山光輝メカデザインの凄さと同時に得も言われぬユーモアにくすぐられる。

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もうマイクの持ち方からして笑ってしまう。そしてなぜマイク?

ここ読んでヨミ様のファンにならない人いる?

このおおらかさ、すてきだ。

頑張れヨミ様。

そしてめちゃくちゃかっこいいロプロス計画V号。このメカデザインのすばらしさが信じられない。

幸せそうなヨミ様、私もほっといたしました。

がしかし

バビル2世が再びヨミ様の世界征服の邪魔をする。だけどこのロプロスにまたがる姿、かっこいいんだよな、ぐぬぬ

 

おもしろすぎてキリがないのでマンガをお読みください。

ヨミ様はバビル2世の登場にすべての部下をV号に乗せ基地を後にする。

この移動の様子を詳細に描くのがたまらなく良い。

 

V号の威力は凄まじかったが同時にその弱点もさらけ出す。

ロプロスからの超音波を受けると皆気絶してしまい結局ヨミの超能力に頼らざるを得なくなってしまうのだ。

それでもヨミは超能力を駆使しポセイドンとロプロスを岩の下敷きにしバベルの塔へと向かう。さらにバラビア王国へ攻撃を加えるがその姿はロプロスと間違われてしまうのだった。

 

バビル2世もまた超能力でポセイドンとロプロスを救い出しバベルの塔へと戻るのだがその途中でバラビア国戦闘機から攻撃を受けてしまう。ヨミのV号がロプロスそっくりに造られたのはこのためだった。

 

バベルの塔に戻ったバビル2世はまたも疲れを感じて休息をとる。

 

この話し方。バビル2世がコンピューターに信頼も愛情も持っていないのがわかる。

しもべたちには優しい気持ちをもっているがコンピューターに対しては辛らつだ。バビル1世がもう少し優し気な人格を持たせればよかったのかもしれないけど。

めっちゃ不機嫌なバビル2世。コンピューターの事が一番嫌いかも。

 

ヨミは「宇宙ビールスに冒された超能力者」たちをバベルの塔へ送り込み自分自身をバベルの塔の主人とするようコンピューターを操作するよう命じた。

宇宙ビールスに冒された者は再生能力が高くなり簡単には死ななくなってしまう。

それを防ぐ方法は「ニンニクエキス」を注入することだった。

(この「ニンニクエキス」って何?なんでもよかったってことなのかなあ。こればかりはよく意味がわからないよ)

 

ヨミのV号、バラビア国の爆撃機そしてバベルの塔が三つ巴のようになって攻撃をし、また受け続ける。

バビル2世はコンピューターから指示され念動力で爆撃を避けるがそのうちの一機が墜落し偶然にも塔に直撃したのだ。

バビル2世も爆撃機をそらせる力はない。

五千年間働き続けたバベルの塔のコンピューターが破壊されていく。そしてバビル2世は激しい爆風で傷を負い意識を失った。

 

この8巻は壮絶だった。

岡田斗司夫氏は『バビル2世』でのヨミとバビル2世の戦い「チェスのよう」と表現していたけどまさしくそのような息詰まる頭脳戦を見せたと思う。

 

と、9巻に入って冒頭、バビル2世は気絶したままでコンピューターの手術を受けることになり、バベルの塔は力を失いその姿をさらけ出してしまう。今や最大の危機に陥っていた。

がバラビア共和国の爆撃機はすでに全滅し近くにはヨミが乗ったⅤ号がいるだけだった。

がヨミはここで容易くバベルの塔に入るのを躊躇う。別の者を試しに塔に向かわせたが彼は塔内であっさりと殺されてしまう。

ヨミもその部下も「やはりこれはバベルの塔の罠だったのだ」と深読みして引き揚げてしまう。

コンピューターは危機が去ったのを確信し自らの修理を急いだ。

 

とここで物語は急展開し始める。

むしろここで『バビル2世』は終わってしまったのかもしれない。

だとすればあまりにも不思議な幕切れのようにも思える。

というか横山光輝氏はここまでで描きたいことを全部出し切ったのかもしれない。

私はこの9巻の冒頭で『バビル2世』は完結したとも思う。

いや違うのか。ならばこの急変した物語もまた描きたいものの一つでもあるのか。

 

生死を危ぶまれたバビル2世があっさり元気になって登場。

そしてこれまでにないパターンが生まれる。

バビル2世にいわば「相棒」が与えられるのだ。

 

アメリカ軍のレーダー基地があるF市が突然電信電話不通になって二日経つという。その調査に向かう伊賀野調査員にバビル2世が協力することとなったのだ。

が、何も知らない伊賀野氏は「子どものお守りはまっぴら」という風情を隠さない。

 

局長・副局長とはまた違いバビル2世と伊賀野氏とのバディ物語が始まる。

「不滅の塔」編までのあの究極の孤独なハードボイルドはここからすっかり様変わりしほのぼのとした「奇妙な友情物語」になっていくのである。

私自身伊賀野氏編は嫌いじゃない。むしろ大好きだ。

がここまでの比類なきハードボイルドタッチはいったいなんだったんだろう、という気持ちもある。

 

私は『バビル2世』は横山光輝の『カムイ伝』だと思っている。いや『カムイ外伝』というべきだろう。

そもそも『伊賀の影丸』は白土三平の壮絶な『影丸伝』に『伊賀の』をつけた横山流サラリーマン忍者ものなのではないだろうか。

知らないけど横山氏はかなり白土三平作品を意識していたのではないだろうか。

横山氏が「ハードボイルドタッチ」を好んでいるのは明確だ。そしてハードボイルドといえば白土作品ほどハードボイルドなものはない。

私は『バビル2世』という作品で横山氏は自分流の『カムイ外伝』的世界、孤独に戦い続ける少年(途中から青年)の世界を描いたのだと感じている。

孤独とはいえバビル2世には三つのしもべ巨大ロボットのポセイドン、怪鳥ロプロス、黒豹のロデムがいる。

孤独なカムイにも一度期ではないが熊、鷹、忍犬という仲間を持つことがあった。奇妙な一致を感じてしまう。

横山氏は三つのしもべを「西遊記からイメージした」と答えているけれど私は『カムイ外伝』の熊鷹犬じゃないのかと思っている。

カムイ外伝』も女性は登場はすれどカムイ自身は不思議になるほど女性関係を持たない。「愛しい女性」というイメージすらない。

 

先日も書いたが他の作家はハードボイルドと名乗る作家ほど女性を男の慰めとして描く傾向がある。

主人公はタフガイを意識しているが美しい女性もしくは少女に心の慰みを感じている。そして「この女性(少女)のためなら死のう」という一種の甘美な意識を持っている。

それを良しとするのかむしろ嫌悪に感じるのかは個々の感性なのだろうが横山氏(と白土氏も)は男性主人公にこうした感性を持たせない。

もちろんこう書いている以上、私は横山氏(と白土氏)の女性に慰めを求めない感覚が好きなのだ。

そしてハードボイルドと称して女性を愛するふりをしながら慰み者として見ている作家と作品がうとましい。

横山光輝にはまり込んでしまったのはこういう強い意識を持っているからなのだ。

そしてその逆のコンテンツが多すぎる。

 

ということで次回からはみんな大好き「バビル2世✖伊賀野氏バディもの」について語っていきたい。

 

 

 

 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その7

さて第3部「宇宙ビールス」編に突入しました。

この編を読みながらまた諸々考えていきましょう。

今回は『バビル2世』はハードボイルドの頂点という視点を書いてみます。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

『バビル2世』を読んでいると今現在のマンガ作品とはかなり異質であると感じるのだけどそれは時代の違いではなくやはり横山光輝氏の特色だと思う。

かつてハードボイルドという文芸用語があった。生々しい現実に対面する主人公(男性が多い)が感情を表現せず行動していく姿を簡潔に示していく小説でありそれがそのまま映画にもなり一時期のブームを作った。

だがそんな表現もいつしか緩みだしハードボイルドという言葉がカッコつけた男のナルシズムに変化していき(最初からかもしれないが)今では死語に近いのかもしれない。

特に現在ではそういう「男の生き様」は疑問視されてしまうものでもある。

確かにカッコつけているだけ、に感じるものも多い。

 

が、横山作品を読んできてまさしく氏の作品は徹底したハードボイルドだと思うのだ。

特に本作『バビル2世』は頂点に思える。

それは少年誌掲載という条件があったから生まれたものかもしれないがバビル2世が十代半ばの少年であるからこそなのだろう。

 

彼が成人であればそのイメージは変わってしまう。

視野が狭く思いつめることのできる中二世代にのみ許されるハードボイルドなのだ。

萩尾望都氏もそれを感じてそのままレッド・セイという少女をハードボイルドに描いている。

 

バビル2世の心は読めない。彼が何を考えているのか誰もわからないだろう。

突然バビル1世からコンタクトを受け「いかなければならない」と迷うことなく両親と別れ美少女の同級生からも未練なく去ってしまう。

そして以後まったく思い出さない。

コンピューターと三つのしもべだけが頼りだがしもべたちは何度もヨミに乗っ取られ絶対的な信頼を持ちようがない。

そもそもバビル2世はコンピューターに対して違和感と疑惑を持ち続けている。コンピューターに対する表情は進むほど固いものになりその言葉遣いにも愛着を感じない。

こんな孤独の中でよく耐えきれる、と感心する。まだ幼い少年がなんの触れ合いもぬくもりもなく生きていけるものなのだろうか。

しかし横山光輝はこのいたいけな少年に過酷な運命を容赦なく課す。

そしてバビル2世はその状況でも迷うことなくヨミとの戦いに没頭していく。

むしろヨミと戦わなければならないという使命を感じているからこそ生きていけるのでありそんな存在のないままバビル1世が言うように地球を征服しても虚しいだけだろう。

横山氏がバビル2世のヨミ後を「きっと孤独な寂しい人生を送ったんだと思いますよ」と語っているというのをしてもヨミがいた間だけ生甲斐を感じていたとしか言いようがない。

バビル1世が「愚かな地球人」相手に孤独な一生を送ったようにバビル2世にも幸福は訪れなかったんだろう、と思うと悲しくてやりきれないではないか。

しかしそれが「ハードボイルド」な生き方なのだ。

 

バビル2世は国家保安局局長と話す時だけ少し少年らしさを出す。

子どもだし本当はもっと甘えたいんじゃないかと思うと切なくなる。

一方コンピューターには

このそっけなさ。

見る目も冷たい。

 

さてここで「『バビル2世』ではどうして女性が出てこないのか」という問題にも取り組みたい。

これは「横山光輝マンガではどうして女性が出てこないのか」にもそのまま通じるのだけど。

(出ては来るけど存在がかなり薄い)

 

普通、というか他のマンガ作品では多く、というかほとんど絶対といっていいほど男性主人公ならその愛の対象となる女性が登場する。

これはハードボイルド作品でもほぼ必然だろうと思える。むしろハードボイルド作品ほど女性の存在は不可欠でありクールな生き方をしている男性主人公を慰めるために登場することを作家も読者も期待する。

ところが横山光輝氏は不思議なほど「女性を慰め役」として「登場させない」

 

これに対し「横山光輝は女性が描けないからだ」という言説もよく見かけるが多数の少女マンガでヒロインを愛らしく描いてきた横山氏が女性を描けないわけがない。

まあそう書くと「そういう意味ではなく」と苦笑されてしまうのだろうけどむしろ今現在の価値観を考えれば横山光輝氏は「女性を主人公の慰安に使う」ことを拒否したのではないかなと思ってしまうのだ。

 

あの手塚治虫氏も「マンガの描き方」で「可愛い女性を登場させると良い」という旨を書いていたと思う。(そういう手塚氏自身はそれほど女性を慰安に使ってないと思うから悪だくみだよな)

 

例えば『バビル2世』の設定を他作家がしたならコンピューターを女性に映像化もしくは受肉化してバビル2世の「お相手」にするのは容易く考えられる。そうしていわゆる「サービス画像」を提供するのは必至とも言えるのだけど横山氏は微塵もそれをしない。

アニメではロデムを女性化させたのに原作ではまったくない。

私が横山光輝を「真のハードボイルド」だと思うのは(そんな命名笑うけど)主人公にそこまで過酷な運命を担わせてしまうからでもある。

 

女性性を男性主人公に絡めていくのは悪いこと、ではないだろう。そこにも葛藤や戦いがあるはずだ。

しかし多くのコンテンツでは女性性が安易に男性主人公の慰安相手として提供されていく。

横山氏がそうした安易さを毛嫌いしていたのではないか。

いや書き手自体がそれを楽しむことだってあるに違いない、が横山氏は好まなかった、とも言える。

これも成人マンガ作品であれば異様ともなるが主人公が少年であればむしろ健全ともみなされてしまう。

横山氏が『バビル2世』を愛したのは必然だったように思う。

 

先日『ギルガメシュ叙事詩』においてギルガメシュ初夜権を要求する粗暴な暴君だったのがエンキドゥという対等な力を持つ男の存在を知って激しく戦いついに互いを認め親友となり理想的な王となる、という物語の「激しく戦う」部分を『バビル2世』として描いたように思えると書いた。

ギルガメシュはイシュタルという美女に求愛されるがすでにそうした性愛を嫌うようになったギルガメシュは彼女を退ける。

『バビル2世』には強くそのイメージを重ねてしまう。女性との性愛ではなく男同士の友愛に基づく戦いのイメージだ。

 

なので横山光輝氏は『バビル2世』に女性性愛を加えることを拒否した。

このテーマはまだ書ききれていない。

次の記事にも続く。

 

 

 

 

 

6月18日は横山光輝先生のお誕生日ということで

今記事を確かめたところ、去年の6月17日の記事だったので今日中に書いてしまいます。

何のことかというと去年の6月17日初めて「横山光輝」氏についての記事を書きました。(たぶん)

それが下の記事です。

 

gaerial.hatenablog.com

そうです。ちょうど一年前6月17日突然横山光輝作品を読まなければいけない気がして(どういうことなんだ)迷っていた時何の縁か「まどそごみ」さんの「あのマンガ」を読みましてドンと強く背中を押され「これは絶対読まねばならないという天の意志」を感じたのでした。

すばらしいマンガなのでここでもう一度上げさせていただきます。

ありがとうございます。今思い返しても感謝するばかりです。

初めてお会いしたマンガに導かれこの一年横山光輝一筋に過ごすことができました。

これまで映画・ドラマの記事がほぼすべてと言っていいほどだったのがこんなにマンガ作品に没頭できたなんて自分自身驚きです。今では映画ドラマに戻れるのか、と危ぶむほどです。まだまだ読み続けたいので以前のような映画漬けにはならないかもしれません。

それでもまだ横山作品を読み終えてはいないという恐ろしさもあり楽しみでもあります。

 

さて次に書いたのが一日飛ばしての6月19日なのでつまり6月18日横山光輝氏誕生日は『バビル2世』を読み込んでいたはずです。

しかしその時はまだ先生の誕生日だったとは気づいておらず後日「横山先生の誕生日だったのか」とこれもまた何かの縁を感じるような不思議を感じました。いや、偶然なんですけどね。

そして19日に書いたのが下の記事です。

gaerial.hatenablog.com

うわー何を書いていいのかよくわかっていなくて恥ずかしいなあ。

ままま、記事2回目ですからね、仕方ないです。

次に書いたのはやはり『三国志』です。私的にはこれが一番入りやすくて、逆に途中でやめてしまったのは『伊賀の影丸』これは随分後回しにしてしまって結局読み順が違っていたとベテランの皆さまのおかげでなんとか読み終えその魅力も感じ取ることができました。ほんとうにありがとうございます。

 

こうして今思えば当然なのですが熱い横山ファンの言葉を読むのも楽しみでもありました。

ちょうど横山先生の誕生日(の一日前)から読み進めたこの一年、ものすごく充実していました。そして今またちょうど『バビル2世』を読んでいるという幸福感よ。

さらにまた進んでいきます。

 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その6

ロデムに襲われるバビル2世!?これは如何に????!!!!

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

先日、横山他作品で「主人公が強そうなのに負けてばかりいるのがおかしい」というとあるレビューを見かけて「いや主人公が苦しむ様がエロチックでそれが巧いのが横山光輝なんですよ」と首をひねったわけだがバビル2世を見てれば一目瞭然である。

 

超能力増幅装置を使ったヨミの能力はバビル2世をはるかに越えるものとなり忠実なしもべたちを使って次々とバビル2世へ加害する。

ちょ、ちょっとやばい色気である。

そのくせバビル2世は

生意気さがかわいいね。

二次創作者が絶対喜ぶ台詞。

で、こうなっちゃうの。ゾクゾクするエロチシズム。横山先生、多くの性癖産ませたはず。

しかし少年なのにやりすぎじゃ・・・。村雨源太郎くんはもっと幼かっただろうけど。

 

ヨミ様が個室に籠られ超能力を駆使している時も忠実な部下たちは「いまこそバビル2世を倒すのだ」と力を合わせて戦い続ける。健気だ。

ポセイドンもバビル2世を追い詰める。

いろいろと危険な状態。

 

危機一髪で通風孔に入り込んだバビル2世。

ヨミ部下たちはここでポセイドンの指からのレーザー光線を期待したがなぜか突然ポセイドンが倒れてしまう。続いて進むロデムも通風孔のまで倒れた。

そしてロプロスは吹雪の舞う中で微動だにせずうずくまっていた。

監視カメラを睨みつけたままのヨミ部下たち。やっと一人が声をあげせめてバビル2世の生死を確かめようと走り出した。

バビル2世は血を流しながら通風孔を抜け外へと出ていた。

外は吹雪の夜だったが部下たちはバビル2世を探し始めた。だが眠ったままのロプロスに怯えた犬たちは動こうとしない。

捜索をあきらめるしかなかった。

夜が明けた。

いつしか眠ってしまっていた部下たちも目を覚ます(って案外気楽だよなきみたち)

が、これまで停止していた三つのしもべたちまでもが動き始めたのだ。

そして基地に対して攻撃してきた。

とすればバビル2世の命令なのか。

部下たちはやむなく個室に閉じこもったままのヨミ様の部屋を開け声をかけた。

しかしそこには死んでしまったヨミの姿があった。

ヨミが作った機械は超能力を倍増するのではなくヨミのエネルギーを強制的に吸い上げてしまうものだったのだ。

ヨミは死んだ。

バビル2世は自動的に爆発する仕掛けになっていたヨミの基地を離れていった。

 

 

 

第三部

アメリカ発宇宙衛星が誘導装置の故障により日本の山中に墜落したところから始まる。

アメリカ軍はすぐに回収に急ぐがその村の住民たちは皆死に絶えていた。そして回収に向かった部隊もまた。

しかしその村民の一人が奇跡的に死を逃れ生き延びていた。

その男の頭脳に話しかけてくる声があった。

「お前と同じような強い仲間を集めてこの惑星の王となるのだ」

 

宇宙ビールス」編が始まる。

私のSF知識は非常に少なくしかも偏っているので同じような作家と作品からしか手繰り寄せることができない。

この物語を重ねたのはやはりレイ・ブラッドベリ(横山先生読まれていたのではないか)の『少年よ、大茸を作れ!』(なんつーたいとる)(『よろこびの機械』収録)

(および萩尾望都『ウは宇宙船のウ』でマンガ化されている)

この話のミソは「キノコに手足はなくとも人間にとりつけば動くことができる」というところ。

つまり本作なら「宇宙ビールスに手足はなくとも人間にとりつけば動くことができる」のだ。

そうでなくても横山作品にはこれまでにも「宇宙ビールス」は作品となっている。

ここにも『バビル2世』は横山作品の集大成を感じさせる。

お気に入りの題材だと思う。

でなくとも「コロナ禍」を体験した私たちは伝染病の恐怖を嫌というほど体験させられた。これを「宇宙ビールス」に置き換えさらにそのビールスに意志と知恵があると考えればどんな恐怖であるか簡単に想像できる。

とはいえこの発想は数えきれないほど作品化されてきている。特にアメリカ作品はブラッドベリ作品から生まれたものが多々ある。

『バビル2世』ではそのアイディアは小さな歯車の一つにすぎずヨミと結びついたこと、ロプロスに対抗する飛行体を造り上げたこと、超能力の制限などが絡み合って構成されていく。

ヨミはここではいわゆるゾンビとなってもいるのだ。

 

 

 

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もっと遅く来るのかと思いきや早く届いてくれました。嬉しい。

たっぷり読み応えありそうでこれからゆっくり楽しませていただきます。

 

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『バビル2世』横山光輝 もういちど その5

三巻末尾から始まる第二部がまたおもしろいのですよ。ヨミ復活。

昨日書いた『バビル2世』=「ギルガメシュ叙事詩」説は自分としてはかなり気に入っています。

普通の作家ならばロマンチックにギルガメシュとエンキドゥの友愛を描くところですがクールに突き放してしまうのが横山光輝物語なのではないかと納得してしまいました。

 

そして二人(ギルエンならぬヨミバビ)の戦いの箇所をじっくりと書いていくのが醍醐味なのです。

 

ネタバレしますのでご注意を。

国家保安局局長と副局長が再登場することで物語にリアリティが加わる。

二部最初に登場する霊媒者、冷徹な殺し屋、そして訓練を積む能力者たちも横山マンガに必須の面々だ。

 

余談ながらこの訓練場面、萩尾望都スター・レッド』でセイが子どもたちの超能力訓練に加わるエピソードを思い起こさせる。

 

そしてロビンソン&陳の不思議な連係プレー。

これはいったいなんなんんだろう????

どーゆーこと????

絶対わからん。

わからんすぎてロビンソンいただいてしまいました。

 

ここからのヨミ超能力者部隊バベルの塔侵入作戦はめちゃくちゃおもしろい。たぶん多くの少年マンガの参考になっているのがわかる。

この4巻巻末の引きの強さよ。

 

この男ダックはバベルの塔内をさまよいついにバビル2世が手術後に眠っている睡眠カプセルを見つけ出す。

ここの場面がレッド・セイとそっくりだと感じてしまう。

これはたぶん真似したとかじゃなくて萩尾望都氏の脳裏に刷り込まれていたのではないかと想像する。

そしてレッド・セイは私の脳裏に刷り込まれていた。

 

ここでバビル2世は超能力が無限に使えるものではないと気づく。

超能力を使うことは自分自身の命と引き換えなのだ。

こうした「支払い」は単に「等価交換」と言うもの以上に感じる。

 

バビル2世はヨミの基地に入り込み立ちふさがる敵と戦い続ける。ヨミはその姿をカメラで追いながらほくそ笑む。超能力を使わせバビル2世を消耗させてしまうのだ。

ここでポセイドンが現れ疲労したバビル2世を掌に乗せてバランと戦う。

巨大ロボットの手に乗った少年という横山マンガの必殺武器、これ以上のものはない。

エロチックすぎる。

皆の憧れ巨大ロボと少年。

 

そして仲良しヨミチーム。

みんなヨミ様だけが頼りなのだ。

 

しかしこのことからヨミは恐ろしい手段を取らざるを得なくなる。

 

この手段によってポセイドンはバビル2世を握りつぶそうとしてしまうのだ。

あやうく逃れたバビル2世だが以前に同じことがあったのを思い出す。

ヨミが超能力で三つのしもべに命令を下していたのだ。

それが今もっと怖ろしい状態で行われ始めた。

超能力が増幅される機器によってヨミの命令がより強大なものとなったのだ。

 

続く。