ガエル記

散策

『史記列伝/上』横山光輝 その2

ネタバレしますのでご注意を。

 

本作では魯国の朱家について描かれている。

朱家は遊侠の徒として名を馳せたという。

遊侠の徒、とは「約束したことは絶対に守り、なそうとしたことは絶対にやり遂げ、命を懸けても人の窮地を救い、千里の果てにいても信義を守る」ためにはこの世の正義に背を向けることもあるという人々だ。

 

私は日本の「任侠」は好きになれなかったが中国の「武侠もの」が大好きです。

そこで描かれる「侠」の精神とそれを持つ人への憧れと尊敬がすでに明確に『史記』に記されていたのかと感心しました。

 

項羽に仕えていたことで追われている季布を朱家がかくまい劉邦の側近である夏侯嬰に目通りを願い「壮士を憎んで敵国に追いやれば敵を利するだけです。それはかつての楚の過ちを繰り返すことでございます」と劉邦を諫めてほしいと進言した。

夏侯嬰は朱家が季布を匿っていると察して言葉通り劉邦に諫言したのだった。

劉邦はもっともだと頷き季布を赦免して郎中(警護役)に取り立てたのだ。

この話が世間に伝わり朱家の名は轟いた。

その後季布は河東郡の太守まで出世をしていったが朱家は「侠」の精神を守り生涯会おうとしなかったという。

 

うーん、かっこいい。

 

が、第4話「最後の侠客」になるとなかなか共感するのが難しい。

郭解は司馬遷と同時代の人だったと書かれているから詳しく知っていることでややこしくなってしまうのだろう。

本人は知らぬとも彼を慕う子分たちが手を下してしまう、というのは困ったものではないか。

 

第5話「酷吏蒼鷹」

酷吏=人よりも法を重んじる官僚。恐ろしい言葉である。

 

本作は文帝の時代から景帝の治世に働いた郅都の物語である。彼は恐ろしい酷吏でその激しさをして「蒼鷹」と呼ばれたという。

 

もう読んでいるだけで気持ちが悪い。恐ろしい男である。

太后だけが頼りであった。