ネタバレしますのでご注意を。
「三顧の礼で孔明を迎える」というエピソードは『三国志』の中でももっとも有名なものの一つですがこうして読んでみると孔明を迎えるまでには三顧の礼どころか数々の段階を経なければならなかったことが解ります。
まずは蔡瑁からの暗殺計略で「檀溪を跳ぶ」ほどの危険を冒す体験をして玄徳は自分が運命に弄ばれているような激しい疲労と後悔を覚える。
そしてその後童子の案内で水鏡先生に出会うのだ。
関羽・張飛・趙雲の勇猛さ強さは最高の武器ではあるがそれらは玄徳自身を導いてくれるわけではない。玄徳は壮年に入っているにもかかわらずいまだに基盤がなく彷徨う旅人でしかないのは有能な謀略家がいないからだ。
玄徳はこの時初めてこう考えたのだろう。
優しい彼は弟たちや部下を値踏みしたりしなかったはずだ。何かが足りないと愚痴も言わなかったのだ。
しかし運命は自分で切り開かなければならない。
大志を貫くには自分に何が必要かを考えなければならなかった。
そしてそれを手に入れるのは関羽たちにとっても必要だしなにより玄徳のそもそもの志「より良き人の世」を作るためにこそだったはずだ、と。
が、水鏡先生自身は玄徳の部下になるには年を取りすぎたと言って断られてしまう。この一段階があって次へとつながっていくのだ。
趙雲が迎えにきて玄徳は新野の城に帰る。
次なる智者・単福こと徐庶である。
この単福・徐庶の出現で玄徳は軍師の知恵を知る。
玄徳軍を鍛錬し戦においてその場に応じた軍略を次々と発揮してみせたのだ。
玄徳二千の軍隊に曹操一族の曹仁軍五千が攻めてきた時「演習代わりにちょうどいい」と言って張飛を驚かせる。
が単福・徐庶の言う通りにあっという間に勝負はついた。関羽・張飛・趙雲と言う豪傑がそろう軍隊に軍師がついたのだ。
さらに曹仁は全力二万五千の軍を差し向けてきた。これにはさすがに玄徳たちは慌てふためいたが徐庶は「ちょうどいい機会です。この際敵の城を奪い取りましょう」と言い出すのだった。
曹仁軍は「八荒の陣」を敷いてきた。
徐庶はすぐにこれを見ぬく。
玄徳は自分ではまったくわからなかったはずだ。そして他の誰も。
果たして八門の陣形が崩れ玄徳軍は総攻撃をかけた。
さらに敵は夜討を仕掛けてくるが徐庶は抜け目ない。
火を仕掛けて人がいるように見せかけ敵をおびき寄せ矢を射て攻撃する。
逃げる敵軍には張飛が待ち構えている。
一軍師のために二万五千の曹仁軍は完膚なきまでに叩き伏せられた。
これまでただただ関羽・張飛そして趙雲の武力だけで戦ってきて敵を脅かすことはあったが時には逃げ延びることも多々あった玄徳にとってこの勝利はあまりにも大きかったのではないだろうか。
二千たらずの軍でも二万五千の軍を壊滅することができるのが兵法なのだと。今までそれを考えてこなかったことに打ちのめされもしたのではないか。
しかもその軍師たちは野に放たれ存在していたのに、だ。
暴れまわるだけの青春時代は確かに幕を閉じ考える時代に入ったのだ。
「ハンター✖ハンター」的な面白さでもある。