原題:The Wandering Chef
制作:国際共同制作 Hayanso Entertainment /NHK(韓国 2018年)
ディレクター: PARK Hye-ryoung
プロデューサー: JEON Jin
何気なく予約録画して観ました。
もっとちゃらいものを予想していたのですがまさかこんなに泣いてしまうドキュメンタリーだったとは。
韓国制作ドキュメンタリーは少し前に観た『輪廻の少年』(チベットの高僧とされる少年とその世話をしながら彼を学校へ送り届ける老人の記録)も素晴らしいものでしたがシェフの話、ということでそんな感動は予測もできませんでした。
『さすらいのシェフ』の主人公であるイム・ジホさんは自ら山野に入り他の人がたぶん見向きもしないような野草を摘み取って独自の料理をすることで有名な方だと語られます。
野草の料理、と聞いて好き嫌いが激しい私はあまり興味も持てなかったのですがイム・ジホ氏がそんな野草集めに行った山の中で出会った90歳近くのおばあちゃんに出会い交流が始まります。
韓国は儒教精神が根強いので年長者に敬意を払う気持ちが日本よりずっとあるとは思いますが、それでもイム・ジホさんの優しさに感心してしまいました。
その後、彼は自分の生い立ちを語ります。生みの母親は彼を父親に預けると交通事故ですぐに亡くなってしまいました。そのことを少年期に知ったイム・ジホさんはしばらく家出をしてしまうのですが家へ戻った時育ててくれた母親は彼にお小遣いを渡してくれました。それはお札を小さく丸めたものでした。
20歳の頃イム・ジホさんは離れた場所で育ての母の死を知ります。帰宅した彼が見たのは次に会える時渡そうと母が貯めた小さく丸めたお札だったのでした。
有名なシェフになった彼が山の中で出会った老女はちょうど年老いた母のように思えたのでしょうか。
初めて会ったその老女は山の中の素朴な小さな家屋で伴侶と暮らしていました。
イム・ジホさんはそこで老女から野草のスープを作ってもらい味わいます。正直、雑草を黒い汁で煮込んだような代物でとても食べられるように見えなかったのですが彼は「こんな美味しいものは食べたことがない」というのです。
そしてお返しに彼もシェフの腕を振るってあげました。地元の人でも使わないような草もイム・ジホ氏にかかるとご馳走になるようでした。
イム・ジホ氏は都会にある自分のレストランへ帰っていきます。そしてある日、おばあちゃんが亡くなったという知らせを受けました。
「私は3人の母親を得たが、どの人の死に目にも会えなかった」
イム・ジホ氏が山の中の小さな家屋に着いた時、伴侶のおじいさんはすでに身寄りの家へ移っていて家はがらんとしていました。
イム・ジホ氏は寂しさを消したくて火を焚きます。そして仏教で煩悩の数と言われる百八の料理を作っておばあさんを慰めようと自分に課したのでした。
野草や魚や肉を集め二日間下ごしらえと料理をし続けて疲れ切ったイム・ジホさんでしたが一人で百八の品を作りました。
そこへおじいさんと身内のひとたちがやってきてイム・ジホさんのおばあさんへの弔いにお礼を言ってくれたのでした。
ドキュメンタリーとは言えないほど物語性のある作品でした。なにしろ途中でおばあさんが亡くなってしまうのは計算できるものでしょうか。それともその知らせから発展させて作ったのでしょうか。
私はイム・ジホさんの事をまったく知らないのでこの映像作品が真実なのか、虚構なのか見当もつきません。
それでもそんなことはどうでもいいと思うほど心に響く作品でした。
イム・ジホさん、というより野草を集めて料理する男は彼自身すでに若くはありません。実の母親の顔もぬくもりも覚えないままで成長したことを苦しみ、育ての母親の深い愛情を気づかなかった自分の愚かさに苦しみ、みたび巡り合った母親と願う老婆にも孝行できなかった不甲斐なさにもがきながらその男は山野を巡って百八の料理を作りました。そうした物語に圧倒されました。
おそるおそるイム・ジホを検索すると実際に彼は野草主体のレストランを経営されているようですね。
覗いてみたブログの片方は「微妙な料理が多くて(美味しいのもあるけど不味いのもある)しかもシェフが汚くて自分ではもう行かないかな」というものでありもう片方では「とても味わいがあって美味しかった」となっていて同じ料理でも意見が分かれているのがちょっと面白く思いました。
当然ですが料理は特に自分の好みですからそうなるものでしょう。しかし栗を焼いた、という一皿が一人は「固くて食べられない」でひとりは「栗の良さが効いてる」となっているのは気になります。
しかしシェフとしての評価とドキュメンタリーとしての評価はまた違うものでもあります。(もちろん本人の評価がドキュメンタリーの意味さえ左右してしまう場合もありますが)
このドキュメンタリーはイム・ジホ氏の記録、というよりはあるひとりの男の人生観を描いたもの、というように私には思えました。