ガエル記

散策

『バビル2世』横山光輝 もういちど その4

さて3巻ですが今のところ色々と思考の小さな断片が舞うばかりで何もまとまってはいません。

なにかにたどり着くことはできるのでしょうか。

できるといいなあ。

 

 

ネタバレですのでご注意を。

 

 

3巻193ページ、残り後少しで第一部が終わる。というかもともと横山氏の構想ではここで完結するつもりだったと書かれている。

もし本当にそうならばこの長編SFはそこまで複雑に構成されていたわけではないのかもしれない。

だとしてもここでの考察に問題があるわけじゃない。解析しようとしているのは『バビル2世』における横山氏の構想ではなく『バビル2世』において横山氏自身の思考を読み取ってみたいというものだからだ。

この一年横山氏の作品を読み続けてどうにか少しはそれが考えられるかもしれない。

 

『バビル2世』は横山作品の前半期の集大成のように思える。(計算は合わないが作品数としてはもっと合わないのではないか)横山先生の好きなものがここに集結しているからだ。

ロボット・飛行機などのメカデザイン、宇宙人、超能力、活躍する少年、主君(ヨミ様)のために忠誠を尽くして働く男たち、女性を出さないこと(これはどうしてなのかイマイチよくわからない)そして歴史ミステリー。

 

なにしろ『バビル2世』のバビルはあの伝説の「バベルの塔」からの間違いで「バビル」になったと言われている。(なんだかよくわからないな)

あの山田五郎先生がブリューゲルの絵画「バベルの塔」をYouTube解説したら物凄いアクセスがあって「これはたぶん『バビル2世』のファンが間違えて見に来たんだと思う」と言われていたwわからないけど本当かもしれない。

私は普通に観ていたんだけどもちろん『バビル2世』を思い出したし山田先生が歌まで歌ってくださったwww山田先生はアニメファンじゃないけどお姉さんが見てた(だったかな?)ので自然と覚えたそうである。絵画のことだけでなく「バベルの塔」について知りたい方は是非「山田五郎 おとなの教養講座」バベルの塔回をご覧ください。

 

つまり『バビル2世』の背後には物凄い歴史と文化があるのである。

 

そして「バベルの塔」といえばメソポタミア文明なのだ。

横山氏の冒険譚は小栗虫太郎原作の『大暗黒』などからもわかるようにアフリカ(チュニス・エジプトなど)から本作のイラク方面での砂漠地帯に興味が向けられている。

その横山氏が砂漠の中に在るバベルの塔を題材にしたのは当然なのだけど実在したか不明の「バベルの塔」にコンピューターをぶっこんで物語にしてしまう発想は思いつく人はいたかもしれないが堂々と描き切った根性が素晴らしい。

ほんとうに男の子の夢をマンガ作品にしてしまうクリエイターだったのだと思う。

 

 

メソポタミアをうろついていたらついつい「ギルガメシュ」に到達。

(ゲームや石ノ森氏の「ギルガメッシュ」はスルーさせていただいて)

この「ギルガメシュ」昔その名は知ったもののさほど興味を持たなかったのに今読むとあまりにも面白くてついはまりこんでしまった。

メソポタミアバベルの塔、と興味を持ったはずの横山氏も「ギルガメシュ」には目を向けなかった、ということはないのではないだろうか。

周知のことかもしれないが私は知らずにいたのでここに簡単に記してみたい。

ギルガメシュは神と人間の間に生まれ美貌と優れた才能を持ち合わせる王だったが権力を思うがままに操る暴君だった。

民は嘆き神に祈ると神はこれに対抗するエンキドゥという男を造り上げる。

これまで誰も対等の力を持つ男と出会わなかったギルガメシュはエンキドゥと激しく戦いその力に驚く。

ギルガメシュとエンキドゥは死力を尽くした戦いの後互いの力を認め合い強く抱き合い無二の親友となる。それからはエンキドゥと行動の全てを共にし、ギルガメシュの王政も穏やかになり民から愛される王となる。 (wikiより抜粋)」

最後の「無二の親友となる」のを除けばヨミとバビル2世のようにも思える。

もちろんこの叙事詩で大切な部分は「ギルガメシュとエンキドゥが無二の親友になり素晴らしい王になる」ところなのだろうけど横山氏は強い力を持つふたりの男が無二の親友になる、と思えなかった、のかもしれないし仲良しになる前までを繰り返し描きたかったのかもしれない。

 

この第一部の最後ではギルガメシュ叙事詩と違い(たぶん)エンキドゥにあたるバビル2世がギルガメシュ=ヨミを殺してしまう、ことで終わる。

ところでこのギルガメシュ叙事詩では後に親友エンキドゥが病死しそれに衝撃を受けたギルガメシュが不老不死の薬を探し求めることになる。

 

バビル2世は死なないけどヨミ自身が死にそして彼はその後何度も繰り返し蘇ることになっていく。

そうだった。横山氏の「好きなもの」には「不死身」もあるのだ。

横山氏作品には「天野邪鬼」など「死んでも死なす生き返る」という「不死身の男」が登場する。

実はギルガメシュは不死身の草を手に入れるが水浴びをしている間に蛇に食われてしまい不死をあきらめるのだ。

これもヨミが最期にはあきらめてしまうことと重なる。

 

先ほどギルガメシュとエンキドゥは互いの力を認め合い無二の親友になったのだがヨミとバビル2世はそうならなかったと書いた。

しかし読者はなぜかヨミとバビル2世の戦いを「仲良しケンカ」だと見破ってしまう。ふたりの関係は恋人同士だ、とさえ言われている。

なぜなのか。

もしかしたら本当に横山光輝氏はこの「ギルガメシュ叙事詩」をもとにして『バビル2世』を創作したからなのではないだろうか。

というのは無二の親友となったギルガメシュとエンキドゥの関係は当時の風習(あのバビロニア文化だ)もあるのだろうか、寝床も共にする性的な関係でもあったらしいのだ。そしてエンキドゥの死後ギルガメシュは彼の遺体に花嫁のようなベールをかけ彼が腐ってしまうまで側にいたとされる。

エンキドゥは最初野人として現れるが実は女性のような美しさを持っていたとされる。

ヨミが美貌でない理由はよくわからないが(以前はハンサムだったかも)バビル2世がかわいい少年であるのを思えば「女性のような美しさ」というのはうなずける。

 

これまで「ギルガメシュ」に通じるなどとは考えてこなかったのだけど「バベルの塔」「メソポタミア」とつなげていけば「ギルガメシュ」にたどり着くのは当然だったのかもしれない。

 

さらに『バビル2世』を読み進めていくけど良き辞書が与えられた気がする。

 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その3

『バビル2世』の解析をせんとしてじっくり読んでいこうとしているのだけど面白すぎてどんどん読んでしまう。バビル2世自身はシリアスだけどヨミチームがおっかしいんですよ。ひゃっひゃ笑って読んで(だからあんまり分析する気にさせないに違いない)「あー楽しかった」で満足しそうだけど少し自制して書き進めてみましょう。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

2巻冒頭。『バビル2世』で唯一といっていい女子が登場する。浩一の同級生である由美子だ。浩一自身「由美ちゃん」と「子」を抜いて親し気に話しかけていることから(芸が細かい)ある程度の親密さがあったのだろうと思われるが「浩一くん」と何度も名を呼んで心配する由美子と違い由美子への名残惜しさがまったく感じられない。

可愛い女子がすぐそばで身を寄せ話しかけてくるのにロデムからのテレパシー受信が大切で一片の躊躇いもなく「すぐ行かなかればならない」と去っていく。

いわばバビル2世は教祖に洗脳された敬虔な宗教者のような存在なのではないか。

このことを由美子の父親が「もはや両親も友人も近づけない別の世界の人間なのかもしれないな」と分析している。それを端的に示すためにもっとも魅力的な少女である由美子でさえまったく引き留めることができなかった、と表現していることがわかる。

 

バビル2世はヨミが支配する工場へと入り込む。ここでヨミは秘密裏に人体改造を行っていたのだ。

考えたらこの工場は山奥だとか離党だとかではなく由美子ちゃんの家からそう遠くない町の中にあるわけだ。それが怖いな。

横山先生が描くこういう人たちが楽しすぎる。

こういう場面って主人公が存在しないダレてしまう箇所だと思うんだけど横山マンガでは逆に一番楽しい場面になる。一番は言い過ぎかもだけどこのダレ箇所を見せ場にできるのがすごい。バビル2世が出てこないページが6枚もあるがこの部隊自体に魅力があるのだ。

がんばれ!

しかしヨミ様の判断で「バビル2世に見られてしまったこの工場は人体改造室とともに働いていたこいつらも抹消されてしまう。

 

何度見てもこの時のヨミ様の表情が理解できない。

どーゆーこと?テレパシーで読み取るのが大変だった?あんまりすごい怪鳥だったので驚いた?

働いてるう。でもあんまりブラック企業じゃなさそうな気がする。福祉は充実してるかな。

 

バビル2世、ワンオペ主婦を思わせる。一人だと大変なのよ。

砂漠のシーンが続いた後にこれ。

こういうのが気持ちいいのだ。それにしても横山氏はほんとうに巨大ロボット描くのが天才。

みんな大好き「プクン」

 

そしてバビル2世とヨミ様。岡田斗司夫氏言うところの「チェスのような戦い」が繰り広げられていく。

ここはもう心ゆくまで楽しもう。

そして物語はソドム大佐(訳ありな名前だなあ)の記憶喪失からヨミの過去を探る重要な展開となる。

 

ここでもう一度山岸凉子日出処の天子』を召喚する。

やはり山岸・厩戸皇子=ヨミ様説をもう一度。

似てるかな。いやそっくり。

ヨミはバベルの塔のコンピューターから「バビル2世と同じくバビルからの血を受け継いでいる」と言われ「父親が同じだったとはな」と単純な感想をもらす。

父親・・・と言ってよいのか。

翻って山岸凉子日出処の天子』では厩戸皇子は毛人の心を引き寄せるために「私たちは双子だったのだ」という意味の言葉を伝える。「そなたが先に生まれ私がそなたを追ってこの世に生まれた。そして今もそなたを追っている」と。

二人は別の女性から生まれているのだがもともと双子だったと言い張る厩戸皇子と「父親が同じだったとは」というヨミ様の思考回路に相似点を感じてしまう。

 

そもそも、前回で書いた

ヨミがバビル2世に対し「良き友とならぬか」と言われ「まよっています」と答えてから階段を降りるまでにバビル2世は何を考えていたのか。

その時のバビル2世の思考をヨミは読み取ることができなかったのだが振りむいたその目にヨミは敵意を感じ取った。

だが逆に能力の高いバビル2世はヨミの思考を読み取ったはずだ。

ヨミの思考にバビル2世は嫌悪を感じて冷たい視線を送ったのだ。

山岸凉子氏はその数秒のバビル2世の感情の変化を『日出処の天子』という名作に落とし込んだと私は考えている。

毛人もまた厩戸皇子に好意を持ち交友を求めながら、ここはバビル2世がヒマラヤへヨミを訪ねていった箇所だと思う、つまりバビル2世は自分からヨミへと近づきながら実際に会い言葉を交わし「友にならぬか」と誘われたのに拒絶している。

先に接近したのはバビル2世のほうなのだ。断られたヨミ様の立場がないではないか。

ここも毛人の方が厩戸皇子に興味を持って近づいてきたのに後に(女性を好きになって)拒絶したのと重なる。

 

ヨミ様は主人公ではなく敵方なのにもかかわらず読者はヨミ様に感情移入してしまう。どうしても足掻き苦しむヨミ様に同情してしまうのだ。

日出処の天子』では主人公の厩戸皇子がその立場なのでやっぱり彼に共感する。

一方の毛人の身勝手さに憤怒する。

「その気持ち受け取ってやれよお」

バビル2世と毛人、モテる奴は冷酷だ。

 

 




 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その2

今日は『バビル2世』と重ねて考えてみたいマンガ作品について書いていきます。

萩尾望都スター・レッド』と山岸凉子日出処の天子』です。

なのでこの二作品のネタバレにもなりますのでご承知ください。

 

 

では本作もネタバレしますのでご注意を。

 

 

まずは萩尾望都スター・レッド』(1978年~1979年)

こちらは物語そのものではなく超能力を持つ主人公の描き方・表現が明らかに影響を受けている、という点をあげたい。

ヒロインのセイ・ペンタは火星で生まれた5世代目。ペンタというのは5世代目という意味である。

つまりセイ5世という名前なのだ。(ちょっと違うか)この「なん世代目かを必ず名乗る」というのが「バビル2世」という名前からきているように思える。

この物語の中では火星人は超能力を持っており世代が進むほどその能力は高くなっていく。とはいえその歴史は浅くセイは(たぶん)初めての5世代目であり最も高い能力を持つ希少な存在なのだ。

が、火星人は地球人から迫害され戦争で多くを殺され生き延びた者は都市を離れて生活を始めた。セイは地球人であるパパ・シュウに拾われそれ以降娘として育てられる。

が、セイの心はいつも火星を思いつめていた。

スター・レッド』を読むたびに「なぜセイはこうもためらいも悩みもなく突っ込んんでいくんだろう」と思っていたのだけど『バビル2世』を読んでその謎が解けた気がした。

セイはバビル2世にそっくりなのだ。何も臆することなく突き進む主人公はかっこいい。現在は悩み迷う主人公が受ける時期になっているがバビル2世とセイ・ペンタは猛進していく主人公タイプなのだ。

今回『バビル2世』を読み返していて浩一が両親に別れを告げる場面とセイがパパに別れを告げる場面のセリフが同じことに気が付いた。

(思った以上に『スター・レッド』記憶している私)

なぜか浩一君、お母さんじゃなくお父さんにこれを聞く。パパっ子だったのかなあ。

そして以前の記事でも書いたバビル2世がバベルの塔の睡眠装置(?)から目覚める時の表情がセイが麻酔をかけられる時の表情に影響を与えていると思う。

ただ作品内容は『バビル2世』ではなく『地球ナンバーV-7』に近しいものを感じられるかもしれない。

どちらにしても萩尾望都横山光輝から強い影響を受けているのは確かだしこれは萩尾氏自身が明言されているのだから問題ないだろう。

 

 

さてその問題は山岸凉子日出処の天子』(1980~1984))だろう。

『バビル2世』に似ている『マンガ作品』を挙げよと言われて『日出処の天子』を挙げる人はいないのではないか。勿論話自体はまったく違うものであり「似せた」ような点があるわけじゃない。

ではなんなのか。

 

横山光輝作品は多くの少女マンガ家に影響を与えたと言われ萩尾氏も明言されているのだがこの一年近く横山作品を読み続けて最も大きく影響を受けているのは山岸凉子氏なのではないかと感じた。

特に『日出処の天子』は長編というのもあって色々な場面で横山氏の影響を感じるのだけど『バビル2世』に関していえば主人公の超能力と人格そして他のキャラクターとの関係性において強く影響されているのではないかと思う。

かといって超能力者厩戸皇子=バビル2世ではないのが山岸凉子の怖いところである。

次の画像を見て欲しい。

これは冒頭に挙げた画像だがここに『日出処の天子』との相似点があるといえばおわかりいただけるだろうか。

 

つまり『日出処の天子』ではヨミが厩戸皇子(うまやどのおうじ)ありバビル2世が蘇我毛人(そがのえみし)なのである。

『バビル2世』をして「バビル2世とヨミの仲良し喧嘩」と評するのはやはり正しいのだろう。とはいえ悲しい仲良し喧嘩でもある。

バビル2世は決してヨミの「良き友とせぬか」の誘いに乗らないからであり乗った時に世界は彼らによって征服されることになる。しかしバビル2世は「なぜか」ヨミに反感を抱き彼と戦うことに決めたのだ。『バビル2世』においてこの判断は彼が「まよっています」と言ってから階段を降りて振り向くおよそ「数秒の間」に決まった。

山岸凉子日出処の天子』はこの「数秒の間」を11巻で描いた作品なのだ。つまりその後の戦いの場面はない。

私はこの一年『バビル2世』をきちんと読むまで「なぜ毛人は厩戸皇子の誘いを断ったのだろう。解せない。世界を征服できると言われて断る男がいるだろうか。あり得ない」と長く思い続けてきたのだけどバビル2世は数秒で断った男であった。

長い間の疑問「なぜ毛人は厩戸皇子の世界征服を断ったのか」答えは「バビル2世が断ったから」だった。先に答えがあったのだ。

となると何故「バビル2世はヨミの誘いを断ったんだろう」となる。

私としては「世界征服しても虚しいだろう」と単純に思ってしまう。バビル2世もそう思ったのではないか。

世界征服・・・?バッカじゃね?と思われたに違いなく悲しいヨミ様。彼はなぜそこまで世界征服したかったのだろうか。

 

さて、厩戸皇子(ヨミ)は恐ろしいほどの超能力を持っている。彼はその能力が毛人と共にいる時さらに拡大するのを感じついに毛人に「二人力を合わせれば一天四海を握るが如く総てを支配できるのだ」と問いかける。ただ厩戸皇子は同時に毛人に対して同性愛の相手となることを求めてもいた。

毛人もまた厩戸皇子の美しさに惹かれてはいたもののそれは彼の女性的な美しさに対してであり布都姫を愛してしまった彼はもう彼女の事しか愛せなくなっていた。

毛人は厩戸皇子に対し「いまあなたがおっしゃったことはもはや人間として持ってはならない〝力”なのではありませんか。だからこそ私とあなたは同性として生まれたのです」と答えて厩戸皇子の誘いを退ける。

 

思えばヨミは一切女性を求めていない。

多くの征服者を描く物語ではその人物が女性も欲望の一つ(むしろその欲望が大きいはずだ)なのにもかかわらずヨミが女性を求めていないのは不思議ではある。

ヨミのこの奇妙な世界征服の欲望を山岸凉子は自分が創作した厩戸皇子に落とし込んだ、のではないか。

スター・レッド』の表面的な相似と違い『日出処の天子』では物語そのものが『バビル2世』のテーマに相似している。(この書き方だと萩尾氏を貶めているように読めるけどそういう意思ではない)

『バビル2世』の物語そのものをあえて(少女マンガ的にと言ってもいいのだろうか)組み替え創作した。数秒の心理の移行を描いたのが『日出処の天子』なのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

『バビル2世』横山光輝 もういちど その1

えっと、今日から『バビル2世』についての考察を書いていこうと思います。考察となればいいけどただのダダ洩れ感想になってしまう予感もあります。

何故考察するのかというのはネットで探しても「バビル2世考察」というのが少数しかなく「考察」好きの私としてはあまりにも物足りず悔しいからです。

(しかしこれ私が単に検索下手だからだけなのかもなのでもしそうした物件をご存じの方は是非教えてください)

この欲望を埋めんとしてYouTubeも探したのですが出てきたのがあの「BSマンガ夜話」リアルタイムで見てた勢ですがやむなく再鑑賞しました。(他にほぼない)

が、結局判ったのはファンの方々の熱い応援と語るキャストの『バビル2世』への冷淡な感想でした。

まあほぼ自分が不満に思っていた「バビル2世への考察」がそのまま表現されていたのだけを確認しました。

しかし語られるように「時代遅れの横山光輝が描いたありきたりなマンガ」というのが真実なら何故あんなにヒットしたのか、人の心に残っているのかを教えていただきたい。

しかしまた語られていたように「バビル2世とヨミが仲良し喧嘩をしているだけ」というのが当たっているのかもっと違う何かがあるのかも解いてみたくて今回無謀な挑戦をしているところです。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

今現在の私は前回考察したもので止まっている。

読み返してはいないが「この物語は現実の横山光輝の状態を表現したものに思える」というものを以前の記事で書いた。しかしこれは先ほど愚痴を言った「時代遅れになった横山光輝」というのの言い方を変えただけでもある。

つまり「超能力」というのは「マンガを描く能力」を言っていてここで横山光輝は「ヨミ」にあたる。

年長者の(当時こんなに年取っていないだろうがこんな気持ちだったかもしれない)横山=ヨミは若いマンガ家であるバビル2世の超能力にどうしても負けてしまう。特定のマンガ家というわけじゃなく凄い才能を持った若手という意味だ。

ヨミはバビル2世と友達になりたいが冷たい目で見られるだけでヨミは「敵とみなされた」と苦しむ。これは実際こういう体験をしたわけじゃなくそうした劣等感を持ったということなんじゃないか。

ヨミは自分の持つ戦闘能力を増強して立ち向かうがどんなにしても若いバビル2世に歯が立たず自分自身が力を使い果たして死んでしまうのだ。

 

もちろん横山光輝氏がこの発想を持って描いたというわけでもなく「自然とそうなった」というものかもしれない。

しかし単なる作り物ではない実感が込められた作品は強い、と思うのだ。

 

『バビル2世』の読者はヨミに共感していくという。私自身もそうだけどそれは当たり前だ。バビル2世ではなくヨミこそが横山光輝氏だからだ。ヨミが部下(アシスタントさん)たちに慕われ尊敬されているのも当然だ。横山光輝先生だからなのだ。

ヨミ=横山先生は必死で戦い(マンガを描き)疲れ果てて眠るがバビル2世相手に部下(アシスタントさん)たちではどうにもならずまだ疲れが取れず眠っているヨミ=横山先生を起こして戦って(描いて)もらうしかない。

ヨミは世界征服を狙っていたが若いバビル2世を前にしてその野望は潰えてしまう。(と横山先生は感じたのだろう)

 

バビル2世が冷酷で容赦ないのも当たり前だ。ヨミ=横山先生から見れば若い相手はそう見えるに違いない。

 

今思ったけどヨミの「ヨ」は横山先生の「よ」ってこと?そしてヨミの「ミ」は光輝の「み」じゃ!!!まさか当たり!???!!!

 

バビル2世の三つのしもべはヨミ=横山先生にとって太刀打ちできない若者の特別な力(センスとか描写力とかストーリーとか)なのではないか。ヨミ=横山先生はそれらを自分のものにしたかったけどついにその念願はかなわなかったしそれと共に滅びてしまった。

 

ヨミは幾度もよみがえるがこれも横山先生を思わずにはおれない。

少女マンガから『鉄人28号』『伊賀の影丸』『バビル2世』のヒット後、もしかしたらもう落ちていくマンガ家と言われながらも(私は断固そう思わないけど)それでも様々な作品を描き続け晩年も歴史マンガに取り組んでいったその姿はヨミ様と重なってしまうのだ。

力を出し切った姿と重ねるのは辛いけど。

 

そしてそれならこの物語は繰り返し皆の心に蘇るはずだ。

若き日自分が「バビル2世」であった人もいつかヨミになってしまうからだ。

早々とヨミの座から降りる人もいるだろうが横山先生はヨミであり続けることを選んだのだと思う。

 

というのが今のところの私の『バビル2世』考察なのだけど実はこの考察だけではどうしても満足できないのである。

間違っている、とは言わないがそれだけではなんかなあ、単なる自分語りだけではないのでは、もっと違う考察が待っているのでは、という思いが私をかきたてる。

これ以上の考察はできないかもだけど横山光輝主人公のように試練の道を歩んでみよう。

 

ということで考察始めます。(ここまでは前置きです)

 

まずは『バビル2世』一巻の始めからきちんと読んでみよう。

まだバビル2世になる前の浩一くん。普通の中学生である。

彼は人間が高い高い塔を作っているという夢を毎晩見続け悩んでいる。

学校の教師が「それはバベルの塔じゃないか」と言って説明をする。

 

ここもバベルの塔がマンガを意味しているような気がしてならない。

マンガというメディアであれば多くの人々が楽しめるからだ。

神の怒りで壊されてしまう、というのも当時のマンガに対する偏見を物語っている気がする。

うう抜け出せないな。

 

翌朝から浩一は両親に「旅立つ時が来た」ことを告げる。

これは非常に西洋的なエピソードに思える。子どもが成長し独り立ちを宣言するのだ。先日書いたブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』を思わせる。宇宙に向かう迎えが来て少年は家を出る。

浩一のリビドーのメタファーであるロプロス

 

ここに来る迎えがしもべの中のロプロスであるのが少年のリビドー(ここでは自立したいという欲望)を端的に示唆しているように思えてならない。

ちなみにここで浩一は父親と激しく対立している。さらに母がベッドで気を失う場面があるのを「BSマンガ夜話」ではありきたりの記号表現と言って嘲笑っていたのだが、横山氏はさりげなく「エディプスコンプレックス」を描写しているのだ。ベッドに倒れた母親の姿がなんとも艶めいているではないか。下手な記号表現などではない。

それは偶然かもしれないが(とも思えない)もしそれならば横山氏が物語構築の天才だと言われる所以だろう。

モローのオイディプスを思い出せばこの場面と重なるではないか。

 

あの方々(しつこく根に持つ)は感じられなかったのかもしれないがバビル2世が多くの読者(視聴者)に「少年のエロチシズム」を感じさせてしまうのは何故なのか。

バビル2世はどの相手とも性的ななにかである。(少し別の道へいけそうだ)

ロプロスともロデムともポセイドンともバビル2世が組み合わされる時に性的衝動を思わせてしまうのだ。

彼が常に少年のイメージである学生服姿なのもその一因でありアニメにおいて学生服が別の衣装になった時に心が離れた人も多いのだ(私だけど)

 

さて直感的に『バビル2世』という作品が単一の何かではないとは思っている。

だからこそ一つの考察だけでは物足りないのだ。

今書いていった少年の性衝動というものもそのうちの一つでしかない。

さらにここから別の要因も入ってくる。それが「バビル一世」のエピソードだ。

 

まずは美しい女性によって導かれる浩一。年上のミステリアスな女性の指導という点は性的なイメージが思わされる。

「砂嵐に隠されたバベルの塔」はちょっとあからさまに少年の性衝動すぎる気がする。

 

そこで彼女は「バビル一世」へと浩一を導く。

これも(しつこく根に持つ)「BSマンガ夜話」で「ありきたりのデザイン」と言われていたものの一つだろうがこの宇宙船のどこがありきたりなのか。ここまでシンプルに美しい形が描ける人がいるとは思えない。

 

さてこの「バビル一世」という人物がくせ者だ。

彼は当時の地球人の能力の低さに絶望しニムロデ王に近づき「バベルの塔」を建設させたが地球人の不注意で頓挫する。

彼はやむなく地球人の女性と結婚して生活し始める。そしてやがていつか生まれてくる子どもの中に自分の因子を宿した者が出てくるに違いない。

その子を「バビル2世」とし自分のすべてを譲ろうと考えるのだ。

「この地球を征服するも地球人のために使うもきみの自由だ」

永井豪はこの後で『マジンガーZ』において「神がみにも悪魔にもなれる」という台詞を用いる。

とはいえ横山光輝はすでに『鉄人28号』で「使うもの次第で神にも悪魔にもなってしまう」ことを描いているのだからここで驚くことはない。

 

ただこの「バビル一世」はその人自身は「神でも悪魔でもない」

進んだ科学力を持っていただけの人物でしかない。

科学力への憧れと不安、それもこの作品のテーマの一つであるのは確かだ。

 

今日はここまで。

もちろん続く。

 

 

 

 

 

『夜光島魔人』横山光輝 その2

絶対このアカエイデザインが気に入ってる横山先生。かわいいんだもん。

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

上のアカエイの中には村雨けいじが入ってます。

山形兄弟は夜光島でまだ奮闘中。巨大なミサイルを目撃するが背後には隊長が立っていた。

ふたりはすぐに処刑されることになる。

工場で働く男たちは眠っているのをたたき起こされ兄弟の死刑を見せしめにされる。

が、ここで村雨けいじを逃がしてしまったという報告がはいり処刑は中止となった。

 

兄弟は牢に入れられ村雨けいじの救助を待つ。村雨けいじはすぐに警備艇に乗って戻ってきた。が、島に近づくのは困難だった。

警備艇と夜光島の砲撃合戦となる。そのため兄弟が入れられた牢に穴が開き逃げ出すが兄・武は工場で働く皆を助け出そうと地下へ向かう。良い人だな。しかし三郎君は正太郎君ばりにピストルの名手。

兄弟は力を合わせて皆を助け出した。

が工場を抜け出す途中でふたりは空き室のペチカから地下に通じる穴を見つける。穴は狭く武は通り抜けられず三郎だけが穴を降りて行った。

 

そこで三郎は見たことのない機器が並ぶ部屋に降り立ちつぎだらけの顔をしたデイボス様と呼ばれる人物を目撃する。

デイボスは水中砲というもので竜巻を起こし警備艇を襲わせた。

 

このデイボスは銃で撃たれても平気で三郎との格闘でどうやら機械の身体を持っているようだ。

さすがの三郎もデイボスから電気ショックを受けて倒れてしまう。

三郎の帰りを待っていた武は不安になり狭い通路を抜けて降りてくる。気絶した三郎を見て取り戻し逃げようとして水中艇を見つけ乗り込んだ。

横山先生、こういうのが大好きなんだなあ。確かにわくわくするね。

言えばこのシーンを描きたいために作ったお話なのかもしれない。

兄・武は操縦を知らないのでありったけのスイッチを押しまくって敵を攪乱。そのせいで三郎の目が覚めうっかり押したスイッチで魚雷が発進して敵に命中した。

 

兄弟はそのまま逃げ延びたが上陸しても攻撃を受け続ける。兄は三郎に逃げて警察に知らせろと命じひとりで戦い続けた。

 

三郎は警察に知らせて兄を救助し警察は山形兄弟と話し合って夜光島攻撃を開始する。

武の発案で警官たちがフカに化けて島に近づく、など楽しい攻撃となっている。

警察から攻撃を受け続けるデイボスはついに逃げ出す。

弟・三郎はひとりだけこのロケットに乗り込みデイボスと戦う。

その末に宇宙に飛び出してしまうが科学グラビア雑誌で宇宙服を知っていたのでそれを着込んでおり助かるのだ。(勉強は必要だね)

その直後空軍部隊からの攻撃を受けたデイボスロケットは破壊された。

 

三郎は兄・武と共に自宅でくつろぎながらこれらの報道をラジオで聞いた。

武は夜空を見上げながら三郎に話しかけた。

「魔人が本当に宇宙人だったのか。なんのために地球にやってきたのか。それは僕たちは自由に宇宙を飛び回れるようになった時に初めて謎が解けるだろう」

 

ふむふむ。

楽しい冒険マンガでした。

現在の感覚ではもう少し平和な交流をしてほしいけどこの時代の娯楽読み物としては良き方だと思います。

とにかくアカエイやフカの被り物と楽しい水中艇を描きたかった作品だと思いました。

村雨兄弟と正太郎君が設定交換したキャラになってるのも楽しく愉快でした。

 

さて明日は久しぶりに『バビル2世』を再読していこうと思っています。

本作もですが先日の『少年ロケット部隊』などいろいろな作品を読んでいるとそれらは皆『バビル2世』を描くための習作だったのではないかと思われてしかたない。

様々に試行錯誤してついに『バビル2世』が生まれたのではと思うともう一度読みたくなってきました。

今からうずうず楽しみです。

 

 

 

 

『夜光島魔人』横山光輝 その1

先日読んだ『少年ロケット部隊』全七巻という長さもあってショックはぬぐい切れず。

本作も同じ1960年の作品ということで恐る恐るページを開けましたが杞憂でしたとまず書いておきたい。

 

表紙に出てるのでネタバレにはならないと思うけど「アカエイ」が飛びます。アカエイが飛ぶというと『鉄人28号』6巻が「空飛ぶアカエイ軍団」(1958年)7巻が「難敵アカエイ & モンスター」(1959年)でした。

そして『夜光島魔人』は1960年で再びアカエイが飛ぶと。

そもそもアカエイは飛ばないのですが、「飛ぶアカエイ」は横山先生にとってお気に入りだったのでしょうか。

 

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

まず心躍るページ。

海の中、鮫の群れの中から一匹だけが群れを離れていく。

と思ったらその鮫の中から男性の姿が現れ「たすかったぞ」と言いながら浜に上がった。

が、次の瞬間その男は空飛ぶアカエイに追われ逃げ出した。

アカエイはシャーッという音と共に赤い液体を口から放出する。男は「ウワッ」と叫び倒れ込む。

 

この叫び声を聞いて走ってきたのが山形兄弟だった。

兄の方が倒れた男を抱え起こすと男は「夜光島」と言い残して死んでしまう。

その時弟の三郎は夜空にアカエイが飛んでいくのを見つける慌てて手に持っていたカメラのシャッターを押す。

兄・武は急いで警察に知らせた。

 

余談だけど大友克洋AKIRA』の山形ってここから?あの「山形ァ」の。

AKIRA』の登場人物名が横山光輝鉄人28号』から選ばれているというのは有名だけど「山形」っていたんだっけ。いなかったような。むむむ。

余談終わり。

 

というわけで本作は山形兄弟の活躍で進む。

山形兄弟見た目は村雨健次と金田正太郎クンである。いささか複雑な。

しかし村雨健次と正太郎クンをくっつけたい方々にここで仲良く暮らしていることを教えてあげたい。

本作の正太郎クンこと山形三郎クンも少年の魅力たっぷりである。

まず生意気な(失礼)正太郎クンよりもぐんと素直で良い子である(ハハハ)

お兄さん思いで可愛らしい。

三郎クンの足。かわいすぎてあざとい。ルーズソックスもあざといっ。

しかしラジオがでかい。こんなでかいラジオあるの?

あしがあしがかわいい。向きがかわいい。

 

ふたりがでかいラジオに気を取られている間に空飛ぶアカエイが忍び込み現像室の写真を盗もうとしていた。

ふたりは気配に気づき三郎は鞭(!)でアカエイを打ちのめした。(乱暴なのは一緒だった)

鞭を操る小学生っている?

 

が、アカエイに写真を奪われ逃げられてしまう。さらにアカエイは殺人事件の捜査にきていた警察を襲い殺害する。

 

山形兄弟が警察の調査を受け「アカエイが空を飛んできた」と答えると警察は笑って信じない。

しかしここで「その話を信じよう」と現れたのは村雨けいじだった。(この「けいじ」はたぶん「刑事」のほうだろうな)

ここでは村雨兄弟は兄弟ではなく村雨健次と正太郎が兄弟・・・ややこしや。

 

ふたりは村雨けいじに「夜光島」の話をする。

しかし警察が去った後ふたりでアカエイの正体を調べようと出かけるのだった。鞭を持って。

 

うーむ不思議だねえ。

『少年ロケット部隊』の方が大きく本格的な題材のようでいて緊迫感はこちらの小さな作品の方がはるかに強く感じられる。

『少年ロケット部隊』と本作『夜光島魔人』実は内容がまったく同じなのだ。

怪しい「なにか」(あちらでは光こちらではアカエイ)を発見しそれが何かを突き止めようとした主人公がその怪しい者に捕まりその正体が宇宙人だとわかる。

というのが両作品のあらすじなのだが『少年ロケット部隊』では明らかに氏の力量が足りなかった、と思われる。方向性が間違っていたのかもしれない。

一方本作『夜光島魔人』はこの当時の横山氏にぴったり合った題材に思える。

空飛ぶアカエイという突拍子の無さもその種明かしも兄弟で謎を解いていこうという趣旨も楽しい。アメリカ映画でありそうな題材だし兄弟で解決してしまおうぜというノリの良さもアメリカ的だ。(日本人は普通「お上に任せよう」で終わるから)

本作はアニメにしてほしい。実写でも良いけど三郎クンのルーズソックスにはこだわってほしい。

萌えの塊のような四コマ。三郎の鞭打ちでのけぞるアカエイの口がかわいい。3コマ目のアカエイの目がかわいい。兄弟で怪物と戦ってるというのがモエモエではないか。

三郎クンのあしぃ。

 

村雨けいじ(ひらがなが気になる)はこれを覗き見てふたりがアカエイに連れされられるのを追跡した。

 

モーターボートに乗った村雨けいじは山形兄弟がアカエイによって奇妙な形の島に運ばれたのを目撃する。

 

夜光島で兄弟は奇妙な男たちに囲まれ地下へ連れて行かれる。そこには大きな工場になっており、機械類の中で作業している者たちがいた。兄弟はここで働かされるのだ。ここは兵器工場らしい。

うむこういうのが怖くておもしろい。

 

ってこの場面を見て『スターウォーズ』スピンオフドラマ『キャシアン・アンドー』思い出してしまう。大好きなのだ、あれ。

 

工場で三郎は監視員に鞭打たれた。武は怒り

そのとおりなんだけどそのこどもはアカエイむちでなぐってましたよ、アニキ。それどころか。

互いの事しか考えてない兄弟だ。

 

いいのか、そんな甘いことで。ひらがなばかりで読みにくい。

 

ここで村雨けいじが島にやっと上陸したがそのまま捕まってしまう。

三郎たちは工場の作業員のひとりからアカエイの秘密を教えられる。

しかも夜光島に住む主は世界征服を狙っているというのだ。

ふむふむなるほど。

仲良しな健次と正太郎、じゃない山形兄弟だ。

 

村雨けいじが兄弟と同じように兵器工場で働かされることになる。しかし村雨は隙をついて海に飛び込み脱出した。(ここで『キャシアン』思い出した)

更に村雨アカエイを着込んで(変な言い回しだけど)空を飛んで逃げ出す。島の兵士たちもこれを追った。

夜光島にいる謎の兵士たちが村雨に注目している間に山形兄弟は目撃したロケットのようなものを作っている工場へと急いだ。

 

武は巨大なロケットが作られているのを見る。

しかしふたりの背後には夜光島の隊長が立っていた。

 

続く。

 

一巻しかないのに続くになってしまった。

おもしろいと長くかかってしまうのだ。

 

 

 

『少年ロケット部隊』横山光輝 その2


ところで本作『少年ロケット部隊』の掲載誌が「日の丸」となっていたので右翼雑誌に掲載されていたのかと思ったのだけどなんてことはない普通に集英社漫画誌であった。本作途中で休刊となり「少年ブック」に移行した模様です。

 

 

 

ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

先日の記事を省みてまず書いておかねばならないのは

作者の横山光輝氏はこれを「単行本化しない」と決められたままで死後デジタル化配信されたものを作者の意志を無視して拝読しているのだからこれを批判するのはそもそも間違っている、

ということだ。

いわば作者が描いてはみたもののボツにして捨てたのを拾い上げて文句を言うのもおかしいはずだ。駄目と思ったから捨てたんだからね。

「その1記事」は書き飛ばしてしまったので今慌ててその旨を付け加えた。

前記事はそこをきちっと踏まえていなかったので悔やまれる。

 

という前提で書いていきます。

 

 

本作の掲載誌が「日の丸」って右翼的作品かなどと思ってしまったのも本作がかなり好戦的に感じてしまい右翼的雑誌及びその筋からの要望で「軍隊賛歌」的に描かれているようにさえ思えたからだ。

軍隊内のシゴキいじめなどは削除され頼もしい友情が強調されていく。とにかく戦いたいという強い意志を持ち有能な少年たちがさらに優秀な先輩に指導されみるみる成長していく。

横山マンガの登場人物はあまりじとじとしてしてはいないし思い悩まず行動していくものだけど本作はそれが上手く行かずにいると今のところ感じている。(4巻途中まで)

 

戦闘場面の作画の変化

2巻前半

 

3巻前半

4巻前半

 

成長していく、と思ったが極端に手抜きになる場面もあり濃度の高低が激しい。

 

こういうロボット場面は横山氏の魅力満載。

 

『少年ロケット部隊』7巻まであるのだけど途中から画面が極端に白くなり別の人が描いたのか?という部分が多くなっていく。

背景もないこの絵はなんだろう。

これでは単行本化したくないかも。

 

物語進行としては円盤の攻撃で東京は壊滅状態となってしまう。

そこへひとり降り立った草間は謎の組織と出会う。

その中にいたのが

村雨龍作。

 

この後が恐ろしい展開となっていく。

助けてきた人々の血液検査をするのだが緑色の血液とわかった瞬間に撃ち殺してしまうのだ。

驚く草間に村雨は「体は人間だが中身は宇宙人なのだ」と説明し「たちどころに殺した方がいい」と言い草間も了解する。

これはあまりにも酷い。

 

というか「たちどころに殺した方がいい」ことを細かく描写すべきなのを省略してしまったんだろう。

 

そして最後までこの緑の血を持った宇宙人の謎は解き明かされないまま終わってしまう。

円盤によって東京は壊滅するがそこに住んでいた市井の人々の思いなどの描写はなくあまりにも不思議な作品である。

 

これまで『宇宙船レッドシャーク』など未単行本化の横山作品を「もったいない」と嘆いてきたが本作は確かに消し去りたい作品だったのだろうと共感する。

繰り返して記すが作者横山光輝氏が生前見せなかった作品つまり自分で良しとしなかった作品を覗き込んでいるのだから申し訳ない気もする。

記事その1を含めここで書いたのは批判や批評というものには当たらない。

横山氏ご自身が作品群から排除した、という事実が答えになっていると思う。

その判断は正しかった。