ガエル記

散策

『漂流教室』楳図かずお

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この数日話題にしています『漂流教室』は1972年から74年にかけての連載少年マンガですが、私は今回初めて読みました。正直ちらりとも読んでいなかったのです。少なくとも記憶していませんでした。

つまり描かれてからほぼ50年が経過して読んだわけですが今まで読んだ他のどのマンガ作品よりも衝撃を受けました。

フィクション分野の小説やマンガ映画ドラマなどを含めてもこの作品よりも恐ろしい作品はなかったと今思っています。

 

以下ネタバレしますのでご注意を。

 

 

 

 

 

その明確な理由の一つは突然破滅した未来の地球にタイムスリップするという恐ろしい状況に叩き込まれるのが主人公の小学6年生という子どもであり彼とともに800人以上の1年生から6年生までのこどもたちと紛れ込んでしまった3歳の男の子だからです。

 

そこには教師たちと給食運送の男性も含まれていたのですが、彼らは子どもたちを守るどころか何人もが早々に精神を病んで自滅してしまうのです。そして最も頼りがいのありそうだった主人公の担任教師-立派な体格の二枚目で信頼できる人格者に見えるーはそれどころか教師や子どもたちを次々と殺害し最後には主人公・高松翔を絞め殺そうとするのです。

様々なパニックものを考えたとしても主人公の仲間である優しくてかっこいい男性がいきなり子どもたちを殺してしまう、なんて思いもよらないではありませんか。

しかしこの危機に翔が思わず母親に助けを求めた声が過去の世界にいる母親に届きその母親が考え行動して過去のナイフを未来の息子の手に渡してしまう、というアイディアに震えました。

なんという発想なのでしょうか。

長い時間を経て渡されたナイフは信頼していたはずの教師を刺し殺してから崩れ去ってしまいます。

このリアルさの演出にも感心しました。

 

教師と生徒、そしてパン屋と3歳の男の子が存在していた小学校が砂漠と化してしまった未来の地球へタイムスリップする。

もちろんそれまで供給されてきた外部からの電気・水・食料などの生活必需品は学校内にあるものしか使えない。

大人である教師は次々と自死もしくは殺害され全員いなくなってしまう。そして残った大人は給食運搬業者の関谷ひとりになります。

しかしこの関谷は自分が運んだ給食は全部自分だけのものだと主張して「今まで給食のおっさんと呼んで馬鹿にしてきたな」と突然怒りだし彼もまた抵抗する子どもたちを殺害していくことをまったく遠慮しないのです。

 

主人公・翔は持ち前のわんぱくぶりもあって子どもたちを纏め相棒的な少女咲っぺと子どもたちの協力で関谷をやっつけわずかな食糧・水を分け合いさらに弱い下級生たちに「男の先輩をお父さん、女の先輩をお母さんと思ってがんばってください」と演説します。

楳図氏の描く子どもたちのかわいらしさも相まって次々と殺されそして時には自死していく姿に戦慄せざるを得ず、その状況でなんとか生き抜こうとする姿に涙してしまいます。

 

本作長編は素晴らしく良く考えられ練られたSFでありますが私はこれは戦争中の子どもたちの姿を描いたものなのでないかと感じました。

楳図氏自身1936年生まれなので1945年に終わる戦争と戦後の恐怖・苦難は幼少期の記憶として様々にあるのではないでしょうか。

ご自身が幼少期に戦争を体験したからこそ戦争の中では子どもたちはあまりにも無力であり残酷に殺されてしまう、死んでしまうことを感じられているのではないかと想像します。

漂流教室』での子どもたちの悲惨さは今まで聞いたり読んだりしてきた戦争中の子どもたちの体験を思い起こさせます。

食料がなくなりひもじいのを我慢しなければならない。作品中にいくら食べても満足できずもっとくれと食料を求める男子が登場しますがこれも戦時戦後によくあった現象と読んだことがあります。

本作の登場人物・関谷ほど卑劣なキャラクターはいないでしょう。食料は自分のものとして子どもたちには与えず抵抗する子どもは踏みつけ「関谷様と呼べ」と怒鳴りあげくに女子たちには料理と合唱を命令し男子たちには兵士になることを命じて襲ってくる怪物に命懸けで戦わせます。

彼はなぜか「アメリカが自分を助けに来る」と信じています。これは現在のネトウヨの言い分に似ています。私には不思議な思考回路だと思えるのですがなぜか彼らはアメリカがすべてなのです。

 

どうしようもなくなった子どもたちが学校の屋上から飛び降りて自殺する場面もあります。これも戦時中追い詰められた人々を思わせます。

食べ物を盗んだのではないかなどの疑念でリンチにあう、なども戦時を思い起こさせます。

障碍を持つ少女が引け目を感じる、ペストの蔓延で薬がない、飢えが極まり人肉を食べるようになる、などもそうです。

 

そして最後、アメリカからの救援物資が届いて翔たちが安堵する場面で決定的に

「これは太平洋戦争中の子どもの物語だ」

と思ったのです。

 

それでももちろんこの作品は素晴らしいSFです。他に類を見ないほど卓越したそして情感にあふれるSFマンガ作品なのです。

そこに作者が体験したあるいは様々に見聞きした戦争でのこどもたちの物語を重ねて表現したのだと私は思います。

 

母親の深い愛情とともに何もかも失われた世界でそれでも未来を信じて生き抜こうとする子どもたちに心を打たれます。

 

さて現在世界に蔓延するコロナウィルス感染もまた戦争と同じだと言われています。この状況下にいる子どもたちもまた苦しい思いをしているのです。

まだまだコロナ禍は終わっていません。そしてどうなるのかもわかっていません。

私たち大人は子どもたちを守ってあげなければいけないのですが果たして世界はどうなるのか、何もかもわからないままです。

願わくばおとなたちが本作の教師や関谷になることなどありませんように。

このマンガが実現してしまうことなどないように私たちは考え行動しなければなりません。