昔観てはいるはずなのですがあまりに退屈でちゃんと観れなかった、という再鑑賞です。
これも『SonnyBoy』のための勉強鑑賞です。大変だ。
もともと私はフランス映画と言うかフランス文化と相性が悪くてこの雰囲気が苦手だったのですがさすがに私も年齢を経て少しこの味わいを楽しめるようになったようです。
ではネタバレしますのでご注意を。
名作だ!と感動するまではないのですが確かにこの設定と物語が後に続く様々な作品にインスピレーションを与えてしまったのだということが理解できます。
ハンサムなマヌーは飛行機乗り、ローランはエンジン開発、レティシアは芸術家としての挫折を味わい三人は海底の財宝探し、という冒険旅行を始めます
二人の男と一人の女の冒険譚、という発想はひとそれぞれにその関係性と運命の差異を考えさせます。
本作では年齢の違う男ふたり、若く美男子のマヌーは美しいレティシアにぞっこんです。しかしレティシアはやや武骨な顔立ちの年上男性・ローランと暮らしたいと望みます。そしてローランは・・・果たして彼の気持ちはどうだったのでしょうか。
この物語を真似た作品を上げていけばキリがないのではないでしょうか。
たぶん多くの作家が自分の好みを当てはめながら少しずつ内容を変えて作りたくなるイメージなのでしょう。
つい先日観た『ザ・ビーチ』も明確にこの作品からのリメイクでありますね。
ふたりの男、ひとりの女、幸福を求めて南の島へ旅立ち、そこで出会う人々に運命を狂わされてしまう。
歓喜と失望、理想を求め奪われてしまう。
本作では女との恋よりも男同士の友情が濃く描かれていますが『ザ・ビーチ』では男の友情は極端に薄くなっています。こうした関係性の違いが創作者の個性の違いなのです。
そして『SonnyBoy』はそこまで『冒険者たち』のみを模倣した作品ではありませんし直接本作を意識したのではないのかもしれませんが巡り巡ったつながりはあるかもしれません。
『SonnyBoy』ではふたりの男とひとりの女、の逆バージョンになっていますね。つまり主人公であるひとりの男とふたりの女、です。
これはむしろずっと類似性を感じる(というかあえて似せて批判していると感じられる)『エヴァンゲリオン』でのシンジとアスカとアヤナミというひとり男ふたり女なのですが『エヴァ』は最終盤でこの関係性を崩して三人女とひとり男にしてしまってバランスを破壊したように思えます。これは余談。
直接ではないにしても青春物語において(年を取った青春の場合でも)本作の設定は基盤であるに間違いないのです。
いろいろなバリエーションを生み出す古典です。
そんなことを考えてしまう私はやはりこの作品に心から心酔してはいないのでしょう。
異なったバリエーションで良いと思う場合はあるのでしょうがこの映画のかっこよさとレティシアの失われ方が私にはどうにも受け入れがたいのです。