ガエル記

散策

第三のポイント

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 大人気漫画「美味しんぼ」の「福島の真実」三編を私は読んでいないのですが、連載当時すぐに問題となったことは覚えています。

ずっと以前は読んでいましたので、もともとグルメ漫画というだけでなく様々な問題提議をしてきたマンガ作品という認識はありました。そのマンガが、というか作者と出版社が「福島の真実」編一話目で強いクレームを受けたにも関わらず三話にわたって連載しとおしたことに感銘を受けました。

その一部始終のみならずそれ以降作者と出版社に不気味な嫌がらせ(と軽く言うべきこととは思えませんが)が続いていたとは。

「安倍政権」とはいったいなんなのでしょうか。

本当に不気味でありぞっとするのはもしかしたら「安倍政権」というものがこれらの行為、そしてすべての考えや行為を「美しく立派な正しいもの」として信じているのでは、ということです。

そんなことがあるのだろうか、と打ち消しながらももしかしたらそうなのかもしれないと考えてしまいます。

 

福島原発問題は非常に辛い問題です。

私はまず原発そのものに反対です。

人間が自由に制御できない力を得ようとして失敗し、その被害を受けた地域の人々を指して「同じ日本国民ならそこにいる人々に敬意を表し同情するのが当然だろう。その地域の人々やそこで作られた食物に反感や差別意識を持つとはなんという不人情だ」と言われればどうしても心が動きます。

「そこにいる人々が子供たちが差別され、悲しいのです。農作物が売れず苦しい思いをしています。もう被曝の影響などないという証明がされているのに酷い」と言われれば優しい人たちは何とかしてあげねば、となるでしょう。

 

ではなぜそうなってしまったのか?

 

原子力発電所、という制御できないものを無理に使おうとして失敗し被害を受けた人々を皆で救うのが当たり前として放り出し、それに疑問を持つ声を絶対的な力で消してしまおうとする。それを「良かれと思ってやっている」ことだと信じている。

 

そして政府とそれに賛同する人々は、原発を反対するのなら電気は必要ないというのか、という強迫的な論理でねじ伏せようとしてきますがどうやら今はもう様々な発電の開発が進んでいるようでそれらの報道をかき消すのも不可能になってきたようです。それでも「一度作った原発を使わないのは損失ではないか」という根拠で廃止しようとはしません。

ロッコ問題というのが話題になってます。分岐点の先に横たわっている人間がそれぞれいて、ひとつには5人、もう一つには1人。あなたはどちらにポイントを切り替えますか、という問いに「ポイントを中立にしてしまえばトロッコは脱線して止まる」というものです。

つまりはどちらか、ではなく第三の答えがある、それを考えねばならない、ということですね。

原発をやるか、やらないなら電気は消える、ではなく別の方法を考える。

それでも福島問題は重くのしかかってきます。放射線の影響はいつまで続くのでしょうか。

先日も福島の水産物を外国諸国が輸入してくれないことへの抗議が世界貿易機関から取り消されました。なぜか日本政府は韓国のみに不服を申し立てていますが、多くの国で福島の水産物の輸入をしていないのが現状なのです。

日本政府は「放射性物質の基準はクリアしている」と遺憾を申し立てていますが、人間の感情と言うのは数字の上だけではないのです。

 

原発は失敗しました。

日本政府は福島の人々に寄り添うのなら全面に責任を負うべきでしょう。

ではいったいどうしたら責任がとれるのでしょうか。

そして再び別の原発に問題が起きたら?

永久に責任を負い続けきれるのですか?

いや一つ目でも負っていませんね。

 

雁屋哲さんのブログをどうぞ読んでください。

氏は「美味しんぼ」での鼻血の話は人から聞いた風評ではなく自分自身が体験したことであり、同じく当時福島へ取材に行った人たちにも同じ症状があったと書かれています。

もちろん、反論する人はいるでしょう。「そんなことを鵜呑みにできるか」と。

何故被害が福島だったのか。

専門知識がない私がここで浅はかな考えを書くことは控えます。

ただ、福島という地域が歴史的にも大変な思いを多くしてきた場所だという事をどうしても考えられずにはいられません。

安倍首相は長州のかたですね。

そういうことが政治には大きく影響をすると聞きました。

私自身は首相のダチの出身地住まいなので安心できる、ということですかね。よかったです。

今後、日本という国がどうなっていくのか。

本当にオリンピックはあるのでしょうか。

外国の方をおもてなしできるのでしょうか。

そこまでこの国は存在できるのでしょうか。

第三のポイントを考えなければならないのです。