ガエル記

散策

「平家物語」ー恕ーという大切な気持ちを考えて欲しい


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先日放送されたNHK「100分de名著」の「平家物語」第4回「死者が語るもの」で、とても面白く興味深いことが語られていました。

有名な熊谷直実平敦盛を討つ場面です。

直実が討とうとした武将がまだ子供だったことに気づいて我が子が怪我をしたことを思い出し胸を痛める。この子供を殺してしまったらその親はどんなに辛いかと考える。しかし敵を討つ、という忠の心のために敦盛の首を切ってしまう。しかしその後直実は仏門に入って敦盛を弔う。という話です。

 

自ら物語を語った能楽師安田登さんは孔子儒教をここで説明します。その儒教において最も大切なのは「忠」と「恕」である。

 

「忠」とは一度決めたことはする、と説きます。

そして「恕」は相手と一体化する気持ち、だというのです。

 

そしてこの二つの教えは時には対立してしまう。その時に選ぶべきは「恕」である。

というのですね。

 

ここで直実の行動を現在の人間がどう考えるかということも重要な問題だと思いますが、、私はその前にこの「忠と恕」について驚いてしまいました。

「忠」という言葉が日本人の歴史の中で重要な言葉であるというのは知られていると思います。

それは「忠義心」という言葉にもなり主君に仕える心、やがては自分の勤める会社への忠義心などというように長く使われてきた言葉です。いわば日本人の魂のようにすら言われてきたと言っても過言ではないでしょうし、いわば苦々しくこの言葉を口にする人たちも多いでしょう。

それに比べ「恕」という言葉は実を言うと私はずっと知らなくて最近になってやっと知るようになったほどです。単なる勉強不足と言われればそうですが、それでも「忠」という文字と比較するなら日本においてはまったく使用頻度が少ないのは事実でしょう。

しかも孔子は「忠」よりも「恕」が大切だと言っているのに、です。

 

「忠」の言葉を調べると「いつわりがない、まごころ」と出てくるのですがやはり日本人としては「主君にいつわりなく尽くす」という意味にとらえてしまいます。

 

「恕」に関しては周囲の人に聞いてみればよいと思いますが「なにそれ?」と言われるのがオチではないでしょうか。文字を見ても「怒る」に似ているとすら思いそうです。

意味としては怒るの逆の「許す」なのですが。

「恕」は「如くの心」と読み解くべきで「相手の身になって考える」という事なのですね。

そして孔子の言葉は昔から日本で説かれてきたのに最も大切だという言葉をどこかに置き忘れてきてしまったようです。

次に大切とされる「忠」は曲解して上位者の都合の良いように書き換えられてしまった感があります。

儒教、というと妙に嫌われてしまうところもありますが、一部は都合よく変換して利用し、一部はどういうわけか切り捨ててしまう、それが日本の教育の在り方なのですね。

 

「恕」という正直聞きなれない、見なれない言葉に「相手の身になって考える」という大切な意味があり、それを排除してしまった日本の教育にこの国の本音を見てしまったように思えてなりません。

 

特に昨今の日本社会の様々な犯罪、そしてそれについて語るのを見聞きしていると最も大切なはずの「恕」はどこにも見当たらないように、いやそこまでは言いたくないですね。「恕」の気持ちを持っている人たちは目立たず、そうでない人たちの大声にかき消されてしまっているように思えます。

 

いきなり「恕」と言っても通じることも無いように思えます。

「忠」で苦しんでいる人々は数多くいるようですが。

 

 先日起きた痛ましい事件でも犯人に対し、「自分だけ死ね」という。「そうではなく犯人にも相談出来る場所があればよかった。救えればよかった」という人が現れることが救いではありますがその言葉に対して「よくもそんなことが言えるものだ。自分が殺されても同じことが言えるのか」と返ってくる。

こんな社会ではいけないことに気づいてほしい。

「恕」という言葉がない国でもそうした「思いやり」を持った国はありますね。そういう理想を持って社会を築こうという気持ちがなければ良い社会になるはずはありません。

大昔から「恕」という言葉を勉強してきたはずなのにそれをいまだに理解していない、ということは悲しいことだと思います。

  

さらに安田登さんは語ります。

平家物語の中に「灌頂巻」という部分があってここでは後白河法皇建礼門院を訪問するのです。

後白河法皇は平家の鎮魂をするつもりであったのがいつしか彼自身が鎮魂されていた、というのです。

翻って現代の人間たちも「平家物語」を読み、聞くことで自分の魂を鎮めることができるのです。

もちろんこれは「平家物語」に限ったわけではなく何らかの物語あるいは映画あるいはマンガやアニメそして音楽などを見聞きすることで鎮魂を感じることがあるのではないでしょうか。

 

「恕」の大切さ、そして「鎮魂」ということを考えながらこの記事を書いてみました。