めちゃくちゃおもしろい。こういう短編をもっと読みたい。
オーソン・ウェルズ劇場みたいなやつ。
ネタバレしますのでご注意を。
何度も何度も書いてるけど横山氏はマンガの進め方がうますぎてさっさと読んじゃうんよ。も少し判らなくしてくれてもいいくらいだ。
映画では「編集を制する者が勝利する」というのを聞いたのだけどマンガも同じ、というのも当たり前なのか。
本作、主人公は上杉健児(健児多い気がする)で死んだ男の息子なのだけど主人公で始まる方法もあるのだけどあえて悪だくみの三人男から始めることで物語がシンプルになる。
上の図からズームアップして黒い物体は海の漂流者だとわかる。
貨物船が現れ救助するが鮫が邪魔をするというサスペンス。しかも男はその鮫に足を食いちぎられていて瀕死の状態だった。
死ぬ間際に「日記を息子に」と託して「黄金・・・」とつぶやいて死んでしまう。
それを聞いて青ざめる一人の船員。それを睨みつけるもうひとり。
という出だしだ。これで先が気にならない人がいるだろうか。
青ざめた船員・伝吉は読唇術を知っていて死んだ男の言葉を読んでいたのだ。睨みつけた男・辰はもうひとりの大男・海ぼうずを引き連れ伝吉を脅しその言葉が「黄金の墓場」だったと吐かせる。
船長は約束通り健児に日記を渡したのだった。
横山マンガ定番座り込んで考える男のポーズ。横山氏が考え込むのはここだけなん。
健児の前にあの三人組が現れた。
宝に目を付けた悪党・辰と狙われる健児(真ん中の真面目青年)どっちも良いねえ。
そしてやっぱりきちんと布団で寝てる。敷布団二枚重ね。パジャマ。可愛い電気スタンド。
お目覚め。寝相いいなあ。全然乱れてない。
ここで日記が盗まれてしまった。
ここからちょっと珍しい展開になる。
健児の家に訪ねてきたのはある会社の部長と言う男だった。社長が会いたいというらしい。
他の作家ならばそうびっくりすることじゃないが、ここで女性社長が登場したのでかなり驚いた。
彼女は健児の父親の海の宝さがしの資金を提供し今回の冒険の資金もすべて出す、その代わりに財宝は山分けという話を持ち掛けてきたのだ。
健児は財宝よりもなぜ父が漂流することになったのかの謎を知りたいと思っていた。その手掛かりになるこの探検に出ることを健児は承知する。女性社長・橘文江も同行するという。
橘文江は短期間ですべての準備を整えた。
驚いたのは船員が父を救ったという三人組だったことだ。
目的地までつく航海中健児は橘文江に語りかける「社長さんのようなお金持ちがまだ宝を欲しがるなんてね」
彼女の返事は「私は車椅子生活で女としても魅力がない。みんながぺこぺこするのは私にお金があるからです。だから私はもっともっとお金を手に入れるのです」というものだった。
ところが船は嵐に襲われる。
海底に潜るための潜水球が流されてしまっては元も子もない。
頑張ってすむことなのかwwwwww
横山先生、この場面を描きたくて描いた気がする。
なぜなら
「たのもしい」というのが大好きだから。
果たして。
目的地につきまず健児と伝吉が潜水球で海底へ降りていくと本当におびただしい財宝があることがわかる。
しかし潜水球はそれ以上降りられない。
そこに洞窟があって激しい水の流れが洞窟へと吸い込まれるという現象が起きていたのだ。沈没船が破壊されながら洞窟へと運ばれ重い宝石だけが海底に沈んで燦然と輝いていたのだ。
(そういうことになるのかよくわからないけど)
巻き込まれてしまうと判断した健児はそう船上の辰に伝える。辰は怒り今度は自分が行くといって伝吉と海ぼうずの三人で潜水球に乗り込む。
財宝欲しさに海底まで沈ませると激しい水流に巻き込まれる。
慌てる伝吉に辰が怒ると伝吉は「兄貴が俺たちも殺すつもりだろうと思って球をつなぐワイヤーに切れ目を入れておいた」というのだ。
辰は伝吉を刺し殺す。
が自分たちが乗る潜水球のワイヤーも切れて洞穴へと吸い込まれていった。
健児は「ここは秘宝が永遠に眠る墓場なんだ」とつぶやいた。
1969年別冊少年マガジン掲載。
1967年映画に『冒険者たち』というのがありこの映画作品は多くのクリエイターに火をつけたのではないかと思われる。(リアルタイムで知ってるわけじゃないので想像なんだけど)
ふたりの男とひとりの女が終わりかけた青春をもう一度輝かせる、という感じでその設定にくすぐられたのだろう。
様々な亜種作品が生まれたのではないだろうか。
横山氏の場合はあくまでも「宝探しの冒険」に特化していて多くの人が惹かれた「ふたりの男とひとりの女」の恋愛部分は完全にスルーしている。
しかも女性は車椅子の中年女性で恋愛はまったくない。(少しあってもいいのだけど完全無視)男はふたりじゃなく6人もいてむしろ辰と海ぼうずが怪しい(嘘です、いやまさか)
とはいえこの作品が『冒険者たち』のオマージュだとは言わないが「宝探し」という今となっては「?」ということにまだ夢を抱いていた時代だったのだろう。
いや今でもいるのかなあ?