『カムイ外伝』の面白さはここから先にあるのではないでしょうか。
ネタバレしますのでご注意を。
この『カムイ外伝』記録は横山光輝『バビル2世』および『その名は101』を読んでいるとどうしても『カムイ外伝』が下敷きになっている気がして本作を読まずにおれなくなったことから始まった。
なのでどうしても比較批判をしたくなる。
確かに『カムイ外伝』第一部は戦闘アクションが主体でよく似ていると言えるが『カムイ外伝』の面白さは第二部から社会の中で働きながら旅をしていくカムイの姿にある。
『101』は『バビル2世』と同じようにアクションを続けていく物語なので意外性が足りなかったのではと思う。
『101』で浩一が社会の中に生きる姿を描いていたら、とも考えるが横山氏作品はそうした日常生活感に乏しい。最後まで「戦争」を描いた作家だった。
やはり『カムイ外伝』のような経過にはならなかったのだろうしそれはそれで横山氏の魅力だと思うしかない。
「日暮れて」
さて。本作ではカムイが尾州尾張藩で新田開発のための開墾作業の集団に加わる。
ここでカムイは初老の男と知り合った。
男ははねた木の枝で目を傷める。カムイは携帯していた薬を処方して治療する。
男は感謝しカムイを連れて飯屋で天ぷらを食べさせる。
そこにならず者が現れ暴力をふるうのを男は許さず表へと出た。
男は剣の達人だったが途中で膝の痛みを感じ動けなくなるがカムイの投げた石つぶての援護でならず者を倒した。
男は源心といいとある藩で指南役を任じられていたが数年前名もなき旅の武芸者と戦って負け修行の旅に出たのだった。
だが柳生新陰流道場で勝負に負けた源心は「型の古さ」を指摘される。長年築き上げた太刀を根本から考え直さねばならないと源心は落ち込んだ。
カムイの追手に気づいた源心はひとり立ち向かうが叶わない。
後を追いかけてきたカムイはそれら追手をことごとく斬り捨てた。
その様子を見た源心は「見事」とつぶやく。「その腕なら柳生を破れる」
わしだって十年若ければ。
源心はこときれた。
日暮れて道遠し。
「人狩り」
武芸好きが高じ犬を追うだけでなく人を狩って楽しもうという下種な老体への復讐話が描かれる。最初に犬を虐待するので絶対駄目な人(私もだが)は読まない方が良い。これだけは許せん。
ここではカムイだけでなくこの数話に登場してきた百日(ももか)のウツセが接近してくる。
人狩りの話自体はおぞましいだけなので省略する。
がその中で自己催眠をかけていたカムイが運悪くこのおぞましい男に捕まってしまう。ウツセもまた投網をかけられ捕まった。
人狩りを楽しむおぞましい老体がカムイに「忍びの術を見せよ」と命じカムイは「よかろう」と応じる。
カムイはそこで術をかけ石になってみせる。
続いてウツセも捕縛の縄を解きふたりはあっという間に老体を守る侍たちを皆殺しにしてしまった。
酷い目にあった者たちは次々とこの老体をなぶっていく。
カムイとウツセは静かにその場を離れる。
ここでウツセはカムイが殺した不動の仇討を告げる。
「なぜ鮫に食らわせた」
「われら抜け忍はいわば裏切者。その裏切者を裏切った男がいた。ない夢をあたえ奪った。許せん」
「ない夢をあたえ奪った。許せん」という言葉はずっと心に残ってしまう。
カムイとウツセの戦いが始まる。
ここで戦慄する。これまでカムイは誰と対しても圧倒的な力を持っていた。
が、このウツセはカムイを上回る力を持っているのだ。
カムイはウツセにやられ崖を落ちていく。その時に放った鎖がウツセの首にかかったことで即死をまぬがれたにすぎなかった。
「舞様」
ここから物語はまったく違う方向へと動き出す。
瀕死のカムイは美しい少女「舞様」に救われるのだが、二年前にも同じ場所で舞様にしかしこちらは「違う舞様」に救われていたのだ。
二年前同じように瀕死の傷を負ったカムイを美しい女性「舞様」が手厚い介抱をする。
しかしこの美しい「舞様」は悲しい運命を背負った女性だったのだ。
水難の多い風土である日本では人柱伝説が多くある。
この村もまた幾度も豪雨の被害に苦しみその度に橋をかけなおさねばならない。その際に人柱を差し出すことで年貢を免除されていた。
舞様は武家の女性だったが戦に敗れ苦界に身を落とす羽目になった。その身を買ったのがこの村人たちだったのだ。
舞様は逃げることさえしなければこの村で何不自由なく飢えることもない生活を与えられた。それはすべて人柱として身を捧げる代償であった。
そしてその傍らには次の舞様(本編冒頭でカムイを救った少女)が付き添っている。
この話を聞いたカムイは激怒する。舞様を閉じ込めている檻を蹴り破り二人の舞様を促した。「わたしが必ず逃がしてみせます」
が、舞様はそれを拒み人柱となる日を待つ。
舞様が犠牲となった日カムイは旅立った。
そして二年後、カムイは再び瀕死の重傷を負い新しい舞様に介抱されたのだ。
まだ少女の舞様は「カムイに会えてうれしい」と喜ぶ。
そしてその夜新しい舞様は前の舞様の供養を行い村人たちは皆で「舞茸の汁」を啜り食べ笑い舞い狂った。
カムイは口にはせずそこを去る。
が、追手がカムイに迫った時カムイはその舞茸汁を食らったかのように笑った。追っ手を斬り捨てカムイは笑いながら去っていく。
人柱、という風習が事実であったかどうかともささやかれてはいるがこうした伝説は世界中にも枚挙にいとまがない。
しかしこれは遠い過去の伝説ではなく今現在もまた行われているという説がある。
むろんこの話のように洪水で橋に人を縛り付けるのではない。誰かの犠牲を無視している、という事実である。
カムイのような有能な者でもその犠牲を変えることができなかった。
カムイは自らを笑ったのである。己の力で必ず救ってみせると言いながら何もできないからだ。
幼い舞様のことも。
あの孔明のように身代わりの饅頭を作ることはできるのか、そしてその饅頭で他人を納得させられるかどうか。
カムイにはできなかったのだ。